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Many Classic Moments50

*まとめ*





 ──声が聞こえる。




『高杉さん!高杉さん!!』


ああ、これは僕の声だ。高杉さんを呼ぶ声。雨の降りしきる中で……

雨?

そうか、あの時は雨が降っていたんだ。戦の最中だった。高杉さんが僕を助けに来たせいで腕を斬られて、その後に僕が敵を二人倒して……それからどうなったっけ?

僕は考えるが、それから先の事は詳細には思い出せなかった。だって思い出そうにも、今の僕の目の前に広がるのは暗闇ばかりなのだ。塗りつぶされたように真っ暗な視界の中で、僕はさっきから高杉さんの名前を呼んでいる。喉が潰れるほどに声を張り上げて、叫んでいる。

 僕の好きな人。僕が初めて恋をした人の名を。



『…………な、何で答えてくれないの?高杉さん、あの、居ないんですか?』

 だけど、現実は残酷だった。高杉さんは僕に返事をしてくれない。僕が声をひそめた瞬間にしんと静まり返った暗闇が急に怖くなり、お腹の底からじわじわと恐怖が這い上がってくる。ここには高杉さんが居ないのではないか、という恐れが弱い心を満たしていく。

『ぎっ、銀さーん!!銀さん、来て!!来てください、僕はここです、ここに居るんです!!』

 一旦は叫ぶことをやめた僕だが、やっぱり名前を呼ばずにはいられなかった。今度は銀さんの名前を叫ぶ。こうすれば絶対、絶対に銀さんなら来てくれるという確信が僕にはあったのだ。

 銀さんは僕のヒーローだから。



『…………なんで?何でだよ。てかどこだよここ。何で暗いの?高杉さんも居ないの?銀さんも……』


それなのに、やはり現実は世知辛い。てかクソ喰らえだ。高杉さんどころか銀さんの名を呼んでも返ってこない返事に、僕はいよいよ怖くなる。心の底からぞっとする。静かなだけだった筈の無害な暗闇が、唐突に何かの化け物のように思えてきてしまう。
好きな人にもヒーローにも恵まれず、僕はこのまま、この暗闇の中に捕らわれていなきゃならないのだろうか。


『っ、嫌すぎるよそれェェェェェェ!!マジ無理だ!!』


僕は自分の想像に恐慌をきたして、大いにテンパった。テンパったままその辺を走り回って、あらん限りの声でまた高杉さんと銀さんの名を呼んでいた。

『高杉さんっ!銀さんんんん?!ねえ、嘘でしょ!?また僕をからかってイジってるんでしょ!?二人とも居ないんですか!?僕はここですよ!』

 ここに居るよ。ねえ、僕はここですよアンタら。本当は見つけて欲しいんじゃなくて、アンタらのことを見つけたいよ。僕が見つけて、驚かせてあげたい。

 だから、ねえ、お願いですから。


 アンタ達にまた会いたいよ。




『っ……』

 ハアハアと息を吐いて立ち止まる。僕はもう随分長いこと走っていたらしい。それなのに暗闇は延々と続いているのか、壁などの障害物にも少しも身体は掠らず、一筋の光すら射してこない。このままじゃきっと、二人には会えない。
 そう考えた途端、僕は唐突に涙を零していた。


『うぅ……ひっ、ひぐ』

いつもであれば皆がいるから、涙も我慢できる。銀さんにからかわれるのが嫌だから、涙だって飲み込む。高杉さんに意地悪を言われるのが関の山だから、どれだけ涙目になろうと本当には泣きはしない。できるだけだけど、幼子のように涙は見せない。
なのに今の僕ときたら、泣き虫だった子供の頃のように喉を震わせて泣いている。ひぐひぐと喉を鳴らし、“その想像”に恐怖して涙している。

 もう二度と高杉さんにも銀さんにも会えないんじゃないかと思うと、こわくてたまらなかった。それは死ぬことより、ずっとずっと。


『銀さん……高杉さん……』


 再びあてどもなく歩きながら、僕はまた懲りもせずに高杉さんと銀さんを呼ぶ。もはや独り言にも近い。なのに呼ばずにはいられないのだから、僕の心にどれだけあの人らが肉薄しているかという証明のようなものだろう。


でも、その時だった。そうやってあてどもなく彷徨う僕の耳に、確かに聞き慣れた二人の声が届いてきたのは。



『新八!』
『新八ィィィィ!!』

暗闇を切り裂くように、高杉さんと銀さんの声が綺麗にユニゾンして響いてくる。僕はずびっと鼻を啜り上げ、暗闇の中で顔を起こした。キョロキョロと周りを見渡す。

『こっ、ここでーす!!僕はここですよ!高杉さん、銀さん!』

ようやく聞けた二人の声に、僕は盛大に安堵する。盛大に涙も引っ込み、心から安心して叫び返した。僕はここです、と大いにアピールするかのように、その場でぴょんぴょんとジャンプする。

『テメェそこに居んのか。待ってろ今行く』
『おまっ、ちょ、待っとけ新八!!そこでストップな!』

高杉さんと銀さんの声が重なり合って暗闇に響く。ばらばらの口調なのに同じことを言っているのが面白くておかしくて、僕にはちょっぴり変な感じだ。でもいつも喧嘩ばかりしているのに、ここぞという時では必ずやシンクロ率120%を叩き出すのが、高杉さんと銀さんという侍達だった。


 僕の周りにいる、僕の大切な人たち。







 『──死ぬな!』

 すると突然、急に目の前がパアッと開けた。暗闇の黒が終わり、代わりに、眩しいほどの白い光が僕の目を射る。僕の手を引っ張り上げてくれたのは高杉さんだった。隣りには銀さんの姿も見える。
なのに、肝心の僕はちっとも目を開けられないのだ。銀さんに抱かれている感覚は分かるのに、その腕の中の僕は目を覚まさなかった。

『新八!オイ!なあ、俺の声聞こえるか!?』

 銀さんが僕を呼んで、ピシャッと僕の頬を叩く。なのに、僕は目を開けられない。
高杉さんも銀さんも二人してずぶ濡れだし、銀さんに至っては血まみれだ。なのに少しも構わず、二人は必死な目で僕を見て、少しでも雨の当たらない場所へと僕の身体を横たえてくれる。


 雨。



 ……ああ、雨。この雨だったのか。

あの時の戦の最中で降っていたのは。





『何でだよ!……何でこんな、何で新八はてめえなんかを庇って』

 その雨が降りしきる中で、顔を歪めた銀さんが高杉さんを糾弾する。顔を背ける高杉さんの、その左腕に巻かれた包帯。血を吸って赤黒く染まった傷痕。

いや……それは包帯じゃなく、正確には鉢金を捨てたあとの僕の額当てだ。僕が手当てをしたんだ。だって高杉さんこそ、今は酷い怪我をしている。僕を助けに来たせいで、高杉さんは敵に斬られてしまった。
 僕がもう少し強かったら、もう少し上手く立ち回れていたら、きっと高杉さんは斬られていなかった。

 高杉さんは決して僕のせいにしないし、高杉さんの性格では銀さんに到底言えないだろうけど。



 何も言わずにいた高杉さんに業を煮やしたのか、僕を抱きかかえたままの銀さんが高杉さんに食ってかかる。

『──何とか言いやがれ!てめえのせいで新八が、』

 やめて銀さん!そうじゃないんですってば!

