昨日、両親へ送るメールのチェックを姉夫婦にお願いしていました
今朝起きたら、二人からお返事がきていて
「もっとモネが何に苦しんできたのか、どんなことが辛かったのか、それが原因で今どういう状態なのか、
本当に些細な出来事でもいいから、思い出せるだけ思い出して、それも交えて内容を考えた方がいいと思う」
とのありがたいアドバイスを頂いた
ので、それからずっと、じっくりと、自分の記憶を掘り起こしてメールを書き直していた
正直、話を綺麗に上塗りしている部分もあるし、私はまだ病院でちゃんと受診した訳でもないからなんとも言えんけど
今まで言わずにおいた記憶たちがどろどろ流れ出して、これらをとうとう両親に伝えねばならないのかと思ったら
なんだかよく分からない涙が出てきてふへえってなった
そうして書き直した文章を、改めて姉夫婦にメールでチェックをお願いしました
気がつけば三時間くらい経っていてファ!?!?となり
そういえばお腹すいたなーと思い至った矢先、姉上から電話が掛かってきた
なんぞなんぞと出てみると、電話越しにどえらい号泣している音が飛び込んできてギョッとした。マジでビビった
メール読んだよ。よく頑張って書いたね
あの時モネを守れなくてごめん。気づいてあげられなくてごめんね
そう、涙越しに姉上の声が聞こえてきて
本当にビックリしたし、姉上やきょうだいを責めるつもりなんて全く無かったから少し焦ってしまった
それと、なんだか許されたような気持ちになって、私もつられてボロ泣きしてしまった
旦那さんも電話越しに「よく頑張ったね」「俺達は絶対傍にいるからね」と労ってくれて
人と人との繋がりって、血なんかじゃあないのだな、と改めて思いました
二人から「この文章で大丈夫」とOKをもらったので
両親と、姉&私宛にメールが来ることも多かった為、姉上も含め三人にメールを送りました
あまり時を置かず、父上からお返事が来ました
母上からは直接は来ていないけれど、姉上宛にメールが届いていました
謝りたい、会って抱きしめたい、出来損ないなんて思ったことはない
ざっくり言えば、そのようなことが書いてありました
父上から追加メールで、「今から母とモネに会いに行こうと思うんだが今日は家にいる?」との連絡が来たのでかなり焦った
二人に会える状態じゃないからごめん、と急いで返事したら
(既にこちらに向かいかけていたらしく)今日は引き返すから、モネが会えるようになったら連絡をくれ
と返事が来てほっとした。会えるかーい
私が25年間生きてきて思ったこと、感じたこと
何が苦しかったか、何が悲しかったか
それから、私が同性愛者であること
全てではないけれど、ひっくるめて、やっと伝えました
正直、わざとそういう内容や書き方をした部分もあるけど、読み返すたびにウッ....となる
しにてーとか普通に言うしな。両親の死ぬ死ぬ発言が何より嫌だったからわざと付け足したけど
今年は年末の年末まで、波乱に溢れた一年でした
おかげで今日が大晦日って気が全くしない
思ったよりも、後味はスッキリしていなくて、どんよりしていて
でも、それも少しずつ消えていけばいいなと思います
追記は、両親・姉上へ送ったメールです
色々と痛いやら恥ずかしいやら苦しいけど、忘れたくない
【私→父上・母上・姉上】
Sub:私が思っていること
返事が遅くなってごめんね。
メールを読みました。
電話は本当にタイミング悪く繋がらない状況だったから、わざと出なかった訳じゃないことを念のため書いておきます。
私がずっとずっと思ってきたこと、感じてきたことをメールでまとめました。
メールで伝えるなんて卑怯だから電話をしてこい、とのことだけど。
私ね、直接お話したくても、お父さん・お母さんが怖くて全く喋れなくなっちゃうんだ。
喋りたくても、涙が止まらなくなって、喋れなくなる。
何故そんなことになるのかの理由も含めて、私が思ってきたこと、少しずつ書いていくね。
▽▽▽▽▽▽
まず、お姉ちゃんのメールと同じ内容になるけど、私も病院に行って、お医者さんから診断された結果を二人に伝えただけなんだ。
私が二人を苦しめたいから連絡を断っているだなんて、そんなことを本当に思っているんですか?
