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中3中盤

この頃にはだれにでも好かれるようになり

変わった子から面白い子にもなった

KYも言われなくなり
非常識はそういうきゃらだと思われていた

だが神経を使い続けるのは相当のストレスが溜まり

とうとう入院するまで溜め続けた

友達への入院の言い訳は便秘だと言い笑い事にした

2週間の入院は独りでいる時間が多く気が楽だった。


自分を捨て、性格も変え、上辺だけですごすのは本当に正しい選択だったのか

今でも毎日悩んでいる

気がついたら友達は私にとって上辺だけで話す他人のような存在になっていた

中2後半

私は必死に変わろうとした

自分ではわからなかったので親友にだめなところを聞き

数十個あったので片っ端からなおしていくように心がけた

その数十個はすべてやはり障害による症状でもあった

誰かと2人以上で居るときは細心の注意を払い

一時の気も抜かず、言われたことを思い出し必死にはなした

家に帰って運動もしてないのに動けないほど疲れた

この時はほとんど毎日ひとりで泣いて過ごしていた

中2

中2になるころ私を知らない子はいなくなった

変わった子というイメージで定着し、みんなが私を知るようになった

でもそれは小学校の変わった子とはちがうものだった


私はオタク集団と絡むことになった

知らないアニメも全部知ったふりをして話していた

それはバレバレで私は何人かに陰でうざいと言われ

非常識ともいわれ
人を傷つける子とも
KYとも

私は追い詰められた

私には親友がいたが、その親友は結構思ったことをずばずば言う子で、私の精神は相当傷つけられた

最後に言われたのは中二病。

みんなに嫌われるのが怖いという相談をしたら一言そう言われた

私は先にかえるといい
こっそり泣きながら帰った

中学一年

ばれないようにでも友達は欲しかったから頑張って色んな人に話しかけた

沢山友達もできたしコミュニケーションも勉強した

大丈夫だとおもった

失敗したのが初対面の人をいきなり呼び捨てにしてしまったこと

不思議に思われたが何とか沢山の友達もできた

私は幸せだった

でも人に嫌われるのが怖いのでみんなに極力あわせるようにした

失敗だった

小学校

小学校三年生の時、ADHDとアスペルガー症候群発覚

日本のとても重度の80人の中の一人となった。

着替えるのに30分かかった
おかしな目で見られ変な子としてみられ続けた


毎日が辛かった

そんな自分が嫌になり中学受験をして
ある女子中に入った

なにかがかわるきがした

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