ED後・互いの距離感についてあれこれな二人のお話。どちらかと言うとフレン寄りの視点です。
訪問者は、いつも突然やってくる。
約束が欲しいと思わなくもないが、最近ではあまり気にならなくなっていた。彼を縛ることはできない。自分もまた、常に一処に留まっているというわけでもない。拠点があってもそこにいるとは限らない、それはお互いがそうだった。
頼りない約束を心待ちにするのは不毛だ。それならば、『そのうち会えるだろう』程度に考えていたほうがいい。そのほうが、偶然会えた時の喜びも増すというものだ。
もっとも、こんなふうに思えるようになったのはつい最近のこと、なのだが。
「ふう…」
書類を繰る指を止め、フレンは軽く息をついた。
ここ、オルニオンの地を訪れるのも何度目のことだろう。定期的に街の様子を見に来ているが、その度に整っていく町並みや活気づく人々を見るのはとても嬉しかった。世間ではこの街がここまで発展したのはフレンのおかげだと言う者もいるが、そうではないことは誰よりもフレン自身がよく理解している。本当のことを言いたくても言えないので、忌憚のない褒め言葉にもいつも曖昧に笑い返すことしかできなかった。もし本当のことを言ったら、次に会った時に『彼』がどれだけ不機嫌そうに自分を見ることか。想像はあまりに容易で、フレンは頭に思い描いたその顔に思わず苦笑した。
天井を仰ぎ、目を閉じて伸びをする。
普段、執務をしている城に比べて薄暗い部屋の中で、長時間細かい文字を追っていたのでさすがに目が疲れた。今は城の自室にも照光魔導器はないが、それでもここよりは明かりの数が多い。もう少し明るければと思うのは正直な気持ちだが、贅沢は言っていられない。今までが恵まれていたのだと思うと同時に、貧しかった頃を思い出せば比べようもなく生活は楽になっている。そもそも自分達が暮らしていた下町には魔導器がなかったし、それが当然だと思っていた。
「どっちにしても、慣れの問題なんだろうけどな…」
天井を見つめたまま独りごちて再び息を吐く。そうして暫しの間、薄暗い部屋の中でぼんやりと木目を数えていた。だらしない、と叱る者は誰もいない。ひとしきり寛いで、フレンは再び書類の束に目を落とした。
書類の様式は一つではなく、内容は様々だった。駐屯している騎士の勤務記録に収支報告、住民から寄せられた要望や苦情。騎士団の関係者が作成したものも、そうでないものも全てまとめて見せてくれ、とフレンが言った時、管理担当の騎士は複雑な顔をした。
『騎士団長閣下が目を通す必要のないものも多いかと存じますが…』
構わないからと言うと、騎士は渋々といった様子で書類を取りに行った。戻って来た時も相変わらず表情は冴えない。
(見せたくないのはこの街の現状か、それとも自分達の至らなさか。それとも…)
フレンの頭の中であまりよくない考えが巡り、つい目つきが厳しくなる。しかし、それに気付いた騎士が書類を手渡しながら申し訳なさそうにフレンに言った言葉は意外なものだった。
『とんでもない量でしょう?捨てるに捨てられなくて色々と取っておいたら、この有り様でして』
改めて見ると確かに相当量の紙の山だった。随分かさばっているな、と思って適当に数枚をめくってみると、明らかに子供の字で書かれた手紙らしきものが目に入った。よく見れば上から半分ほどは正式な書類というわけではなさそうで、紙の質も大きさもばらばらだ。折りたたんであったものを重ねているからこの厚みか、と納得はしたが、それにしても多い。
『良い話ばかりではありません。ですが、帝都に比べて我々と住民の距離は近い。そのため、直接そのような手紙を渡されることが多いのです』
そう話す騎士の表情はどことなく嬉しそうで、フレンは先程までの考えを頭の中から追い出した。