 そう言いたい僕なのに、銀さんの腕の中にいる僕は決して目を覚まさない。
 て言うか僕、何でこうまで目を覚まさないんだろう。てか待って……僕は今、なんで“僕”を見てるの?何で目を開けない僕が銀さんに抱えられている図を、当の僕自身が見ているの?

 え、待って待って、これって何?僕が二人いるってこと?これが噂の?これがあの?……ゆ、幽体離脱?

 ねーよ……

 いや、ないと信じたい!僕は僕のためにもッ!!



『……まだ、新八の心臓は動いてる。生きてる……」

そのうち、僕の胸に手を押し付けた高杉さんがポツリと呟いた。
 そそそ、そうですよ高杉さんっ!僕は生きてるの!生きてますよ、幽体離脱とかしてねーよ!少し、ほんの少しだけ今の僕の身体ってば透けてるけどね!

僕が僕自身を見下ろすっていう、絶賛ミラクルな体験中ですけどねェェェェェェ!!??怖えェェェ!!





 結局それから、どっちが桂さんたちを呼びに行くかで揉めた銀さんと高杉さんのすったもんだが起こり、最後は負傷している高杉さんが僕と共に残ることになった。


『新八……テメェ』

去って行く銀さんの背中を見送った後、物言わぬ僕の身体を抱いた高杉さんがポツリと呟く。その声。その表情。

悔しくてやるせなくて、歯痒くて辛くて。全部を複雑にないまぜたような、その。

『何でテメェはいつも……いつも自分を放り出す。何で俺のために、ためらいなく突っ込んでくるんだよ。弱えくせに……ガキのくせに』

押し殺すような声でポツポツと語る高杉さんの横顔を、僕は切ないような想いで見つめていた。

 だって、仕方ないじゃないですか。僕だってよく分かんねーよ。なのに、アンタが死ぬかもって思ったらもう身体が動いてたんだ。後々の自分が幽体離脱をかますことになるとか、こんなミラクル体験をするとか、まさか僕だって思わないですよ。

だってあの時の僕は、アンタが死ぬことの方が、よっぽど怖かったんだ。アンタをなくしたくなかったんだよ。


 高杉さん。



『新八……』

高杉さんがぎゅっと抱きしめた僕の頬に、数滴の雫がポタポタと落ちる。それが決して雨だけでなく高杉さんの涙にも見えるから、僕の心は不意にきゅうぅと切なく痛んだ。


 ねえ、高杉さん。アンタは何でいつも、僕の前では肝心なことを言ってくれないんだろう。いつもいつだって、僕のことなんてさもどうでもいいような素振りで扱うのに。僕のことは常に馬鹿にしてくるし、からかうし、本当に意地悪だらけだし。足りない言葉を補う事もなく、行動は常に傲岸不遜。僕の前ではとんだ俺様オトコだよ。

 なのに、何で今、僕の身体を抱くアンタの腕はそんなに優しいのだろう。
 何でいつも、いつだって、アンタはその不器用な優しさを僕にくれるのだろう。


 力の入らない左腕で、何でそんな風に僕を抱き締めるの?




『死ぬな……』



 ねえ、伝えたいよ。言いたいよ。僕はまだアンタに言わなきゃだめなことがあるんだ。





 僕は、高杉さんが好きなんですって。











Many Classic Moments49

*まとめ*



「ヅラがさっきチラッと言ってたみてェに……このまま新八の目が覚めなかったらさ、」
「テメェ……!」

 銀時の話は続く。でも『新八が目覚めなかったら』なんて話に方向が及んだ時には、さすがの高杉も目を見開かざるを得なかった。さっき桂にしたように、咄嗟にきつく銀時を睨み据える。
 睨まれたのを察したのか、銀時はここでようやく面を起こした。高杉を見た後、微かに笑って。

「いや違ェわ、もしもの話だよ。もし、万が一の話。万に一つもねえだろうけど……もしも、それがあったとしたら。いいから聞けよ」

 トン、と人差し指で畳を叩く。いつものふざけた声音とは圧倒的に違う静かな声のトーンに、銀時の真剣な表情が持つその迫力に、知らず高杉は黙り込んでいた。
 銀時の言葉にじっと耳を澄ませる。

「てめえは戦場に残るだろ?高杉には鬼兵隊があるもんな。なら……俺は、新八と生きてく」
「……どういうことだ」

 銀時の声はあまりに静かだった。ふざけているとは到底思い難いそれに、高杉は真顔で問い返すことしかできなかった。

「新八連れて江戸に帰るよ。俺の戦はもう止めだ。俺は……たとえ新八が一生目ェ覚まさなくても、ずっとこいつの近くに居てえ。大切な奴の、すぐ側に」

 ドクン、と高杉の心臓が弾む。
 銀時の口からその決意を聞いたこと。銀時のことだから決意などと大層なものじゃなく、明日の天気を告げるように他愛無い口振りではあったが──それでも。


「テメェ……白夜叉が戦を抜けるだと?この戦争はどうなる?」

 知らず知らずのうちに、高杉はゴクリと唾を飲んでいた。
 鬼兵隊を率いる高杉のみならず、白夜叉と呼ばれる銀時だとて、この攘夷戦争にはなくてはならない存在なのだ。白夜叉の闘いぶりに鼓舞され、他の侍達も士気を高める。銀時は攘夷の軍勢の希望であり旗印であり……それはもう英傑と呼ぶべき存在であるはずだ。

 それに。


「先生は……どうなる」

 そう、自分たちは師の為にこの戦を始めたのではなかったか。師を取り戻さんが為に剣を取り、この世界を変えようと決起したのではなかったか。なのに、銀時はそれを捨てると言う。捨てる覚悟はあるとのたまう。

 高杉はギリッと歯を噛み締めた。おそらくは物凄いような顔で銀時を睨んでいる筈だが、対する銀時は高杉を微かな笑みで見つめるだけだ。
その端々に、高杉の中の“先生”が重なって見えるような不可思議な笑みで。

