お久しぶり!
ではとにかくスクロールでどうぞ!
周瑜は車から降りた。そこは、孫策からの連絡が途絶えた公園の端。
ここまで運転してくれた曹丕の部下は、恭しく礼をすると、再び車に乗って何処かへ行ってしまった。車から探すつもりなのかもしれない。
周瑜は、徒歩の人間を探すなら徒歩が一番だと思い、彼には同行しなかった。
公園内の一角には缶や瓶が散乱している。放置された自転車。
「…」
ここで何かあったのは間違いない。しかし誰もそのあとの二人の行方を知らない。
元より彼はこの辺りの地理には詳しくない。勘に頼って探すしかない。彼は適当な方向に検討をつけて、足を踏み出した。
魏延だったらどうするだろうと考える。ここまで走り続けて逃げ切れなければ。
「…」
孫策ならどうするだろう。追い付いたとしたら魏延はおとなしく捕まるか。
「屋内かもしれないな…」
車からでは屋内までは探せない。徒歩で動いているのは恐らく、馬家だけだろう。
屋内は追い詰められることにもなるが、一対一、邪魔が入らないと考えれば、魏延が手負いの孫策を一人のうちに倒そうとしたとしてもおかしくない。
「あ!先生、来てらしたんですか」
「ん?」
いきなり呼び掛けられて振り向くと、眼鏡をかけた学生が鞄片手に息をきらして立っていた。
「…馬岱か」
「こちら一帯はもう探しました。そっちをお願いしてもいいですか?」
「屋内まで探したか?」
「えっ…いや、そこまでは」
「そうか」
周瑜は今自分が考えていたことを、話して聞かせた。
彼は聞き終わると、真剣な顔で頷いた。
「十分有り得るかもしれません。でも、それだと範囲が広すぎて、どうにも…」
「手分けして探そう。屋内といっても、無断で入って暴れられるところは少ないはずだ」
馬岱は頷いて、元来た道へ戻っていった。周瑜も彼と反対に歩き出す。
早く見付けないと。
逸る気持ちを落ち着け、真夏の熱いコンクリートの上へ、出ていく。
魏延が逃げ出してから、既に20分以上が経過していた。
孫策の状況は、いいとは言えなかった。足は動かさずとも痛い。靴に当たる感覚が、腫れていることを連想させた。
そんなことを考えてしまうあたり、集中力が落ちている証拠でもあった。
「おら、てめぇ集中してんのかぁ!」
魏延もそれに気付いていると見え、怒りを交え言いながら、回し蹴りを放つ。
避けるのは簡単だ。一歩下がればそれで済む。しかしその一歩が、孫策の体力を確実に削っていた。
それでも本能的に、彼は後ろに避けた。魏延はさらに拳を振り上げ、肉迫する。
「つぅ!」
歯を噛み締め、孫策は魏延の拳を掌で受け止めた。
そして逆に自らの別の手を魏延の顔に向かって叩き付ける。しかしそれは、彼の手に同じように受けられてしまう。
一瞬の睨み合い。視線が火花を散らす。
先に動いたのは魏延だった。突然その力を抜いたのだ。
「あ…っ!?」
孫策は両手にかけていた力のやり場を失い、間の抜けた声を上げながら、前のめりに倒れこんでしまった。勿論、魏延がそれを見逃す筈がない。
「らぁっ!!」
掛け声と共に、膝蹴り。
刹那、孫策は、体を震わすつき抜けるような衝撃に襲われた。続いて胃や内臓が引っくり返る感覚に、思わず口元を抑える。
「まだまだ!」
魏延は更に、よろめき、痛みに悶える孫策の肩を掴み、壁に叩き付ける。
「う…ぐ!!」
背中を揺らした衝撃もまた、体に響いた。
しかし悲鳴を堪えたのは、孫策の意地という強さであろう。
目の前の魏延は既に次のモーションに移っている。全く容赦のない、顔面への右拳。
かわす暇もなく、とっさに孫策は腕で受けた。骨に当たったか、痺れるような痛みが波状に伝わる。しかしもうその程度、怯むようなことでもなんでもなくなっていた。