騎士は単純に、量のことだけを言っているのだろう。自分に知られたくないことがあるとか、そういうことではないらしい。確かに全てに目を通すのは骨が折れそうだが、むしろこういったことこそフレンが最も知りたいと思っていることだ。城でも同様のことは言っているが、果たして全てが自分の元に届いているのかと考えると疑問が残ると言わざるを得ない。かと言ってそれを担当の者に伝えるのもどうか。部下を信じ切れない自分が情けなくもあり、現状を変えていくのは容易ではないと歯がゆい思いをすることもある。だからせめて、まだ出来たばかりのこの新しい街のことは少しでも多く知っておきたかった。
資料を持ってくるよう頼んだ騎士が渋い顔をした時、フレンは『ここもまだまだだな』と思った。だが、どうやらその考えは捨ててしまってもよさそうだ。少なくとも、彼のような者が住民との橋渡しをしてくれているのなら大丈夫だ、と。受け取った書類に目を通すのは確かに大変だったが、心は満たされていた。ここで知り得た声は、少なからず帝都や他の街にも当てはまるだろう。
(…来てよかった。ここには、僕が知らなければならなかったことがたくさんある)
ひと通り全てを読み、気付いたことを簡単にまとめてフレンは再び伸びをした。大きく吸い込んだ空気が思いの外冷たくて、鼻の奥がほんの少しだけ痛んだ。
仕事を始めたのは軽めの夕食を終えた後だったが、ふと時計を見れば既に時刻は真夜中近い。道理で冷えるはずだ、と思いながら立ち上がると造り付けの小さな暖炉に薪をくべ、火をつけた。
オルニオンは比較的温暖な気候で帝都からの移住を勧めるのに何の問題もないと思っているが、両側を山に挟まれた盆地であるからか時折強い風が吹き降ろすことがあり、そんな日はぐっと気温が下がる。積もるほどではないが雪も降るし、そういえば昼間に小雪がちらついていたことを思い出していた。
「雪…また降ってるのかな」
そう呟いて窓を見るが外は暗く、雪が降っているかどうかはわからない。このまま寝てしまうか、それとも少し街の様子を見て来ようか。暫しの逡巡の後、フレンは後者を選択した。住人の『声』を知った今、今までとは違うものが見えるかもしれない、と思ったのだ。日中は何かと用事もあるし、外を歩いていると声を掛けられることが多くて実はゆっくりと辺りの様子を見ることができていない。改めてそういう日を設けようと思いつつ、フレンの足は既にドアの方へと向いていた。
外は思った以上の寒さだった。
雪は降っていなかったが、吹く風の冷たさが頬に刺さる。部屋に篭りきりでややぼやけた頭をすっきりさせるのに丁度いいと強がってみても身体が小さく震えて、フレンは苦笑した。
さて、どこから見て来ようか…と視線を巡らせて、目についたものがあった。街の中央にある結界魔導器だ。もう役目を果たさないそれは、かつて自分達がこの街を建設する以前にもここに人々の営みがあったことを示していた。紆余曲折を経て今では街のシンボルになっていて、ここでこの魔導器を見る度に様々なことを思い出さずにはいられない。そばまで近づいて見上げ、そのまま静かに目を閉じれば、瞼の裏に皆で街を創りあげて行った時の様子が浮かんだ。
「みんなで…いや、僕は…」
自分は何もしていない。
しかしそう言えば『彼』は笑いながら決まってこう言った。そんなことはない、もっと胸を張れーーと。その言葉を、何度そのまま返したことだろう。そしてその度、最初に自分が言った言葉を『彼』が繰り返す。堂々巡りのやり取りを途中で終わらせてしまうのはいつだってフレンではなく、言いたいことを最後まで言えたことはなかった。
「…ユーリ」
久しく会っていない友の名を呟いて視線を落とす。
最後に会ったのはいつだったか…随分前のような気もするし、そうでもないような気もする。人づてに名前を耳にすることはあったが、あの旅以降ユーリと会ったのはほんの数回だった。偶然の出会いばかりでゆっくり話す暇もなく、改めて約束をしようとしてもはぐらかされた。ギルドという生き方を選んだユーリを信じてはいても、それでも不安や心配は拭い切れない。初めのうちは特にそうだった。最近になってやっと、ユーリが今どこで何をしているのかと考えることが少なくなったぐらいだ。