「松陽も分かってくれるよ。……松陽がさ、新八より自分を選べとか、新八じゃなく自分を助けろとか、俺らにそんなみみっちいこと言うと思うか?」

 銀時も僅かに息を吐く。高杉よりよほど長い時間を松陽と過ごした銀時だからこそ出た、その決意。
 しかし確かに、高杉の知り得る吉田松陽という男なら新八を捨て置いて自分を選べなどと言うはずはなかった。むしろ新八の側にいけ、と願うだろうと思う。思えて仕方なかった。
 あの朗らかで変人で、人離れして強く図太く奔放で、だけど高杉が知る男の中では随一の自由さを有する侍……吉田松陽という師なら。


「……思わねえな。これっぽっちも。だが……」

 従って、高杉も銀時の意見には賛同せざるを得なかった。だが、それとこれとは話が別だ。新八に惚れている事と、新八の為にこの戦を捨て置くこととは、高杉の中では全くの別物なのだ。

 その迷い。戸惑い。新八の為にならこの戦を止めるとまで言える銀時に、己は生涯敵わないのではないかと……あり得ぬ疑いまでふと顔を出す。


「だろ。松陽なら新八を選べって言うよ。必ずな。それに、ここにはてめえが居んだろ?ヅラも居る、辰馬も居る。それなら……俺は新八を独りにしねえ。新八を独りにできねえ」

 銀時は高杉の迷いや苦悩が手に取るように分かるのか、不意ににかっと歯を見せて笑った。いかにも気の置けない風に。

「そうなった時はよ、この戦はてめえらに任せるよ。このクソみてーな戦争に、俺と新八の分まで爪痕残してこいや」
「銀時……」
「だから……って、あーもういいや。この話考えんの止めようぜ。やめやめ、縁起でもねーし」

 最後にもう一回だけにっと笑い、だけど銀時は突如としてブンブンと顔の前で手を振った。突然のそれに、迷いや戸惑い真っ最中の高杉がギョッとする暇もない。


「……お前から言い始めたんじゃねえか」

 だがしかし、銀時がこの話を切り上げた事に高杉は内心ではホッとした。んー、と首をひねる銀時の態度がいつもと至極同じものなので、徐々に高杉もいつもの調子を取り戻す。

「そうだけどさ。実際……俺もよく分かんねえ。てか新八がこんなにずっと黙ってる事なんて、今までなかったろ?」

 しまいには新八を堂々と指差して語る銀時に、呆れ顔を晒すのは高杉だった。

「ああ。なかったな。こいつはいつでもどこでもクソうるせェ。色々と……その、声がでけえ」

 そして何故か含んだ物言いをかます高杉に、胡乱げな眼差しを向けるのも銀時しかいないのだ。

「いや色々って何。まあいいや。新八ってさ、常にくっそうるせーし、ギャーギャー小言言ってきてうぜーしよ。素直なのにクソ生意気なとこもあってさー……でも何かそれも悪くねえっつか……あー分かんね」
「何がだ」
「こんなに黙ってられると、あの小言すら聞きてェって思っちまう自分の神経が分かんねーって話だよ」
「そうか。……確かにな」

 頭をがりがり掻きながら話す銀時に、高杉が追従するように声を返す。そんな高杉と、寝ている新八を交互に見やり、銀時はポツリと呟いた。

「新八は、何でてめえなんかを助けちまったんだろうな」
「知らねえよ。コイツに聞けやクソ銀時」
「聞けるもんなら聞いてるわクソ高杉」

 そして即座に文句をつけてきた高杉に同じように言い返し、ハアァと大きなため息で締め括る。

「……でも何つーか、自分とお前とを土壇場で秤に掛けられるような、器用な奴じゃねーしな。新八も無意識に身体動いてたんだろうな。てめえを助けるためによ」


 『お前を助けるために』。


 他ならぬ銀時の口からそれを聞いて、高杉は心臓に針を刺されたような痛みを不意に覚える。新鮮な痛みだった。鮮烈な感情だった。

「……俺を恨んでんのか」

 押し殺した声で問うと、全くもって平然とした目で見返された。銀時の、いつもの怠惰な眼差しで。

「お前を恨んだくれェで新八が目ェ開けてくれんなら、いくらでも恨むわ。でもそうじゃねーだろ。てめえを助けた新八の行動の意味ってさ」
「……フン」


 銀時の静かな声が、夜の淵に溶けていく。高杉の掠れた吐息も同様に。


高杉と銀時は結局そのまま一睡もせず、白々とした朝が来るまでずっとずっと新八の側にいた。







 翌朝早く、山間の村から呼ばれてきた医者が新八を診察してくれた。

「高いところから落ちたのに、かすり傷などはあるがほぼ無傷。これは……奇跡的な事ですよ。命が無事でよかった」

 枕元に置かれたたらいの水で指を洗いながら、診察を終えた初老の医師はにこやかに告げる。けれど、その笑顔は長くも続かなかった。

「だが、未だに意識は回復しない……このまま少年の意識が戻らないようなら、必ずきちんとした設備のある病院に運ぶように。経口摂取で栄養が摂れないのだから、点滴の必要があります。転落で身体は無事だったが、脳に損傷が出たのかもしれない。詳細な精密検査が必要です」

 新八の枕元に座し、これを聞いていたのは高杉と銀時、桂と坂本の四人だった。ひとまずは四人だけの共有事項とし、新八の負傷は他の誰にも知らされていない。
 だけど、それも時間の問題だろう。特に新八が目覚めぬ場合だ。いつも高杉達の側に居るはずの人物の不在に、しかも長きに渡る不在に、必ずや他のメンツも気付き始める。リミットは三日程か。

 医師は険しい顔を崩さずに告げ行く。

「いいですか。このままの状態で三日が経過したら、必ずや少年を町の病院まで運ぶように」

 しかも、箝口令を敷けるリミットの話だけでなく、新八の体力の問題もある。いかに意識がないとは言え、飲まず食わずで人が永らえられる筈もないのだからして。




 医師が帰った後の小部屋で、誰も話す者は居なかった。皆が皆重く押し黙り、かと言って部屋を出て行ける筈もなく、ただただいたずらに時間ばかりが過ぎ……ていくように思えたが、そこはやはり桂の采配が光るのだ。

「いい加減にせんか、お前たち。ここで皆で押し黙っていたところでどうなる?新八くんが回復するのか?違うだろう。早く自分の持ち場へ戻って行け!」

 新八の布団周りにぞろぞろと集まった男達を一喝する。しかしながら、この一喝が効くのはどうやら坂本だけらしい。「わかったぜよ」などと至極素直に返して出て行く男は別として、残る他二名の不貞腐れ野郎共ときたら。

