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親父が早朝から神様に祈っていた。
これは決まって昨日の夜に怖いことがあった時のお決まりのパターン。
幽霊が見える人が慣れるとか普通に見えると言うが親父はその気持ちはよくわからんと言っていた。
気分は悪くなるし突然でてくるとやっぱり怖いと言っていた。 親父は怖がりだったのかもしれない。
親父の早朝お祈りも3日目に突入すると母も俺も流石に心配になってくる。
おそらく親父は一睡もできていないと思うし、俺たちにも聞こえるほどの強烈なラップ音が鳴り響く。
その日は土曜で休みだったので親父にどんな霊が来ているのか?と聞いてみた。
俺にできることなど何一つないがなんとか親父を楽にしてあげたいという気持ちだけはあった。
おそらく最近死んだ人間だと思う。と言っていた。
それはドアの前まで顔だけで現れ日が昇るまで母を侮辱する言葉を吐き続けるらしいのだ。
親父は狙われているのが母かもしれないので無視して寝るわけにもいかず部屋に入らぬように見ているのだという。
次の日は日曜だったので親父の提案で礼拝堂の隅に布団を敷いて3人で寝ることになった。
俺も母も「今夜、なんらかの決着をつける」つもりなのだということを実感していた。
いきなりこんな天井の高いところで寝ろと言われてもさすがに寝れず、布団の中で目をつぶっていると教会のドアを
キンキンと叩く音がした。 ドンドンでもカンカンでもなくキンキンだった。
その音は木琴の高い音のような金属ではないキンキンという擬音がぴったりくる音だった。
キンキンは少しづつ間隔が狭くなりキンキンキンキンと連続した音になった。
俺は怖くて布団の中で目を瞑っていた。
隣の布団から母が手を伸ばしてきた。 母も怖かったのか俺を守ろうとしたのか・・・
俺は年がいもなく母の手を強く握り返した。
「騙された」というなんともいえない感情が頭の中を回った。 正直、死んだと思った。
その時、親父が吼えた。 吠えたとも言える。 人の怒号ではなかった。 獣のような謎の怒号だった。
俺は布団の中で片手をあげた状態で金縛りになっていた。
母が頭までかぶっていた俺の布団をはいだ瞬間、天井に感覚的に女だと思われるたたみ2枚分ほど巨大な顔があった。
怒りと憎悪にまみれた嫌な感覚の塊だったと今でも思い出す。
「最近死んだ女を中心に100を越えるものが集まるとああなるのだと思う」と言っていた。
「今は目的があるがそのうち溶け込んでただの悪意の塊になってしまう。ああなると神のそばにはいけないな」
とぶつぶつ説明してくれた。
俺としては今夜のことが心配だったのだが、親父は「昨日が最後だから心配ない」と言っていた。
根拠は教えてはくれなかった。
次の日、親父は夜まで寝ていた。
夜ご飯時に外国人の女性が死体で見つかったニュースがやっていた。
その時、やっと起きてきた親父が「これだったのかな?」とつぶやいた。
(それで教会に来たわけ?)と思ったがもううんざりだったので口には出さなかった。
キリシタンだから一周忌とかないんだけど
親父はキリスト教の神父だったけど幽霊の存在も認めていた。
同じ体質の俺もキリスト教に入るかどうか未だ迷っている
ほかの神父や教会の人たちからは異端というか悪魔憑き扱いされていた親父だったが
不可解な存在に悩む人たちを無償で助け続けた人生だった。
我が家と親父を襲ったさまざまな悲劇をここに書いてもいいだろか?
誰にも言うなと言われたが親父の生き様を自慢させていただいてもいいだろうか?