ユーリが…というより、彼のギルドの評判が耳に届けば安心する。もしそれが悪い方向の話であるなら、その時こそ彼に会いに行くべきなのだろうが。
「そんなことにはならないと思っているよ。…そうだろう、ユーリ」
やや俯き気味で呟いた時、背後の気配に気付いてフレンは顔を上げた。振り返らず、真っ直ぐ目の前の魔導器を見つめたままの口元が緩み、笑みが溢れる。
「…ユーリ」
もう一度その名前を口にし、フレンはゆっくりと振り返った。遮るもののほとんどない視界に映るのは満点の星を散りばめた漆黒の夜空。その星空を背にし、少し距離をおいて立つ人影の表情ははっきりとは見えない。しかしフレンにはユーリがどんな顔をしているのかわかってしまう。気配の中にほんの僅かな緊張を残し、小さくユーリが息を吐く。きっと、眉間に皺を寄せ、咎めるような眼差しで見ているに違いない。
何故なら―――
「こ…」
「こんな時間にどうした?ユーリ」
「…おまえな…」
今度こそ大きな溜め息を吐くとユーリが大股でフレンの前へと歩み寄る。その表情はまさしくフレンが想像していた通りで、更に付け加えるとややふて腐れ気味だ、先に声を掛けようとして邪魔されたことに対してなのだろう。
「それはオレの台詞だ。何やってんだ、一人で」
「ユーリこそ、いつここへ?来ているなんて知らなかった。顔ぐらい見せに来てくれてもいいんじゃないか?」
「今回は個人的な用なんだよ。こっち着いた時はもう日も暮れかかって腹も減ってたし、そもそもオレもおまえがいるって知らなかったしな」
「個人的な…」
「そこまで詮索される筋合いはねえぞ」
「…そうだね。それで、君は何をしにこんな時間にここにいるんだい?」
「単なる酔い覚ましだよ、久しぶりに会う相手だったんでつい飲み過ぎちまってさ。それで散歩でもしようかと思っ…なんだ、その顔…」
「僕の顔がどうかしたかい」
「……」
久しぶりに会うのは自分も同じだ。それに、今まで偶然どこかで出会った時にゆっくり酒を酌み交わしたことはない。今日ここにいることを知らなかったのはお互い様で、ユーリも自分もそれぞれ別に目的があってのことで、ユーリには先約があって…
わかっていても、少し寂しかった。それが顔に出てしまったのかもしれない。黙ってこちらを見ているユーリに、自分とは約束すらしないのに…と言いかけ、なんとかその言葉を飲み込む。
わかっている。ユーリはそういう性格だ。
個人的な用事とはなんなのだろう。何か頼みごとでもされたのだろうか。わざわざオルニオンまでその相手に会いに来て、そのついでにこんな夜更けまで飲んでいたなんて、ユーリにしては珍しいような気がする。そんなに親しい知り合いがこの街にいただろうか…。
考えれば考えるほど『用事』とやらが気になって来たが、詮索するなと釘を刺された手前何も聞けない。
「おい…」
黙り込む自分に向けられたユーリの声が苛立ちを含むのに気付き、フレンはひとまず先ほどまでの考えを忘れることにした。何より、せっかくこうして会えたのだ。ならもっと時間は有効に使いたい。
「ごめん、なんでもないんだ。会えて嬉しいよ、ユーリ」
「適当に散歩でもしてから寝るかと思って外に出たら、おまえがここにいるのが見えたんだよ。…こんな時間に一人で何やってんのかと思って様子見に来ただけだ」
最初に言いかけたのを遮られたのがよほどすっきりしなかったのか、わざわざ説明するユーリの仏頂面にフレンはつい吹き出してしまう。ユーリがますます不機嫌そうに唇を尖らせるとフレンは顎に手を当てて何かを考えるような素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。
「…いやな顔だな」
「随分な言い草だね」
