今ですね、好きなミステリーを読み返すのがマイブームです。ミステリーってこう、読む度に違った感覚を受けるというか、読むごとに違った視点を発見できるから面白い。

野沢/尚さんの『深紅』読み返してみたら、やはり面白かった。立場が真逆の女の子二人が主人公なのがいい。あと、人生の明暗を鮮やかに描ききっているところ。映画化やドラマ化もされた作品や、賞をとった作品なんかは、やっぱり皆さんが認める面白さを有していると思うよ。『このミステリーが凄い!』的な評価本も読んでるが、そういう評論で高得点をマークしてる作品はたくさんの見所をもってるものな。しかし万人受けしないマイナーどころだって素晴らしいものは多々ある。まあマイナーな作品も有名な作品も、隔てることなく柔軟に読んでいきたいよなァと思う。

それで今ね、東野/圭吾さんの『白夜行』読み返してるの。言わずと知れた名作ですよ。最近映画にもなってたよね。で、その中で主人公の片割れである男の子が呟く台詞でとても惹かれたものがあるから、そこにスポットを当てて妄想したい。

つか、この先は今日未明に月見ちゃんに送り付けたメールを一部抜粋します。つらつら書いてたら物凄い長さになったからな(どんだけ)。

件の台詞だけど、

「俺の人生は、白夜の中を歩いているようなものだからな」

ってのがあるの。白夜ってあれだよ、ロシアなんかで見られる現象。辞書ひいてみると、


びゃくや[白夜]
[名]
北極・南極近くの高緯度地方で、夏至または冬至のころ、日没から日の出までの間、空が薄明るい状態であること。はくや。


って出てる。要は白夜みたいな人生って、空けない夜を延々と繰り返す人生ってことなんだけどさ。普通の人間の人生には昼も夜もある、つまり明るい時もあれば暗い時もある、でも自分の人生には夜しかない。たとえ一見は昼のように見えても、それは薄明かりを孕んだだけの夜の幻なんだ…みたいな意味を含んだ言葉だと解釈。で、そんな主人公はある目的遂行の為だけに生きてるのさ。そんな白夜を。生きながら味わう地獄をね。

それで思ったんだけど、それってある意味さ、晋助(原作)の人生もそんな感じじゃね?

晋助の人生も、ある地点から(松陽先生が死んだ地点か、攘夷戦争敗北した地点かは不明だが)、白夜を歩くようなものに変わったよね。二度とあけない夜を繰り返す、ただ目的遂行の為だけに生きているっていう意味において。

そんな晋助がさ、新八に惹かれる理由を考えるとマジやべーんだけど。

新八はそりゃ思春期だから悩むし、色々考えもするだろうが、基本“昼”を生きていってる人間じゃん。太陽が照らす明るい場所を、生きてる。あけない夜を生きることなんて絶対にないし、考えたことすらもないよね。新八自体が太陽、自分の中の消えない火種って坂田も言ってたし。誰かを照らすような輝きを放ってる子なんだよね。陽のエネルギーを放射できる子。

つまりさ、晋助にとってはもう二度と手に入れられない種類の輝きを放ってるんだよね、新八って。そのスタンスも、ましてや生きる場所すらも二人は全く違う。二人は違う世界に生きてるじゃん。昼と、夜の。

しかし、だからこそ惹かれるんだろうね。決して交われないからこそ、欲するんだろうね。届かないと分かっているから、焦がれるんだろうし。だけども空けない夜を肯定して生きてる筈の男が、自分には全くそぐわない筈の陽光が降り注ぐ少年に惹かれるっていうのが、高新の萌えポイントだよね。

段々何を言いたいのかわかんなくなってきたけど、要は名作で高新パロ考えて、その結果萌え尽きた私って何なんだろうねって話ですな(心からろくでもない)。



…。

…ごめん、ほとんどメール抜粋した(えええ)。やー、深夜にこんなメールってどうなんだろうな、自分(心から気持ち悪いと思うよ!)。