「絶対ェ嫌だ。ここ居るもん、俺。新八の好きそうないちご100%あたりを読み聞かせしてるからいいよ。放っとけよヅラ」
「俺ァ帰んねえぞ、ヅラ。ここから鬼兵隊に指示を出す。俺の指揮権なら問題ねェ」

「貴様らァァァァァァ!!駄々っ子か!」

 銀時と高杉のテコでも動かぬ様子に、言い出した桂の方が根をあげるのも時間の問題であった。




 時は刻一刻と流れ、新八が負傷してから既に丸一日が過ぎようとしている。昨日とは打って変わって晴れやかな陽射しに見舞われた今日の、赤々とした夕日が小部屋に作りつけられた窓からも射し込んでくる。
 それなのに、未だ新八は目覚めない。このままの状態で明後日になれば、それはもう新八との別れを意味している。新八をこのままにしていていいはずがないからだ。

 新八が目覚めぬのなら、それ相応の設備のある病院に運ばねばならない。だが運んだら終わりではない。新八が居なくなった後……果たして自分たちはどうなるのか。

 その現実は重く、高杉と銀時の肩に潰えぬ迷いを落としていた。


 「本当にいい加減にせんか、高杉。そして銀時。もう丸一日もここに居るだろうが。お前たちが寝ずの番をしていたところで、新八くんがどうにかなる訳じゃないんだ。自分の為すべき事を為せ」

 未だ頑として新八の部屋から動かない高杉と銀時を見るに見兼ねて、桂は幾度目かになる訪問タイムの真っ最中だった。だがそれでハイと素直に首を縦に振る男達が相手なら、桂だとて最初から苦労はしていない。

「俺が今為すべき事なんざ、ここに居ることだけだ。放っとけヅラ、テメェ斬るぞ」
「俺も為すべき事なんてそうはねーよ。てか知らねーよ。今は新八の側に居てえだけだし」

 高杉は血走った目で刀の鍔に指をかけ、銀時もまた、血走った目で桂を睨む。そんな二人の尋常ならざる様子を見て、やれやれと首を振るのは当の桂でしかないのだった。


「……お前たちときたら、全く……」

 しかし桂にどう呆れられようが、どう小言を言われようが、高杉も銀時もここを動く気はなかった。新八の側を離れる気など毛頭起きぬ。


 だから銀時はいちご100%を新八の枕元で延々と読み聞かせ、

「『真中君を好きだったことも、結局想いは実らなかったことも全部感謝できるよ。あたしの中の様々な感情を真中くんのお陰で知ることができたから……』ってオイ、マジ真中クソじゃねーか?何これ、何この展開。今の俺が何で三角関係なんざ読まなきゃなんねーんだよ、このメガネマンコは何考えてんだよ、はよ真中ボコせや」

などといちご100%の19巻、東城綾の名台詞にケチをつけつつページを捲り(謝れ)、

高杉と言えば、襖の向こうに控えた部下に対し、

「次にいつ戦があるかも分からねえ。今回ばかりは勝ったとは言え、ぬかるんじゃねェぞ。気を引き締めていけ。要は……テメェらであとは各々鍛錬しとけ」

顔も見せずに至極偉そうに言いつけているだけであった(こんの面倒臭がりッ)。二人そろって新八の側を片時たりとも離れなかった。




 だけれど、時間は少しも立ち止まってはくれない。そんな風にしていたずらに時間ばかりが過ぎて行くのを運命は嘲笑うように、新八はついに一昼夜どころか、丸二日間も目を覚まさなかったのである。


Many Classic Moments48


*まとめ*



 ようやっと新八を城内に運び入れた頃には、既に陽も傾き、辺りには夜の帳が下りていた。雨勢だけは少し衰えを見せていたが、未だ細く降り続く雨は止まない。


 「とりあえず……医者に見せる前に、新八くんの身体を拭き清める必要があるな」

 新八の身体を城内の一室に横たえ、桂は物々しく告げる。新八を寝かせた布団の枕元に座するのは、枕を挟んで銀時と高杉の二人だった。
 部屋に灯された行灯の炎がパチパチと爆ぜている。その仄かな明かりに照らされて尚、目を開けぬ新八の頬は白蝋のように白々とし、薄い瞼の青白さがひどく痛々しかった。

 未だに新八の格好は戦装束のままなので、早急にこれを脱がし、全身の傷の手当てをする為にも清拭の必要がある。雨に濡れたままの着物でいるのも、体温を下げる原因となるだろう。素早い処置が必要なのだ。
 だから銀時はそんな新八をふと見下ろし、次にはもう桂にキッパリと目を向ける。

「うん。綺麗な布とお湯持ってきて、ヅラ。俺に任せろよ」
「オイ……何でテメェが当然のようにその役割を担おうとしてやがる。殺すぞ銀時」

 何故か当然のように物申した銀時をギラリと睨み、高杉がじりっと膝でにじり寄る。ここまで新八を背負って運んできたのは高杉だからして、そして高杉もまた怪我人ではあるのだが、もはやそんな事も言っていられなかった。

 しかし銀時と言えば、高杉から向けられた殺意のような眼差しを気怠く受け止めただけである。

「は?いや別に、だって新八の事だろ?着物脱がして身体拭くだけじゃねーか。俺がするのが早えわ。つーか逆に高杉は何を考えてイキってんの?また何かいやらしいこと考えてんの?あーやだやだ、脱童貞したばっかの野郎ってすぐこれだから」
「…………てめェ……今こそ本格的に殺してやる」

やれやれ顔で首を振る銀時に、当然ながらこめかみに青筋を立てているのは高杉でしかない。

 そして二人してそんな掛け合いを続けていればホラ、

「やめんか貴様ら!こんな時まで喧嘩か!俺がやるに決まっているだろう、不公平がないようにな。こんな時こそ、俺が正確なジャッジメントを下さねばな」

すぐ側に座した桂が、ドンッと拳を畳に落とし、実に真面目くさった顔で高杉と銀時の両名を滔々と叱るのみである。こんな時でも喧嘩に余念のない二人を叱ることを決して止めないのである。
 だから真顔に転じた銀時が、桂の洩らしたセリフの不可解さについて言及してももう遅い。

