話題:歴史
七生まで
只同じ人間に生まれて、
朝敵を滅ぼさばや
初めて色つきにしてみました。
大東亜戦争時のスローガンとして有名な「七生報国」。
その元をご存じでしょうか?
足利軍を湊川で迎え撃つ楠軍。
3万5000対僅か700。
劣勢はどうしようもなく72名の部下と民家へ火を放ち自刃します。
兄・正成は
「何か願いはあるか?」
そう問いかけたところ、弟・正季(まさすえ)が返した言葉とされています。
よく兄・楠木正成の言葉とされていますが、軍記物太平記では正季の言葉とされています。
南北朝時代が北朝の勝利で終わると、朝敵とされてしまいます。
しかし、江戸時代には忠臣として見直されます。
その後は日本史の中でも屈指のヒーローとして描かれています。
国家存亡をかけた大東亜戦争。そこで使われた七生報国。
これには兄・正成だけなく正季の無念が込められているのです。
何時もコメントありがとうございます。
何よりも劣勢になろうと逃亡などせす、己の使命に忠実である。
これは日本人の美徳だと思います。
最近はそんな美徳さえ否定するクズが増殖してしまいました。実に嘆かわしい限りです。
何時もコメントありがとうございます。
今の日本では戦前に英雄視された武将や軍人は否定するのが知性だとでも思っているのでしょうね。
太平記は楠木一族なくして語れません。忠君とは彼等の事だと思います。
まさに日本文化の一つである敗者の美学だと思います。
桶狭間、厳島の戦い、河越夜戦etc圧倒的な戦力の差を緻密な戦略に基づいた作戦で覆した実例は、日本史上、幾度もありましたね
でも、残念ながら、大東亜戦争においては、゛物量゛゛国力゛に阻まれてしまったのかなぁ( ̄〜 ̄)ξ
確か、楠木正成の銅像が議事堂の近くに建ってるんですよね。
ただ、あんまり授業で詳しく習った記憶がありません(苦笑)
戦時中に支持された英雄だから、戦後は否定されてしまったんですよね……( ̄〜 ̄;)
足利尊氏より、こっちの方がよっぽどカッコいいのに(笑)