むしろ痛みを覚えたのは魏延だろう。殴った方も痛いのは当たり前とはいえ、彼はちょっと顔をしかめ、すぐに手を引っ込めようとした。
孫策は反射的にその腕を捕えた。
「!?」
一瞬だけ、魏延が怯んだ。見逃す手はない。
この際、右足の不調は気にしてはいられない。覚悟を決めて、孫策は左足で踏みきった。
そして渾身の蹴り上げを、胸めがけて浴びせる。
「かはっ…!!」
魏延は驚愕と苦悶に面を染めながら、孫策から離れた。
この攻撃は相当応えたらしい。胸を抑え、荒い息を重ねたまま、暫く言葉もなかった。
しかし。
「うぁ…っ、ぐ…!!」
孫策も時を同じくして、攻撃の反動である右足の痛みで、初めて魏延の前で膝をついてしまった。
悲鳴を上げないのでやっとだった。
立てない。
ひたすら全身に伝播する痛みと戦うので精一杯だ。動かすのもままならない。立とうとすれば更に激痛が伴う。
魏延が笑った。揶揄的な笑みで。
「そろそろ限界らしいな?」
「……」
答えない。答えられない。しかし沈黙は雄弁に肯定を語っている。
「自滅とはね。まぁそうでなくてもすぐに限界が来ただろうがな」
魏延は部屋の隅に放置してあったファイルを手にとり、立ち上がった。
「ま、待てっ…」
「嫌だ。お前はもう立てないんだから俺の勝ちだろ?さっさと逃げさせてもらう」
苦しむ孫策を横目に、彼は悠々と扉へ向かった。
しかし。
彼が扉へたどり着く前に、扉の軋む音と共に、それが開いたのである。
二人は唖然となった。
二人とも、この場所を誰かが見付けられるとは思いもしなかったのだ。
ゆったりと開いた扉の向こうから、足音を鳴らして男が入ってきた。
魏延があとずさる。
「…周瑜、どうしてここに…」
名を呼ばれた周瑜は、二人を見回し嬉しそうに笑う。
「やはりこんなところにいたか…手間をかけさせるな、全く」
孫策は我に返り、思わず叫んだ。
「逃げろ周瑜!今の魏延は何するか分からねぇぞ!」
しかし周瑜はちょっと孫策の方を見て、微笑んだだけで、答えなかった。
そして魏延を真っ直ぐに見据える。
「相当やってくれたようじゃないか、魏延」
「はん、邪魔だったもんでな。そこをどけ、周瑜。あんたもああなりたいか?」
魏延の冷めた目が一回り小さい周瑜を見下した。しかし周瑜はその視線を受け流す。
「ふふ。お前にそれが出来るのか?」
「…何?」
魏延はぴくりと眉を動かした。プライドに障ったとみえる。
孫策は肌寒い気持ちでその様子を見ていた。
「周瑜、もうやめろ!そこ通してやれ!」
彼にとって、何より大事なのは周瑜である。魏延の暴力が周瑜に及ぶくらいなら、魏延をそのまま逃がしたほうがマシだとさえ思っていた。
ところが周瑜はそうは思っていないようだ。何か心に期するところがあるらしい。決意を秘めた笑顔で魏延と対峙している。
「…魏延、確かにお前が私を捻ろうと思えば簡単なことだろうな。しかしどうだろう?お前は私を殴れるかな?」
「どういう意味だ?」
「お前にはこの無抵抗な男を殴る勇気があるのか、ということだ」
周瑜は自らを指し示し、そう言った。
「こうやって無抵抗に佇む人であっても、お前は動かない人形にやるように全力で殴れるか?喧嘩の最中の勢いではなく、相手の力を利用した力でもなく、全てお前の意思で、全力を持ってこの私に向かえるか?」
「…つまり、俺が手加減するんじゃないかってことかよ?」
「そうだ。無意識にな…そしてそれはお前の弱さだ。覚悟の弱さだ。私とて男…手加減されてまだ道を開けるほど甘くはないぞ?」
魏延はじっとその言葉を聞いていたが、やがて笑って言う。