「いや不公平って何。何でお前にジャッジされてんの俺らは」
「チッ……ヅラなら仕方ねェか」
「えええ仕方ないんだ、それで高杉は納得するんだ」

 何故か渋々と引いていく様子の高杉を見て、桂にならたやすく諌められる高杉を見て、延々とツッコミを入れているのは当の銀時ばかりであった。




 「銀時でも高杉でもいい、綺麗な布とお湯を持って来い。浴衣もな」

 もう既に己の着物の袂を小紐で括ると、桂は新八の着物の前を軽く解く。

「医者は?」

 銀時は問いかけ、未だに目覚めない新八の身体から着物が剥がれるのを見ていた。その白い身体の至る所に傷があるが、それより何より、新八の意識が頑として戻らない事が今は痛ましくてならない。

「動けるものに早馬を出すように頼んだ。明日の朝には来てくれよう。だから、お前たちもそのなりをどうにかしろ。血塗れもいいところだぞ、湯浴みでもしてこい。そして食事を摂ってこい」

 桂はふううとため息を吐き、医者を呼んだ経緯を伝える。
 ここは居城とは違い、典医など居ない無骨な山城。当然の如く自らで自らの傷の手当てをするしかないのだが、それも軽度の怪我にのみ限られている。重傷者や重体のものは軍を離れ、きちんとした設備のある病院まで担ぎ込まねばならない定めだった。
 だけど、桂にこの場を辞すようにとついでのように言われたところで、高杉と銀時が素直にハイと頷く訳がないのだ。


「こんな状況で飯なんざ食えるか」

と高杉がそっぽを向いて言えば、

「そうだよ、飯食ってる気分じゃねーよ。新八の側に居たい」

銀時も即座に答える。二人がこれだから桂だとて、きりきり痛むこめかみを揉みながら、またもお説教に明け暮れざるを得なくなるのだ。

「馬鹿か貴様らは、頭を冷やせ。いいから水でも被ってこい!新八くんの側に居たいのなら、己の身なりくらい正さんか。どこの誰とも知らない馬の骨を斬ってきた血生臭い姿だぞ、病人の側になんて到底置けん。そして己の管理すらできない将に部下が付いてくると思っているのか。いい加減にしろ、銀時も高杉も」
「……わーったよ」

 正論すぎる正論でピシリと一喝されれば、銀時も渋々と頭を掻いて立ち上がった。

「高杉は鬼兵隊の皆に次の行動伝達でもしておけ。多分に今夜は勝利の宴でもあるのだろう」
「……ああ」

 そして、それは高杉だとて同じこと。渋々立ち上がり、本当に嫌々ながら部屋を出て行く高杉と銀時の背中を見送り、桂はまたも物々しくため息を吐いていた。





 一通りの身支度やら簡単な食事を大急ぎで済ませ、またも新八の居る小部屋の前に戻ってきたところで、銀時は高杉と鉢合わせになった。

「寝ねえの?」
「寝られる筈あるか」

 廊下に佇んだまま聞けば、いかにも不機嫌な返事が高杉から返ってくる。
 高杉も湯浴みやらを取り急ぎ終えてきたのか、黒の陣羽織から自前の着流し姿に変わっていた。銀時も今は簡素な作務衣を着て、小部屋に続く襖をスパンと開ける。

 高杉は銀時に続き、黙って部屋に入ってきた。


「鬼兵隊の宴会は?お前は出ねえの?」
「出たくねェ」

 部屋の中に入るなり、またも不機嫌な返事。だからもう銀時は高杉に構わず、部屋の中央に寝かされた新八の布団の傍らに胡座をかいて座る。もう一方には高杉がどっかりと座し、図らずも布団を挟んで二人は対峙する事になった。

 桂が新八の身支度や手当を施したのか、新八の姿も今は簡単な単衣のそれだ。こめかみの傷を覆うように頭に包帯を巻かれ、頬の擦り傷には大きな絆創膏が貼られている。掛け布団をかけられている為に窺えないが、布団を少し捲れば、その手足の至る所にまで包帯が点々と巻かれている事が分かるだろう。

 銀時はそんな新八をしばらく黙って見ていた。高杉もそれは同じらしく、しばし二人の間に会話はなかった。けれど唐突に、ついと顔を上げた銀時が気の無い風に高杉に匙を向ける。

「今回の戦って、てめえが主役みてーなもんじゃね?宴会の花形じゃねーか。いいから出てこいよ」
「ふざけんな。……出られる訳がねェ」

 高杉の返事はやはりにべもなかった。銀時の提案なんてきっぱりと一刀両断にし、あとはただただ新八をじっと見ている。

「……だよなァ」

 新八を見つめるその横顔があまりに痛切で、狂おしい何かが透けている気さえするから、銀時も小さく嘆息するくらいしかできなかった。




 「なあ。お前……新八に凄え惚れてんのな」

 それから小半時も、二人して黙ったままでいただろうか。この部屋に入ってから、否この城に帰ってきてから、高杉がいつもの煙管を一度も吸っていないことにようやく気が付いた瞬間、銀時はついつい思った事を口に出していた。


「……テメェに話す道理はねェよ」

 やはりと言うか、高杉の返事は容赦ない。だから銀時はいつものように高杉をからかうことはせず、もう勝手気ままに話すことにした。敢えて新八の横顔を見つめたままで、ごく静かに。

「高杉ならそう言うと思ったわ。てめえは俺に言う気がねェだろうけど……俺はさ、新八が好きだよ。何つーか、もう軽く自分の片割れみてェな?ツーカーで会話通じるしさ、こいつ俺の面倒ばっか見てるし」

 高杉に初めて、本当に初めて自分の気持ちを吐露した。自分は新八に惚れているのだと。自分の片割れのような気持ちで、新八に接しているのだと。
 新八が好きだと告げた瞬間、高杉がハッと顔を上げ、こちらをじっと見る眼差しに気づく。だけど銀時はまだ新八の顔を見つめたままだ。

「新八が居なきゃ……俺ァ多分もっとロクでもねーよ。もっとロクでもねー生き方しかできねえ。でもこいつが居るから、こいつがそんなんだから……まあ、そんな感じ」

 訥々と話し、ぽりぽりと頭を掻く。
 素直な己の気持ちを話すのは、やはり苦手だ。苦手過ぎる。そしてそれは銀時のみならず、高杉だとて寸分違わず同じだろう。
 

「分かんねェよクソ銀時。まあ……テメェが新八に惚れてるのは知ってたがな」

 銀時の告白を聞いた高杉は、ふっと薄く笑った。そして新八を見つめ続ける銀時の顔を見やる。銀時はまだ顔を上げない。

「うん。でも新八が惚れてんのって、多分……てめえなんだよなァ」

 
 そして吐き出された声に、あの殴り合いがあった夜とは違う、静かな銀時の声に今度こそ高杉は何も言えなくなった。

Many Classic Moments47



*まとめ*




 それから暫く後、銀時が桂と坂本を連れて走ってきた。三人を待っていた時間はほんの数分程だったのだろうが、高杉には無限のようにも感じられた。


 「どうしたんだ高杉、新八くんが崖から落ちて意識がないだと!?」

 新八を抱き抱える高杉の傍らに、最初に駆け寄ってきたのは桂だった。頬に少しばかりの泥汚れがあるが、それ以外は至極きちんとした身なりのままだ。敵をどれだけ斬っても乱れぬ様相が桂らしい。