キリスト教にもたくさんの種類があるのでよそのことはよくは知らないが
キリスト教の考え方は基本的に死んだ人間がこの世に化けてでることはないとされている。
つまり幽霊というものはいない。という考え方だ。
幽霊が見えたならそれは悪魔が幻覚を見せていると考える。
親父は小さな頃から幽霊というものがよく見えたらしい。
気が狂いそうになる中で救いを求めたのがキリスト教だったと聞いている。
だがそれでも幽霊は見え続けいつしかそれ(霊)を救えるようになったのだという。
それは神様のお力添えがあったからで自分は幸せなのだと常に言っていた。
教会には2週間に一度はこの手の悩みを持った人が現れていた。
親父は一人一人の話を親身に聞いて悩みが解決するように頑張っていた。
でもやっぱり狂ってしまって1年前に首を吊って死んだ。
神でも救えないほどいろんな出来事があった。
自慢話に聞こえるかも知れないが自慢の父の話を書かせて欲しい。
学校から帰ってくるとウチの小さい貧乏教会にパトカーが止まっていて中に警官が2人いた。
何事かと母に聞くとなんでも「秋山さん(仮名)が暴れて倒れた」との事。
近所の人が大声にびっくりして勝手に気を回して警察を呼んだらしい。(そのくらいいろいろあることで有名だった。)
そのまま秋山さんは警察に抑えられるようにパトカーに乗せられた。
親父もあとで警察に来るように言われていた。
こんなことを書くと語弊があるのだが日本で宗教に入る方は心に病気を持っていたり
社交性が低いことが多い。無宗教の人から見るとみんなでわいわいやっているように見えるが
決してそんなことはない。人知を超えた神という存在があるからこそまとまれる人たちであって
通常のルールやマナーでは浮いてしまうような人が集まってしまうこともある。
決してその人達が変人な訳ではなく、ウチの教会で言えば見えてしまう人や憑かれてしまっている人だと言っても過言ではない
もちろん基本的にはいい人達なのは言うまでもないが・・・
親父は「子を呪うような親はいない」と言って慰めたが秋山さんは呪われていると自己暗示にかかっていた。
「なぜ呪われていると思うのか」という親父の問いに「長い間、顔を見に行っていないから」と答えた。
驚いたことに秋山さんの親は生きているのだ!
呪われているなどと言うからてっきり亡くなっているのだと思っていた。
そうとなれば話は早いので秋山さんと親父と母で親御さんに会いに行くことにした。
無論、学生で信者ではない俺はお留守番だ。
ついた先はゴミ屋敷と呼ぶに相応しいオンボロの家でなんとも言えない匂いを放っていた。
すでにパトカーと救急車が数台来ていて夜のゴミ屋敷を赤く照らしていた
家のそとでオロオロした母を見つけ「いったいどうしたんだ?」と聞いている最中
家の中からこの世のものと思えない異臭とともに頭蓋骨を抱いた秋山さんが警察に両肩を支えられて出て来た。
その匂いと異様さに俺と母は胃の中のものを道端に戻した。
野次馬たちも数人戻していた。
その後を追うように親父が出てきた。
真っ青になりながら「残念ながら亡くなっていたよ」と言った。
服は泥?だらけになっておりものチーズのようななんとも言えない匂いが染み付いていた。
俺は服を捨てるように頼んで、パンツ一枚の親父を警察まで送っていった。
母親を孤独死させてしまった秋山さんを教会のみんなでなぐさめた。
ただあのゴミ屋敷を見た俺としてはたとえ親とはいえ見捨ててしまうだけの事情があったのだろうと察した。
それでも秋山さんの中で罪悪感があったのだろう。だから呪われたなんて思ってしまったのだと思っていた。
落胆する秋山さんは毎日のようにお祈りに参加した。
俺の目から見ても少しづつ元気を取り戻しているように見えた。
元気になった秋山さんは逆に亡くなった母親の悪口を言うようになった。
はじめは教会のみんなも黙って聞いていたのだがだんだん耳に耐えられなくなって秋山さんを避けた。
それでも親父は黙ってうなずいて秋山さんの暴言を聞いていた。
問題の冒頭の秋山さんが暴れて倒れて教会に警察が来た日の話だ。
いつものように暴言を吐き続ける秋山さんについに親父が言った。
「あなたのお母さんは首を絞められてもあなたを恨んだりはしていませんよ」
その言葉を聞いた秋山さんは泣き暴れながら「殺してヤルー」と何度も叫んで気を失ったという。
母は「お父さんはじめから知っていたんだよ」と言っていた。
秋山さんが自首をしたという話は聞いていない。
親父にこれでよかったのか?と尋ねると「誰にも言うなよ・・・」とだけ言った。
おわり