私は、私が苦しいから連絡を断っています。
私は、子供の頃からずっと二人が怖かった。
二人の中にはずっと『理想の娘』像があって、その像からずれると私を否定されて、
“私は駄目な子供なんだ”
“出来損ないなんだ”
ずっとそう思って生きてきました。
『モネは変わっている』『野生児』『宇宙人』
そういった言葉もたくさん聞いてきたけど、それもすごく嫌でした。
二人の中では、子供の頃の、私の記憶が強く残っていて
懐かしい思い出として話題に出すんだろうけど
「この子は昔変な子だったの」だなんて、誰彼構わずネタにしないで欲しい。
変な子、変な子、変な子。
私は、そんなに変な人間ですか?
25歳になった今でも、昔の記憶を引っ張り出して、「モネは変な子」とレッテルを貼り続けるの?
私が何を言ったら、何をしたら、突然二人が怒るのか分からなくて怖かった。
小学生の頃、学校で『親御さんに協力してもらってやりましょう』と出された宿題がありました。
確か、歴史の宿題だったかな。
両親がそれぞれ縄文人・弥生人どちらの遺伝子が強いか、幾つか質問項目があって、回答の点数を数えるとどっち寄りか判断できる、ってやつ。
私はその宿題を、二人とやるのをすごく楽しみにしていました。
二人が一緒にワイワイやってくれるって期待してたんだね。
晩御飯を食べ終えて、皆でテレビを観ていた時に、「こんな宿題が出たから答えて!」とお願いしたと思います。
「こんなの一々聞かないで勝手にやればいいじゃない」
「あんたバカじゃないの?」
私の記憶に間違いが無ければ、母にそう言われました。嫌そうに。
あの時は「ごめんね、私がバカだったね」と笑って、すぐに二階に逃げて一人で泣いていました。
お母さん、私、バカだった?
お母さん、私は何でバカって言われたの?
それから、宿題は親に頼らず、自分でやった方が平和だなと思いました。
夏休みの宿題の読書感想文とか、すごく苦手で、頑張って書いたものをお母さんに見せたらすごく怒られたことをよく覚えています。
本当に出来ないことを怒られるのは、子供ながらに辛かったし、
『何で出来ないのよ!』と怒られて悲しくなる位なら、頼ったり相談するのは止めよう、と思うようになりました。
私が、自分の考えや悩みを言わなくなったのは、多分こういった記憶から来ているのだと思います。
同じく小学生の頃だったかな。
アイスか何かのゴミの捨て方、だったか何か、ちゃんと覚えてなくて申し訳ないけど。
お父さんにそのゴミのことで、とても怒鳴られたのを覚えています。
お父さん、あの時、あんなに怒鳴られる位、私は悪いことをしたのかな?
いつも怒られて、ゴミもまともに扱えない私は、もうこの家には居ない方が良い。何をしても怒られる。家出しよう。
あの時、本気でそう思って家出しようとしていました。
誰も見てないうちに家出しようと玄関に着いた時、ちょうどお母さんが来ました。
その時、お母さんは怒っていなかったし、慰めるように話し掛けてくれたから、思わずボロボロ泣いてしまいました。
でも、そのまま玄関で話を聞いていたら、いつの間にかお母さんが「大体あんたはね…」と私に怒り出していました。
何を言われたかは思い出せないけど、あの時どうして私は追い討ちを掛けられたのかな。
この2つの例は、私が怒られた記憶のほんの一部です。
いっぱい怒られたね。でも、そこまで怒鳴り散らす必要はあったのかな?
怒鳴ったり、「あんたなんてうちの子じゃない」って縁を切られたり、無視される必要はあったのかな?