「ああ……どう呼び掛けても目を覚まさねえ」

 高杉は新八を抱いたまま、ポツリと答える。
 雨雲に隠れた中でも陽は既にかなり傾き、先程から敵の姿も見えない。どうやらここでは攘夷の軍勢に勝てぬと踏んだのか、幕軍は手痛い成果を持って逃げ帰っていったものらしい。戦は終わったのだ。
 しかし戦だけならこれで終わりでいいが、ここに残った誰もが皆、一向に晴れぬ心を抱えたままだった。


 高杉に抱えられたままの新八をチラと見て、その次には切り立った崖に目を馳せるのは坂本である。

「でも、あそこから落ちたんじゃろ?あの高さから落ちて、よう無傷でいられたもんぜよ。運はこっちにある。新八くんもきっと助かる……だからそう悄気るな高杉」

 確かに坂本の言う通り、新八は相当な高さから落下してきたものらしい。なのに、新八の身体には目立った外傷はほとんどない。山の中腹から数メートルの高さを落ちて尚無傷でいるなんて、普通であれば有り得ぬ事だ。だから生きているということ自体が、既に幸運なのだ。僥倖だ。
 しかし、そうとは分かっているのに、坂本の励ましにもギリリと牙を剥くのはいつもの高杉でしかなかった。

「悄気るだと?テメェ誰にもの言ってやがる。ふざけんなクソ天パが」

 坂本への罵倒に込められたフレーズに、傍らの銀時がひょいっと顔を起こす。

「いやそれ、俺に常に言ってる罵倒だよね。辰馬にも応用しだしたお前の語嚢がマジ貧困過ぎて、軽くかわいそうなレベルなんだけど」

 だけど、もうどう評価されようとも高杉は銀時と争うつもりはなかった。真剣な面持ちで新八の身体を見定める桂に向け、検分しやすいように新八を抱き起こす。

「こめかみに傷があるな。頭を打ったのか。外傷は……見てみるから、俺に少し手を貸せ。高杉」
「分かった」

 新八の身体を見ていた桂は、新八の頭の傷が一番気にかかるのか、何度も何度もそこを確かめていた。だがやはり皆の見た通り、新八は身体だけを見れば無傷も同然である。手足は無数のかすり傷だらけだが、骨が折れた形跡もない。軽い捻挫や打撲はあろうが、著しい損傷はどこにもない。なのに、新八は目を開かぬ。
 ほとんど無傷で生還した事への幸福と、なのに一向に目覚めない事への不安が刻一刻と募っていく。


 やがて桂は重いため息を吐いた。

「目立った外傷はないな。かすり傷は至る所にあるが……だが、それ故にこうまで意識を失ったままなのが気にかかる」

 桂の診立てに賛同するのは銀時だ。だらりと下がっていた新八の手を取り、優しく摩る。

「確かに、何かで引っ掻いたみてえなかすり傷がすげーな。でもよ、あの高さからそのまま川に落ちてたら無事でいられる訳ねーよ。岩にぶつかりゃ骨だの何だの飛び出るし、下手すりゃ水面に叩きつけられた衝撃で内臓系が全部パーだって」
「と言うことは……」

 銀時のセリフに言葉を挟み込もうとしていた桂の声を遮り、その後を高杉が受け継ぐ。銀時と桂の顔を、交互に見据えて。

「ただ落ちるだけじゃなく、一回や二回は斜面に生えてる木の茂みに突っ込んで、どっかでバウンドしてんだろう。落下の速度をそれで殺してる。だから……川に落ちてもそこまで酷い外傷は負ってねえ」
「なるほどのう。つくづくラッキーぜよ。さっすが新八くんじゃ」

 高杉の見解に坂本が感嘆の意を唱えた。ふむ、と唸って斜面に生えた木を見ている。

 高いところから落ちた人間が、無傷で済むはずはない。人間の身体ほど柔く、脆いものはないのである。どれほど身体を鍛えていようが、地面や水面に叩きつけられでもしたら、そしてその衝撃で内臓系の臓物が少しでも飛び出そうものなら、大抵の人間は間違いなく死ぬ。だが何かしらの幸運が重なり、その運命から免れる事例がない訳ではない。
 何らかの障害物に細かくぶつかって落下のスピードを殺せたであろう事が、今の新八の生死を分けたと言っても過言じゃない。恐ろしく幸運なことに、新八がほとんど外傷を負っていないのはその為なのだろう。

 高杉や銀時の話を聞き届け、桂はまた深く息を吐いた。新八の青白い額にそうっと手を添える。

「しかしそうも言ってられん。頭を強く打ってるなら、身体以上に脳へのダメージが懸念される」
「脳って……」

 桂の言葉に何かの不吉な気配を感じ取ったのか、銀時がすぐに気色ばんだ。紅い眼を見開き、桂の顔を見る。しかしながら、桂がそれで言葉を区切るはずもない。

「新八くんがこのまま目覚めずにいる可能性も、なきにしもあらずということだ」
「テメェ……!」

 次に気色ばんだのは高杉だった。絞るような声と震える右手で桂の胸元を掴むが、桂は凛然とした声音を決して崩さない。

「止めろ高杉。俺は可能性を口にしただけだ。新八くんをそんな目に遭わせたい筈がないだろう。お前だけじゃない……ここに居る誰もが、新八くんを助けたいと思っているんだぞ」
「っ……」

 しんと澄んだ眼差しで見られれば、高杉も手を引っ込めざるを得ない。ここで桂を殴ったところで、桂の診立てが消える訳ではないのだ。新八が目を覚ます保証など、どこにもない。
 渋々と引けば、桂が居住まいを正すのが分かった。高杉に掴まれて乱れた着物の胸元を直し、きっぱりと口を開く。

「とりあえず、もうここには居られまい。新八くんを城に運ぼう。もうじきに陽が暮れる……此度の戦は俺たちの勝ちのようだな」

 静かに勝ちを告げる桂の声。やはり高杉が立てた作戦のおかげで、今回の戦は幕軍に圧勝したのだ。しかし間接的にとは言え、危険を顧みずに作戦を決行した高杉の判断により、新八は今こうして意識を失っている。
 これほどに嬉しくもクソもない勝鬨が、今までにあっただろうか。これほどに後悔しかない闘いが今までにあったか。しかも高杉の心痛を分かっていてなお、銀時が皮肉るように呟くのだから。

