はあ〜、ふへえ
たぶんとっても長いし楽しくない内容になりますので先に謝らせてくださいごめんなさい
先日の日記で、知り合いの劇団さんに脚本提供したことを書きましたが、その話になります
脚本提供時に、『改編はしても大丈夫か』という打診がありました
正直、多少の改編は仕方ないかな、という位やりづらい脚本なのでそれは承諾しておりました
ただ、台詞の一つひとつ・句読点・ト書
全てにそれなりの意図を含めてある為、そこだけ心に留めておいて欲しいとお願いしておりました
先方はそれを承知してくださり、「改編したら一度データを送る」と仰ってくださいました
それなら安心かな、と思い、「楽しみにしている」と返信しました
数日後、先方の公式Twitterアカウントにて
「次回公演決定」
「○月に『□□□』を上演」
「作・させふじ 脚色・△△△」
という情報が公開されました
正直、少し驚きました
確かに上演を承諾してはおりましたが
てっきり公開前に改編脚本を送ってくださるのだと思い込んでおりました
しかし、元々別の脚本を上演する予定だったものを私のそれに変更されており
既に小屋も押さえていた為、上演日まであまり期間も無いことから、仕方ないのかなあとも考えておりました
もしかしたらまだ改編が終わっていないのかもしれない、とも思いました
少し不安を覚えつつ、そのままツイートを拝見していると、役者さん方のツイートが目に飛び込んできました
詳しくは書きませんが、強烈な違和感を覚えました
役者さんの、脚本に対する解釈が明らかに異なっていたからです
私は、脚本の解釈は演出のものであり、そして最終的には舞台に乗る役者さんのものだと考えています
改編もされていることですし、そもそも芝居のテイスト・座組の人間、何もかもが異なる為
私の書いたもの・上演したものとはズレが生じることは覚悟しておりました
ですが、それを鑑みても明らかに違和感がありました
私の脚本の台詞・ト書の何をどう読んだらその解釈が生まれるのか本当に分からず
しかし配役などは公開されておらず、情報が少なすぎた為、とりあえずデータが送られてくるのを待つことにしました
しかし、その後の役者さんのツイートもやはり違和感があり、不安が募っていきました
私が上演した時、役者さん方には物語の設定集を事前にお送りしておりました
今回、先方に設定集はお送りしていなかった為
もしかしたらそれも原因としてあるのかな、と考えました
設定集をお送りすべきか迷いました
正直、内容が重過ぎる為、あまり人にお見せしたくなかった為
そして、あまりに情報を送り過ぎることで、演出さんや役者さんが自由に世界観を深めていく機会を奪いたくなかったからです
ですが、原作が私で、私の名前まで出てしまっている以上、そうも言ってられないかな?と思いました
昨夜は私の芝居に関わってくださった知人と3人で飲み、上記の経緯や自分の考えを聞いてもらいました
とりあえず、途中まででもよいのでデータを送ってもらうべきだと意見をいただいたので、解散後にすぐ先方へその旨ご連絡しました
細かな修正点は残っているものの、一応最後まで改編は終わっていたようで
そのデータを送っていただきました
帰りの電車の中でそれを拝見しました
言葉を失いました
未だに上手く言葉がまとまらないのですが、なんというのか、えっと、とりあえず物凄く脚本も登場人物も雰囲気が変わっていました。なんかとってもポップ、そう、ポップでした
また、私の書いた台詞もそこそこ変更されていました。登場人物の喋り方、などでしょうか
これは公式アカウントでの発表時から知っていましたが、登場人物も増えていました
私の書いたものでは、女3人芝居
先方の脚色では、そこに男1人が追加されていました
上演時間を延ばす為に台詞自体もかなり増えており、またシーンの追加もあり、ですがそれは仕方ないことです
ですが、その、うん、とってもポップでした
そして、所々のシーンにおける解釈もかなり変わっていました
ここまで変わるものなのか、と脳みそが思考を放棄しました
いや流石にこれは不味いのでは?と考えましたが
いやでも、むしろこういう方向性が好きなお客様もいるのかな?と判断が鈍りました
