目を覚ますと、悲しくなる。と思っていたら1日が終わる。
他者に突き動かされたい。たとえその先が地獄であっても。鎖もない、鎧もない時間のなかで、自由自在な能動的人生括弧笑いのような生活の繰り返し。
モラルや倫理が薄れていき、幻想のなかでぽつんと取り残される。
だから、せめて。ベランダに出たら背中を押されて空を飛びたい。
そう思うと瓶が空になり、意識は彼方へ。
吹けない口笛は夢のなかでは吹けるんだ。
輝きは飾りじゃない、ガラスの十代。
本当か。輝きは飾りならまだしも、偽物かもしれない。十代はきっと頑丈なガラスだ、びくともしない。
二十代中盤に差し掛かり、日々ガラスにヒビが入る。響く悲しみが底を抜いていく。
可もなく不可もなく。朝起きて、夜寝る。
松阪でみた満天の夜空も、リバプールの忘れられない夕方も知っているのに。
26歳で死ぬと思って頑張っている、頑張っているなどと言うのは失礼なくらい頑張っている友人がいる。彼女の全力は溢れでていて、常に僕を動かす。願わくは、26より生きていてほしいし、なにより僕は君に添削してくれるのを楽しみに、今物語を書いている。
ロボットインザガーデンのような話に一日浸りたい。なんかもう頭から潜り込みたい。
圧倒的な非現実に対峙して、何とか呼吸ができる。
そんなとき、やっぱりこの世界の重量はとてつもなく重いのだと実感して、やるせなくなる。
しあわせは、歩いてこない、だーから歩いてゆくんだね
歩を止めたら、それは尽きるとき。
燃やし続けろ太古の灯りを。
今朝がた洗濯物と一緒に来訪した黄金虫。あまりにもゆっくり歩くもんだから見逃してしまった。
人ものんびりがいいのかもしれないね。すーはーしながらラジオ体操。
最近よく本をよむ。本にしかない「じわあ」と広がる海を感じる。海風は夏の匂いがするし、なんかもうさ、楽しくてたまらない。
未知なものを出会うと、急に体が浮く感覚になる。出会い系のアプリは「こんなにも日本に人はいるのか」となるし、旅行先では「すべてが新鮮で今までの自分はちっぽけだ!悔しい!」となる。
しあわせは歩いてこない、なにもかも歩いてこない、だーから歩いてゆくんだね!
だと思います。花森さんのトートバッグはどこへ言っても「おしゃれ」「かわいい」の台風なので、ちょっと心踊るぜダンシングtoザスカイ。
さて、帰宅したら黄金虫は実家に帰ってくれてるだろうか。
思えば、今年はよく美術館に行った。
肖像画が嫌いで静物画が好きな僕。
理由は至って単純。人が閉じ込められているように感じるから肖像画が嫌い。静物画(特に果物)は本当は生きているのに、止まっている。止まっているからこそ死んでいるからこそ、なんだか生きている実感がわくから好き。
でも、そんなことは案外どうでもよくて、絵から無限に殴られる。それだけでよかったりする。
全部ブランデーに吸い込まれたからね。