「言いたいことは分かった。だが周瑜…俺がどんなに乱暴で、薄情で、唯我独尊か、知らないわけじゃあるまい?動かないならちょうどいい…一撃で楽にしてやるよ」
周瑜は頷いた。それこそ自分の望むところ、と言わんばかりの満ち足りた表情で。
「なら見せてみろ。その勇気を、度胸をな!!」
「お安い御用だっ!!」
孫策は制止の声を叫びかけた。しかしそれが言葉になるより早く、魏延は躊躇なく、周瑜に殴りかかっていた。
その時の魏延の動きは、そして周瑜の動きは、孫策の目に嫌でも焼き付く。
声は途中で出なくなった。
時間の動きが可変であるかのような、体感時間の遅さ。
その中で彼は見たのだ。最愛の男が地に倒れる瞬間を。
そして孫策の頭の中は真っ白になった。
さて、魏延に失策があるとすれば、周瑜の挑発にのせられてしまったことだろう。
冷静に考えれば、周瑜を全力で殴ることの意味に気が付いてもおかしくなかった。彼の行動の先に待つものを予期出来ていてもおかしくなかった。
しかし周瑜は巧妙にそれを隠した。そして自らを犠牲に、切札を発動した。
魏延がそれに気が付いた時には、もう、遅い。
「魏延……てめぇ……よくも!!」
立てない筈の足で立ち上がり、鬼の形相で魏延をにらみつけていたのは。
他ならぬ、孫策だった。
「そ、孫策…!?」
色んな言葉が魏延の頭を巡ったが、しかしそれは言葉にならない。
孫策の全身から発される怒気は、何も寄せ付けなかった。
魏延は自分が震えていることに気が付く。
全身が目の前の彼に恐怖していた。あとずさったそこには壁しかない。冷たい壁と鬼との間に、彼は挟まれて、身動きが取れなくなる。
相手は怪我した男の筈なのに。
圧されて、動けない。
「覚悟は出来てんだろうな、あぁ?」
いつもに増して凄味のある、孫策の声。
観念しようとしても、やはり恐怖から逃れられない。しかしこの孫策に立ち向かう気にも、逃げる気にも、なれなかった。それほどに彼に威圧されていた。
「行くぞぉ!!」
声と共に、彼は動いた。
先ほどまでとは比べ物にならぬ速さ。怒りに痛みを忘れた、最高速。
その速さを破壊力に変え、彼は魏延の腹に、全力の一発を叩き込む。
「が、あぁぁっ!!」
耐えられずに、魏延は胃液と一緒に叫びを吐き出した。
「まだだ…!」
首を掴まれ、魏延の体はいとも軽々と宙に浮いた。それを壁に押し付けながら、孫策が言う。
「よくも…よくも周瑜を…!謝れ!!あいつに謝れ!じゃなきゃ一生お前を許さないぞ!!」
「あ、謝る…?そんな、こと…なんで俺が…」
こんな時でも魏延の自尊心は収まらない。孫策は魏延を床に思いきり叩き付けた。
「ぐ…ぁっ」
「ならそこで一生寝てろ!!」
そう吐き捨てて、孫策は魏延から離れた。魏延は身動きが取れずに、ただ彼の動作を見ていた。
いつの間にか彼の後ろには周瑜が立っている。
孫策は、鬼の形相はどこへやら、穏やかないつもの顔に戻って、周瑜を労った。
「周瑜、大丈夫か?」
「なんとか…。それより私は不思議なのだが」
「え?」
「…よく立てるなお前」
「…あ、ああ…そういえば」
孫策は初めて気が付いたように、自分の足に目を向けた。
そしてはにかんで笑う。
「…痛いや」
そして彼は周瑜に寄りかかるように倒れてしまった。意識も失ったのか、小さな息の音だけがあとに続く。
周瑜が孫策を寝かせてやりながら、魏延に向かって笑いかけた。
「可愛い奴だと思わないか?」
魏延は散々痛めつけられた体で、ただ苦笑する。
「俺には鬼に見えたけどな…」
周瑜もその言葉に苦笑いをした。
そして、落ちているファイルを拾い上げる。
「確かに返してもらったぞ」
「…ああ」
魏延も限界だった。そこまで会話したところで、圧倒的な睡魔に襲われて目を閉じた。
そこで記憶は途切れる。
続く。