『晋助は何で新八が好きなんだろう?』、また、『新八は何故晋助に惹かれるのか…?』ということについて、私なりに考察したことを書きたいと思います(何してんだろうか)。


まず私自身二人のことが本当に大好きなんだが、その好きの根本が晋助と新八だと全然違うんだよな。新八に向ける好きの気持ちはいわば『陽』のパワーというか、

“その成長を見守りたい”
“幸せになって欲しい(幸せにしてあげたい)”
“沢山の愛情に包まれて欲しい”

…等の気持ちなんですが(真顔だ)、はてさて晋助はどうかと言うと、野郎に対しては全くそうは思わんもんね。

『えええ!!』と思われるかもしれないのですが、でも待って、晋助は物ッ凄い好きなんだよ。その好きの根本はきっと、晋助が人間的に駄目だからじゃないかな(すみません)。

奴が精神的にどっか欠落しているところに、とても惹かれる。完全無欠の美しさを有していないところに。傷があるところ。いわば、「欠落」というエロスを野郎には感じる。

晋助がああいう退廃ムードを醸し出して、さも物憂い態度で三味線なんぞを掻き鳴らしていたりするから、皆して晋助に惹かれる訳だろ?晋助が朗らかに笑う好青年だったら、皆はきっとこれだけ晋助を好きにはならんと断言する。現にユカリはそういう晋助は魅力的には思わない。奴は人間的にも、精神的にも「欠落」していて、そこはかとない「破滅」が漂ってるからあれだけ人気があるんだよ。多分。

何らかの傷をおっている人間は、ある種のフェロモンを放っている気がする。淫靡で退廃的で、でも手を伸ばさずにはいられない、傷フェロモン?とでも言えばいいか。欠落フェロモン?

そういう野郎はきっと、その心の傷口から甘い蜜を滴らせているんだろう。晋助も例外ではない。その傷口をちらつかせ、新八が晋助の傷を知りたい、晋助のことをもっと理解したい…と思い始めると、「近寄るな」とばかりに拒絶したりするんだろう。晋助だからな。言うなれば、何だか嫌な野郎だよな(おぉい!)。

そんなダーク系フェロモンを撒き散らす高杉晋助に、あの素直な新八がはまる理由が分からんって一瞬は思うよ。あくまでも、一瞬は!

でもさ、人間て前頭葉で恋をする生き物じゃないですか。本能の部分ではなく、前頭葉、すなわち「抽象思考」の部分で恋をしたり性欲を感じるのが人間。つまり本能では見向きもしないような、動物学的にはリスキーでマイナスな相手にこそ前頭葉は刺激されると思うんだよ。痛いくらいに。駄目だと分かりつつ。
だから新八が晋助に惹かれてしまうのも、分かる気がする。

破滅へと向かうと分かっている相手に恋をするのって怖いと思うけど、でもそれを補って余りある甘美に満ちているんだろう。前頭葉が抽象思考を司っているのだから、脳内麻薬物質も出血大サービスになりそう。

つまり、新八のようないい子が晋助に恋をすると破滅か、そうでなきゃ離別するしかなくなります(…)。若干科学的に高新悲恋説が裏付けされちゃったよ、どうしてくれんだ(自分のせい)。


じゃあ今度は晋助は何で新八に惹かれると思うかっつーのを書いてみます。

恋愛とは、相手を手に入れること。すなわち「征服」か。それが自分の手に届かなそうな人物であればあるだけ、人は燃える訳であります。カタルシス?

晋助って多分、いや絶対Mの気質があると思うんだよね。手に入れられないものに惹かれるというか。だからロマンチストなんだろうし。もう失ってしまった世界を取り戻したい、っていう憧憬も奴の攘夷思想の根底にはある気もするし。

したがって、奴が新八を手に入れたいと望むのは比較的容易に想像がつくのです。手に入らないもの、簡単には堕ちないもの、それを手に入れた瞬間の甘美…晋助って本当に歪んでいていいと思う(肯定かよ)。

でも、それだけじゃイマイチ面白くないんですよ!(どうした)生粋の高新好きとして、そんなありきたりな論理で高新を語っていいのか?(よくない!)

だからね、こうも考えた。


人間は変化する。年をとって、色んなものを無くし、色んなものを得て、変化していく。で、ある程度人生を生きてきた男は、今度は違うモノが欲しくなる。それは何かっつーと、「なくした自分」なんじゃないのかなぁ。

もう失ってしまった少年時代、まだ友も師も周りにいた頃の自分…そういう「二度と戻らない瞬間」を、晋助は新八の後ろに垣間見てんじゃないのか。否、垣間見てろ(命令か)。萌えるから(最低!)

そういう切なさがあるなら、それはもはや「征服」でなく、ある種の「贖罪」なんではないだろうか。禊というか…うっすらと重ね合わせている訳だもんね、なくした自分を。

しかし…、まさかの高新で贖罪という単語が出てくるとは!


どんだけ高新に夢をみたいんでしょうか、ユカリ!gkbr!