「ああ。勝ったな今回は。どっかのクソ総督が立てたクソみてーな作戦のおかげでな」
「銀時も止めるんだ。こうなったのは誰かが悪い訳じゃない……高杉の気持ちを考えろ」

 銀時の盛大な皮肉を、さすがに今度ばかりは桂が諌めてくれる。だが高杉はもう聞いても居られず、ひどく冷えた新八の身体を無言で背負った。座ったままの姿勢で、新八の腕を己の肩に回す。

「……ヅラァ、てめえの鉢金寄越せ。銀時もだ」

 そうしてから、呟いた。
そんな高杉の行動とセリフに虚を衝かれたのか、銀時は二、三回ほど目を瞬かせる。

「あん?俺らの鉢金なんてどうすんだよ。つーか何で急に新八を背負ってんの」
「俺が新八を運ぶ」
「はあっ!?何言ってんだよお前、無茶過ぎるわ!左腕斬られてんだろうが!やめとけよ、新八は俺が運ぶからいいって!」

 高杉が告げた言葉を、間髪入れずに銀時は持論で撃ち落とす。
 高杉は分かっている。ここは誰が誰に嫉妬しているだの、誰を好いているだのと甘い事を抜かしていい場面ではないことを。銀時だとてそうだ。負傷もなく危うさもない自分の頑健な身体と、片腕もろくに使えぬ高杉の身体を秤にかけて、自分に新八を任せろと言っているに過ぎない。

 だが新八の身体に触れようとした銀時の手を、バシッと容赦なく払いのけたのも高杉だった。

「……触んじゃねェ」
「あ?てめえ……誰のせいで新八が、」

 低く唸るような声を出す高杉を見下ろし、銀時が即座にこめかみに青筋を立てる。だけどすぐさまに高杉に食ってかかろうとする銀時を止めるのは、その背後にいた桂の役目だ。

「銀時!止めろ!……まずは高杉の話を聞こう」

 そして、辛いような苦いような、何とも言えない表情で高杉に向き直った。その目の奥に浮かぶのが、新八への心配だけでなく己へ向けた心配でもあると分かるから、高杉は今度こそ桂から目を逸らさない。


 あの日、桂に初めて新八との事で呼び出しを食らった日。

あの夜はどうしても見ることができなかった桂の目を、今はしっかりと正面から見捉える。すうと息を吸い込み、高杉は話しだした。


「俺の左腕は……使えることは使えるが、普段のような力は出ねえ。だから新八を落とす事がねえように、俺の身体と新八の身体を布で固定しろ。きつく縛れ。そうすれば……」

 先ほど新八が高杉を手当てした時のように、鉢金を捨てた後の額当てはただの白い布と化す。それを包帯のように利用し、新八をおぶった高杉の左肩を中心にしてぐるりと二人を巻けば、一応は新八が高杉の身体に固定される算段だった。
 意識のない新八には自力で高杉の背にしがみつくことはできない。高杉だとて左腕を斬られているのだから、そんな新八を自力で背負い続けるのは土台無理がある。けど確かにこの方法であれば、最初から新八の身体を高杉の背に固定しておくのなら、使えぬ左腕の為に高杉が新八を取落す心配はないだろう。

 だがしかし。


「確かに、お前の脚は健在だからな。できることはできるだろうが、やれば確実に傷に響くぞ。下手をすれば左腕の傷が開く」

 桂がほうと息を吐く。やれやれと言った風情がありありと透ける、その表情。

 左肩を中心にきつく紐を巻いて新八を負ぶうのなら、それすなわち負傷した左腕への影響は免れない。出血は止まってはいたが、人一人分を背負って山道を行くだけの力が高杉の身体に残されているとも思えない。

 なのに次にはもう、高杉は一切考える事もなく口を開いていた。

「いい。かまやしねえ」

 どキッパリと宣言した高杉を呆れ顔で見たのち、桂はしみじみと首を振った。本当に微かにだが、確かに優しい笑みを湛えて。

「……だそうだぞ、銀時。どうする?お前にこの馬鹿を止められるのか?」

 そして今度はもう一人の幼馴染である、銀時を横目に見る。桂に促され、銀時もまた深くため息を吐いていた。

「お前さあ、高杉。お前ってマジバカなー。ほんっと、つくづくバカ……」

 バカバカと罵りながらも、銀時だとてもう高杉を止められぬ事はとっくに分かっている。このバカ(高杉)がどれだけ新八を好いているのかも、つくづくと、嫌になる程分かっている。いや──分かってきていた。

 だけどそうと分かっていてさえ、ハイそーですか、とは行かぬのが世の常。銀時の常なのだ。


「わーったよ。好きにしろよ。その代わり、てめえが少しでも弱音吐いたら新八は俺が奪うからな。てめえが痛そうなツラなんざ見せたら、即座に新八は俺が抱える。俺が新八を横抱きにして走ってった方が早えわ。その方が絶対ェ早えし、絵面的にもマジかっけえ。こういう時のチビはかわいそうだよなー、選択肢少ねえし」

 ぶちぶちと抜け目なく言い募ると、間近にいる高杉の怒りがふつふつと燃えるのが分かった。その怒りのボルテージが冷めやらぬままに、銀時は桂に向けて手を差し出す。

もう片方の手では、己の額当てをしゅるりと紐解いて。


「……このクソ銀時がァァァ……」
「よっし。ならもう縛るぞ。ヅラも額当て貸せや」

 高杉の憤怒も聞き届けず、素知らぬ顔をした銀時はもうさっさと布地だけにした額当てを使い、簡易な固定具を作り始めている。
 そんな銀時と、新八を背負ったままの高杉に目をやり、桂は己の額当てをするりと解いた。銀時に手渡しながら、ふっと唇を緩める。



「全く……つくづく粒揃いのバカが揃っているな、新八くんの周りには」
「まっことヅラの言う通りじゃ。まあ、そんなバカを止められんのがわしらの定めよ」
「ああ。本当だな坂本」


 その密やかな笑みに気付いたのは、当然の如く桂の横合いにいた坂本だけだ。

 

Many Classic Moments46


*まとめ*




 「新八!!」

 見つけた途端に高杉は走り出していた。泥を含んで重くなった川水の抵抗など最早どうでもいいとばかりに突っ切り、ざぶざぶと水を掻き分ける。
 銀時もすぐ高杉の異変に気付いたらしく、高杉の視線の先方向を目掛けて真っ直ぐに突き進んでくる。