私は、親のさじ加減一つで簡単に縁を切られたり戻したり無視していいような、そんな都合の良い存在なのかな。
“怒る”のではなく“叱る”選択肢はなかったのかな。
小学生の頃って、両親の存在は本当に影響が大きいんだ。
絶対的な存在で、機嫌を損ねたら、子供は生きてはいけない。
だから、言葉は慎重に出そうと思いました。
自分の考えや思いは、言っても怒らせるかもしれないから、何も口に出さないでいようと思いました。
捨てられたくなかったから。怒られたくなかったから。嫌われたくなかったから。愛されたかったから。
二人は私をよく『宇宙人』だと言うけど、
私からすれば、二人が『宇宙人』です。
言葉が通じない。何が地雷か分からない。
気づいたら、自分の思っていることを人に話そうとするだけで
緊張して、相手が怖くなって、喉が詰まり、涙が出るようになっていました。
それは今でも克服しようともがいている所です。
出来るだけ地雷を踏まないよう、失敗しないよう、
二階によく篭っていました。
二階に居た時は、とにかく本を沢山読んでいました。
演劇が好きになったのは、本を沢山読んだからかもしれないね。
中学時代には、自分の思っていることを、二人だけじゃなくて、友達にも伝えるのが怖くなっていました。
“変な子”“ムカつく子”、そう思われるのが怖くて、
学校でも、ひたすら友達の話や悩みの聞き手でいるよう気を付けていました。
自分の感情や想いの捌け口が、あの頃は何処にもありませんでした。
だから本を読んで、物語の世界にどっぷり浸かっていました。
物語の世界なら、何一つ我慢しなくていい。
自分の感情を、自分が共感できるキャラクターに乗せて解放してやれる。
そこから演劇にも興味が湧きました。
演劇は、私にとって感情を表に出すリハビリと同じものです。無くてはならないものです。
ありのままの私を受け入れてくれたのは、演劇と、演劇で知り合った大学の友達です。
演劇漬けになって、学業を疎かにしてしまったことは私が完全に駄目でした。
でも私は、実家を離れて、演劇をしながら一人で自分のことや家族のことをじっくり考える期間が無ければ、精神が壊れていたと思います。
あんまり言いたくもないけど、『死にたい』とか『死のう』って何度も思ったよ。
何で私みたいな出来損ないなんかが産まれちゃったのかな、って、何度も思った。
私なんか死ねばいい、って何度も思った。
今は、出来るだけ「死にたい」とか考えたり口に出さないように気を付けている最中です。
だからもう言わない。
それと、私の名前の由来を聞いたことがあったと思うけど、
「三番目はもう特に付けたい名前がなかったから由来がない」っていうのは、子供ながらにショックでした。
勿論、音の響きや珍しい名前を考慮してくれたのは聞いていたし、私は自分の名前を気に入っているけど、
それとは別として、ちょっと悲しいなーと思いました。
由来が無いなら無いで良いけど、それをそのまま子供に言わないで欲しかったかな。
それから、これはずっと二人に伝えなきゃなって考えていたこと。
最近で、私がずっと苦しんで来たのは、
早く結婚してほしい、孫の顔が見たい。
二人から心配も込めて、その言葉を聞くことが何度もありました。
結婚して子供を産むということは、とても立派なことだと私も思います。
私自身、子供は大好きです。
でも私は、同性にしか恋愛感情を抱くことが出来ません。
今まで異性・同性とお付き合いしたこともありますが、私には好きになれない異性と結婚や子供を作ることは絶対に出来ません。
もっと早く言えば良かったのかもしれませんが、
「同性愛なんて気持ち悪い」
と実の両親に思われるのがこわくて、今まで言い出せませんでした。
実際に、あまり良い印象を抱いていない様子は感じ取っていたので、ずっと言えませんでした。
自分が同性愛者だということも、子供の頃から私を苦しめてきました。
理解されない、嫌われる、結婚も出来ない、子供も作れない。
耐えきれなくて友達に言ったこともあったけど、やっぱり「気持ち悪い」って言う子はいたから。
でも、私も改めて就職して、私なりに自立しよう、幸せになろうと、もがいているところです。
今がベストな機会だと思うので、二人に打ち明けました。
私は私の生き方を変えることは出来ません。
私のことを「期待外れの娘」や「気持ち悪い」と感じて、
そんな思いが二人の心に少しでも残り続けるなら、
少しでも、私に何かを期待する心が付いて回るなら、
私は自分の為にも二人の為にも、今後同じように距離を置いて、連絡も絶ちます。
もう、過去の話を持ち出されるのも、その過去を否定されるのも、今の私に何かを期待されるのも、“期待に沿ってくれない”と嘆かれるのも、感情の捌け口にされるのも限界です。
“自分たちの人生を歩んでいってほしい”
以前、そうメールしてくれた時の二人の愛情と想いを信じて、私は自分の人生を生きます。
25年間、時間やお金や、いろんなものをかけて一生懸命私を育ててくれたこと、本当に本当に感謝しています。
私のわがままや、根性の無さで、二人の期待に沿えないことが沢山ありました。
それでも、私は自分で選んだ学校や、就職先に何一つ後悔していません。
二人にはいっぱい心配や負担をかけたけど、それでも私があの大学に行くことを許してくれて、本当にありがとう。
そのことで「モネが原因で症状が酷くなった」「モネに振り回された」と感じたなら、
二人が私のことを考えたり会うたびにその思いが付いて回るということです。
お互いに距離を置くことがなおのこと大切なのだと思います。
私はもうその言葉を二度と聞きたくない。
長いメールになりましたが、読んでくれてありがとう。
きっと、一度読んだだけじゃ伝わり切らないから、何度も読み返してもらえたら嬉しいな。