ここまでの改編をするからには、恐らく役者さんや客層を考えてのことだと思ったからです
結局のところ、私は原作者の為、その脚本が良いのか悪いのかさえ客観的な判断を付けられませんでした
もう一度、目を通すべきか。とも思いましたが、どうしてもデータを開くことが出来ませんでした
とりあえず、細かな解釈の違いだけでもズレを減らしたい。そう思ったので、先方に設定集をお送りしました
読むか読まないかはお任せする
読んだ場合、設定集をどう扱うか。反映するか、役者さんに設定集を共有するか、それも全てお任せする
自分が感じた上記のこともやんわりと含め、そうお伝えしました
先方から来たお返事は概ね予想通りでした
やはり役者さんや客層、劇団のテイストを考慮してのポップで、そこはご容赦頂きたいと
かなり長文で丁寧にご説明いただいたのですが、『ポップ』という単語に支配された私の脳みそでは半分ほどしか理解できず、とりあえず最低限、意図は理解したので承諾しました
帰宅してからも、ずっとこの件について考えておりました
率直に思ってしまったこと
『脚本・させふじ』と載せないで欲しい
私の公演を見に来てくださった方や関係者以外は、どこまでが原作でどこからが脚色なのか分かりません
よって、今回ご観劇いただいた方には「させふじって奴はこういう脚本を書くのか」と思われるわけで
それが、とてもじゃありませんが耐えられそうにない
死んだほうがマシだと本気で思いました
脚本の取り下げも考えました
心配してくれた当時の役者さんに、申し訳ないと思いつつデータをお送りしました
その子の感想は、「ああ本当にその通りだな」とどれも納得してしまいました
本気で怒り、悲しませてしまったようで、勝手ながら送ったことを少し後悔しました
もうどうしたらいいのか分からなくなっておりました
そのまま眠れずにいました
物凄くお話を書きたくなったので、先日から少し暖めていた構想を引っ張り出し、夜通し書いていました
今朝方、別の友人からラインが届きました
その方も今回の件をとても心配してくださっており、同時にとても怒っていました
朝の6時から「どんな拷問する?」「こんな拷問方法を聞いたことがあるんだけど」と立て続けに刺激的なラインを送ってくださり、それがなんだか面白くて笑ってしまいました
同時に、安心感を覚えました。そうしたら、急に涙が溢れてきました
友人が「電話する?」と提案してくれたので、お言葉に甘えて1時間ほどお電話していました
彼女は「ちょっと考えたんだけど」と、ある提案をしてくれました
@脚本を取り下げる
A脚本名を変更してもらう。『脚本・させふじ』も削除してもらい、完全に先方のオリジナル脚本ということにする
Aについては思いつきませんでした
「それ、いいな」と素直に思えました
自分達の作品とは全くの無関係である
そういう体に出来るだけで、とても心が軽くなるように感じました
脚本名もかなり考えて名付けた大切なものなので
それを先方が使わないでくれるだけでも救われるような気がしました
@は、やはり先方のご事情を考えると言い出しづらいのと
Aであれば、先方もそこまで痛手は無いからです
早速、先方にAの旨お願いしました
先方もそれを承諾してくださったので、無事に私の脚本は無関係となりました
「Aはさせふじが妥協できるかだし、先方には何のダメージも負わないからスッキリしないけど」
と友人は仰っていましたが、この提案をしてくださった彼女には感謝しかありません
そんなこんなで電話を終え、ぼんやりとしていたらだいぶ日も昇ってきたので、とりあえず溜まっていた洗濯物を洗濯機にぶち込み、干しておりました
今日はとても良い天気で。なんだか、救われました
という長い長いお話でした
世の中では原作の漫画化・アニメ化・映画化・舞台化、などという話をよく聞きますが
人の手に渡るというのは、こんなにも苦しいものなんだな、と初めて知りました
他の脚本であれば、恐らくここまでは動揺しなかったと思います
それだけ、私は命を懸けてこの作品を書けたのだな、と改めて感じました
今日はどうしよっかなあ....台本の続き書きたいけど、衣装の材料も買いに行きたい....ていうか作業せねば....いやでも寝たい気もする....ふへえ