「新八ィィィィ!!」

 先程から何度聞いたか知れぬ、銀時の叫び声。新八を呼ぶ声。
 その声を背後に聞きながら、高杉が急ぎ新八の元に駆けつけた時には、新八の身体は水の中に半ば浸かっていた。川縁にある巨岩のすぐ近くに身体を任せている。石のおかげで身体が堰き止められたのか、水流にのって川下まで流されなかったのは不幸中の幸いとも言えようか。

 だけど、新八のその様子。トレードマークである眼鏡なんて崩落の衝撃で簡単にどこかに吹っ飛んだのだろう、裸眼の素顔だ。いかにもぐったりとした様子で力無く目を閉じたその姿に、そして間違いなく新八のこめかみから流れたであろう血の跡筋に、高杉は心からの戦慄を覚えた。

 だって、この光景は先程己がイメージした図と限りなく似ているのだ。

──死。新八が死ぬ、その忌まわしい想像と。



「死ぬな!」

 水の中からザバリと冷たい身体を引き上げ、すぐ近くの川縁に横たえる。銀時もすぐ駆けつけて、すぐさまに新八の身体をその腕に抱いた。
 ピシャッと新八の頬を叩き、銀時が叫ぶ。

「新八!オイ!なあ、俺の声聞こえるか!?」

 大声もいいところだが、新八は目を開けない。ぐったりとしたまま、銀時に抱かれたままで、四肢のどこにも力は入らない。糸が切れた人形のようなその様子に、決して開けられない青白い瞼に、銀時の顔が見る間にさあっと蒼ざめていく。

「っ……ざけんじゃねえ!何で新八がこんな目に遭わなきゃなんねーんだ!」

 それはもはや叫びではなく、咆哮だった。そしてその銀時の咆哮は、紛れもなく高杉に向けられていた。

「何でだよ!……何でこんな、何でてめえなんかを庇って」

 銀時の声が悲痛に濡れる。その怒りも憎悪も、やるせない悲しみも、今だけはまるで己のものかのように高杉は銀時と共有できた。どこまでも近しい自分たちの心の在り方のせいで、辛いほど肉薄に。

けれど、己の不手際を詫びるより何より、高杉にはまだやるべき事がある。



 「……まだ、新八の心臓は動いてる。生きてる……」

 ぐっしょりと濡れた新八の着物の胸に手のひらを押し付け、その鼓動を確かめる。そして呼吸を確かめれば、新八は僅かではあるが息をしている。冷たい身体のどこにも力は入らずとも、目を開けずとも、確かに新八は生きていた。
 ほんの僅かの可能性でも、この生を繋ぎとめることができるなら。ほんの少しでも希望があるのなら、自分はなんでもする。
 だからそうだと分かった瞬間、高杉は迷いなくすっくと立ち上がる。


「ここにいろ、銀時。ヅラと辰馬呼んでくる」

 しかし高杉が言った途端に、銀時ははっしと高杉の右手を掴んだのだ。

「はっ?いや、ならてめえが残れよ。俺がひとっ走り行ってくるわ。その方が早え」
「あ?テメェ何言ってやがる……今は一刻を争う事態だ。俺が行く」

 銀時から胡乱な目で見られ、高杉もまた剣呑な眼差しで応戦する。なのに銀時は高杉の右手を離そうとしない。離すどころか、ぐいと引き、その馬鹿力で無理やりに高杉を座り込ませる。

「一刻を争う事態だから言ってんだろうがバカ。ちったァ頭冷やせや!てめえ今は左腕使えねーんだろ、またどっかで敵と遭遇したらどうすんだよ!闘えんのかよ、確実に勝てんのか」
「勝てる。俺を誰だと思ってやがる」
「いや即答ォォォ!?てめえなんざアホ総督だと思ってるわ!心の底からアホだと思ってるっつーの!てめえが敵と闘えねーから、新八はてめえを庇ったんだろうが!いい加減にしろよ、てめえのエゴにもう新八を巻き込むんじゃねーよ!死ぬ気でてめえを救った新八の気持ちを考えろ!」

 真顔で言い放った高杉を前にしても、銀時は全く引かなかった。むしろ問答無用で叱り飛ばす。無骨すぎるその言葉。だが、飾り気のないその言葉には剥き出しの銀時の心が乗せられている。

 新八が死ぬ気で高杉を庇ったという、その意味。死すら厭わず、高杉を護る為に敵と立ち回り、しまいには崩落に巻き込まれて。それでもか細くも命を繋いで、今なお生きようとしているその身体。
 そうして護られた自分と、護ってくれた新八。自分の独断と、新八の命の灯火。そのどっちを天秤にかけて行動すればいいのかぐらい、高杉にも嫌でも分かる。

 
「……悪かった。俺がここに残る。だから……テメェに任せた、銀時。助けを呼びに行け」

 だから高杉は、今度こそは言うしかなかった。限りなく不本意ながらも、銀時に謝るしかなかったのだ。
 自分の焦る心に急かされて行動しても、動かぬ左腕のせいで遅れを取り、銀時の言う通りに敵に殺されたら元も子もない。それでは助かるものも助からぬ。新八は助けられない。

 ならば新八の為に、ここだけは銀時の言う通りにしてやる。いや……してやってもいい。


 「……ん。分かればいいんだよ、分かれば。ほんっとお前みてーな生き急ぎ野郎、いつおっ死んでもおかしかねえよ。俺も何も言わねーよ。でも、新八は違ェだろうが。新八は……てめえのことを、」

 高杉から出た素直な謝罪の言葉が珍し過ぎたのか、銀時は一瞬だけぽかんとした顔になり、次にはぽりぽりと頭を掻いた。その後で、ぶつぶつと独り言ちる。
 けれど続く言葉をプツンと切り、顔を上げた銀時はもういつもの表情に戻っていた。

「今のてめえなんざ、俺のお荷物でしかねェよ。ならここで新八を護るくれェが関の山だっつーの」
「……チッ、分かったから早く行け」

 しかめっ面の高杉に向けてにっと笑んだ顔は、もういつもの銀時でしかない。
 腕の中に抱いていた新八を今度は高杉の腕にそうっと預け、銀時はすっぱりと立ち上がった。そのまま凄いような勢いで駆け出して行くのを見送り、高杉は新八の冷たい身体をそっと抱き締める。


(お前に言わなきゃならねェ事がある。お前に伝えてェ事が山のようにある。だから……死ぬな)

 しかしどう強く想っても、新八は目を開けない。その大きな瞳で高杉を見つめてはくれない。高杉さん、といつものように笑いかけてくれることさえ。

 ぱたぱたと新八の頬に雨露が滴る。白蝋のように白々とした新八の頬に滴った水滴は、果たして雨ばかりだったのか──それは誰にも分からない。




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