一日の執務を終えて自分の部屋に戻ってみれば、何やら人の気配がする。
警戒しつつ扉を開けて素早く室内の様子を伺うと、そこにはベッドに大の字になって寝転ぶ親友の姿があった。
「ユーリ?」
声を掛けるが反応がない。近付いて見下ろしてみると、ユーリは絶賛爆睡中であった。
「勝手に入り込んだ上に人のベッドで熟睡、か」
屈み込んで間近に顔を寄せてみるが、起きる気配がない。
周囲の気配に聡いユーリにしては妙だと思った。
もう一度名前を呼んでみると、煩さそうに顔をしかめて僅かに身じろぎこそしたものの、やはり目を覚ます様子はない。
疲れているのだろうか。
ギルドの仕事が相当忙しいのか、帝都に戻って来たのも半年ぶりだ。昨日は帰ってすぐ休むと言っていたが、下町の皆と久しぶりに盛り上がったのかもしれない。
それとも、魔物の被害の話で悩ませてしまったか。
フレンはそっとベッドに腰掛け、ユーリの顔をしげしげと眺めた。
薄く開いた唇の端に涎の跡を見つけて、思わず吹き出してしまう。
こんなユーリの寝顔を見るのは何年振りだろう。子供の頃以来か。
何だか可愛くて堪らなくなり、頬を指でつついてみる。
「んー―…」
まだ起きない。そのまま頬を撫で、髪を一房つまんで、鼻先を擽ってみたりする。
冷静に考えてみると、傍から見るとどうなんだ、という状況である。
寝起きの悪い恋人に悪戯をする馬鹿な男みたいだ、と思って、フレンは自分で自分の考えたことに赤面した。
――恋人。
フレンはそういう意味で、―いわゆる「恋愛対象」として自分がユーリを想っていることを、自覚したばかりだった。
気付いてしまえば想いは膨らむ一方であり、いつの間にかユーリのことばかりを考えている自分を嘲笑ってしまった。
ユーリに伝えれば、きっと深く悩ませてしまうだろう。彼はとても優しいから、なんとか自分を傷付けないような言い訳を考えるだろう。
もしくは逆に、思い切り突き放すフリをして諦めさせようとするかもしれない。
そこまで理解してなお、ユーリにも自分を愛してもらうにはどうしたらいいんだろう、などと考え、肉体的な繋がりまで欲している浅ましさに吐き気すら覚えた。
「ユーリ…起きなよ。でないと我慢、できなくなる…」
互いの鼻先が触れそうなほどに顔を寄せて呟くと、突然ユーリの腕が伸びて来てそのまま抱き締められ、フレンは驚きのあまり両の瞳を大きく見開いて硬直した。
「ゆっ、ユーリ!?起きてるのか!?」
慌てて声をかけるが、ユーリはフレンの髪に顔を埋めたまま小さく唸っただけだ。
その可愛らしい声に腰が砕けそうになりながらも、フレンは必死で耐えた。
まずい。まずいまずいまずい!!
「ユーリ、いい加減に起きろ、ユーリ!!」
「んん…あれ、ここ…?」
首に回されたユーリの腕が緩んだので身体を起こせば、真正面から目が合ってしまった。相変わらず、距離は近い。
必死で冷静を装って声を絞り出した。
「…やあ。目、覚めたかい?」
「え、フレ…、う、おわああぁぁぁっっ!!」
物凄い勢いで飛び起きたユーリに突き飛ばされそうになりながらもなんとかそれを避け、肩で息をするユーリの少し離れたところから声を掛ける。愛しい時間の終わりは寂しいが、仕方ない。
「あれだけ熱烈に迫っておいて、随分と色気のない悲鳴だな」
「な、何言ってんだ、おまえ!」
「そんなに寝心地が良かったんなら、毎日来てもらっても構わないけど」
「来ねえよ!!」
来てたんならさっさと起こせ、と文句を言うユーリに苦笑しつつ、フレンは気持ちを切り替えてユーリに本題を話すよう促す。
「まさか昼寝しに来た訳じゃないだろう?」
「…ああ」
ユーリは自らが得た情報をフレンに話し始めた。
「っつーわけだ。どうも南の森に、何かありそうだな」
「そうか…。ジュディスの情報待ちだな。彼女はいつ頃戻るんだ?」
「はっきり日にち決めた訳じゃねえけど、二日かそこらで戻ると思うぜ。報告待ってからのが良かったかとも思ったが、とりあえず、な」
「いや、助かったよ。実は今日、陛下には話をさせて頂いたんだ」
「さっすが。仕事が早いな」
「茶化すな。それで近々調査隊を編成して、周囲に派遣するつもりだったんだ。手間が省けたよ。ありがとう」
「別に構わねえよ。まあ、ジュディが何を見つけてくるかわかんねえけどな」
「そうだな…。場合によっては、調査隊ではなく討伐隊を編成する必要があるかもしれない」
「いきなりか?騎士団でもちゃんと調査したほうがいいんじゃねえの」
「自分達を頼れ、と言ったのはユーリだろ?信じてるよ」
そう言って微笑むフレンに、ユーリは少し驚いていた。
昨日はもっと追い詰められたような感じだったが、今日は随分と雰囲気が柔らかい。
「なんか良い事でもあったか?」
「…どうしてだい?」
「いや、昨日と随分違うと思ってさ。」
「良い事……か。まあ、なかったとは言わないよ」
「なんだよ、それ。…ま、いいけど。んじゃ、そろそろ帰るわ、オレ」
「あ、ちょっと」
ずっと腰掛けていたベッドから立ち上がったユーリに、フレンは何故そこで寝ていたのか尋ねてみた。どうせ大した理由ではないだろうが、何となく気になっていたのだ。
するとユーリは己の醜態を思い出したのか、ばつの悪そうな様子だ。
「…少し朝が早かっただけだよ。いろいろ聞いて回るつもりだったからな。寝っ転がって考え事してたら、あんまりにも気持ち良くてつい寝ちまった。さすが騎士団長のベッドは違うよなあ」
「誰かに見つかったらどうするつもりだったんだ…。それより、考え事?」
「魔物の事とか、下町の事とか、な。そういやハンクスじいさん、相変わらずオレのことはガキ扱いだぜ。たまんねーよな」
それでも嬉しそうなユーリの様子に、フレンも笑顔になる。
ともすれば抱き締めたくなる衝動を堪えながらも、フレンはユーリの顔に手を伸ばしていた。
口元に指を添えると、さすがにユーリが怪訝な表情になって身を引いた。
「なんだよ?」
「…ヨダレ。跡、ついてるよ」
「ば…!早く言え!!」
今まで放置か、馬鹿みたいだと喚くユーリが可笑しい。
「子供扱いが嫌なら、ちゃんと拭いたほうがいいと思うよ」
「うるせえ!…ったく。んじゃ、ジュディが戻ったらまた来るから、それまで大人しくしてろよ?」
「君もね」
一人きりの部屋で、フレンは先程ユーリに触れた指で自分の唇を軽くなぞってみた。
跡などとうになかった。ただ触れたかっただけだ。
日毎に増してゆく衝動にいつまで耐えられるか。
空色の瞳に仄暗い陰が宿っていた。
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続きます