「他に表現のしようがないんだからしょうがねえだろ。…何企んでる?」
「企んでるなんて大げさな。ただ、そんなに僕のことを心配してくれるのなら見回りのお供をお願いしようかなと思って」
口を開きかけたユーリの手を素早く掴むとフレンが笑いながら言った。
「一人なのが心配なんだろう?なら一緒に行こう。君がいてくれれば心強いのは確かだしね」
「は?冗談じゃねえ。様子見に来ただけだっつったろ。なんでおまえの仕事に付き合わされなきゃならねえんだ…離せよ」
掴まれた腕を振り払おうとしたユーリだったが、一瞬驚きの表情を見せ半歩下がった。腕に感じる力が僅かに増し、思わずフレンを見返してしまう。フレンは柔らかな笑みを浮かべているが、何故かユーリは言葉に詰まって動けなかった。
「な…んだよ」
「仕事じゃないよ、寝る前に外の空気を吸いたくて。ついでに辺りを見て回ろうかと思ってたんだ。君も散歩のつもりで出て来たんだろ?丁度いいじゃないか」
「いや、酔いなら覚めた。冷え込んできたし、宿に戻って寝…」
「いいから。ほらユーリ、行こう」
「ちょ、おい…!!」
ぐい、と腕を引かれてたたらを踏むユーリを少しだけ振り返ったフレンだったが、すぐに前を向いてそのまま歩き出した。背後でユーリが何やらぶつぶつ言っているが、聞こえないフリをしてそのまま歩を進める。が、いくらもいかないうちにユーリが踏み止まって無言の抵抗をしたので仕方なしに振り返ると、ユーリは大げさに息を吐いて言った。
「…付き合ってやるから、手ぇ離せ」
「離したら逃げられそうだから」
「あのな…いくら夜中でも誰かに見られる可能性がないわけじゃないだろ!そんなのはごめんだ、何言われるかわかったもんじゃねえ」
「…例えば?」
「おまえがオレの腕引っ張って歩いてたら、オレが何かやったみたいじゃねえか。説明すんのが面倒くせぇ」
フレンがユーリの腕から手を離した。というより、ユーリが再び腕を振り払おうとしてフレンも今度はそれに逆らわなかった、といった感じだった。ユーリの正面に向き直ったフレンが首を傾げる。
「最初から本当のことを言えばいいだけじゃないか」
「だからそれがめんどくさいだって…もういいからさっさと行こうぜ」
そう言ってユーリが早足でフレンの横を通り過ぎて行く。振り返りもせずさっさと先をゆくユーリの後を追って、フレンも歩き始めた。
何はともあれ、ユーリを道連れにするという『企み』はひとまず成功した。久しぶりの再会に積もる話があるのは当然なのに、なかなか簡単にはいかなくなったな、とフレンは思う。現在の互いの立ち位置のせいなのか、ユーリが自分と積極的に関わろうとしていないとは感じていた。仕方がないと理解しているつもりでも、やはり少し寂しい。
だから引き留めた。
今を逃したら、今度はいつ会えるかわからない。人の目は宵闇が隠してくれる。またとない機会だと思った。
何を話そうか。
何を聞こうか。
街の様子を見るという当初の目的も忘れてはいない。それもユーリがいれば、きっと自分には気付かないものに気付かせてくれるだろう。
「どこから見て行こうか…」
「決めてないのか?」
独り言のつもりの呟きはユーリにも聞こえたようで、足を止めて振り向いたユーリはやや呆れ気味だ。
「特にここ、っていう場所があるわけじゃないんだ。とりあえず一通り全て、かな」
「マジで?朝までかかりそうだな…オレ、明日は早いんだけど」
「僕だってそうさ。外で夜を明かすつもりはないし、君が文句を言わずについて来てくれたら大丈夫なんじゃないかな」
「無理矢理付き合わせといてそれかよ!?そもそも、仕事でもないならなんだって見回りなんか…」
「歩きながら説明するよ。じゃあ…まずは最近住人が増えてきた地区に行こう」
「はいはい…もう好きにしてくれ」
投げやりに言いながらも大人しく後について来るユーリに笑いかけ、フレンは街の一角へと向かうことにした。
―――――
続く