先週の金曜日、ずっと見たかった「風たちぬ」を、彼氏君と一緒に鑑賞してきました。一切ネタバレ等は見ずに…でも、ネットでの反応は賛否両論でどんな感じなんだろうとドキドキしながら見ました。


小さなころからジブリの…特に宮崎駿監督作品は大好きで、ナウシカやラピュタやトトロ辺りはセリフが頭に入ってる位です(笑
そんなジブリ作品のファンの私でも、なんだか最近のジブリ作品には正直期待外れと言うか…ハウル辺りから宮崎監督の作品に対するメッセージ性が薄いというか…。もののけ姫でやりたかったことのピークがいったん過ぎて、千と千尋で更に出し切っちゃったのかなぁなんて思ってました。

今回の作品もそうですが、色遣いがシンプルになりましたよね。CGを使わなくなったせいなのかもしれませんが、もののけ姫の色遣いは、CG独特の違和感を感じさせない、写真を切り取ったかのような鮮やかさで、私は好きでした。もちろん、シンプルな方も原点回帰のようで好きですが(^^


そうそう、「風たちぬ」の話。
結論から言うと、私は本当にいい映画だったと素直に感じました。ただ、映画を見ただけでは頭の中がごちゃごちゃしてしまって、監督の思いとか登場人物たちの感情とかを整理しなくては本当に鑑賞したことにならないとも思いました。

ちなみに彼氏君(彼もジブリ作品大好き)の評価は最悪で、鑑賞後も終始ダメ出ししまくっていました(笑
その原因の一つが庵野さんの顔が時折脳内にチラついて集中できなかったとのことでしたが、エヴァの主題歌しか知らない私はそこまで気にならず…ネットで酷評されているほどではなかった様な印象でした(耳をすませばの雫のお父さんの声の方が気になる位(笑))

他にも主人公の人間性が受け入れられないとか、時間の流れについていけないとか…まぁ、わからなくもないけど、個人的にはそういう中に込められた監督の思いとかを推察することが楽しいので、それもひとつの楽しみ方なのかなぁとも思い、今に至るという…(笑

私たち二人でもきれいに賛否両論だったので、そのほかの鑑賞した人たちの感想が別れるのも納得。でも、どちらが正しいとか間違ってるとかはないので、それはそれ。



「風たちぬ」はこれまでのジブリ作品の中でも異質な作品でした。
だから、これまでに見たジブリ作品の中で何番目に好きかと聞かれると困ります。あの作品は完全にジャンルが違います。

登場人物に実在したモデルが居るからという人も居ますが、それは個人的にあまり関係ないかなぁと。堀越二郎という同名の人物の物語だけど、後半のプライベートな部分はほとんど堀辰雄の小説が基なので、今回の堀越二郎という人物は宮崎監督のオリジナルキャラクターと捉えても差支えないかと。



そう、堀越二郎はオリジナルキャラクターなんです。
私は実在の堀越二郎のことも、堀辰雄のことも、今回の作品の特集記事程度の知識しかないという前提で語りますが、きっと宮崎監督は堀越二郎に自分の思いも重ねて今回の作品を作り上げたのではないかと思います。

この映画の二郎は、とにかく美しいものへの憧れが強い人物でした。
飛行機を作りたいと思ったのも、飛行機の飛ぶ姿の美しさに魅せられたからで、その美しいものを自分の手で作り出したいという純粋な衝動がきっかけでした。
そして、彼は妻となる菜穂子へも「美しい」と話す場面が度々見られます。単に女性へのほめ言葉ではなく、飛行機へ抱いた思いと同じく、素直に出た言葉だったのではないかと思います。


二郎は美しいものを作り出すことへ自分の力を注ぎ込むことが何よりも重要でした。そのことを菜穂子は理解していたからこそ、療養所から二郎の元へ行き、妻になることを選んだのでしょう。本当に菜穂子が一番大切で失いたくない存在ならば、仕事を辞めて彼女の看病をするでしょうが、誰が見てもそんな人物ではないのは確かなので、菜穂子も自分の体がもつ間は彼のそばに居たいと思ったのでしょう。だから、自分の体に限界が来たとき、二郎に迷惑をかけるというよりは、二郎の愛する美しさが無くなってしまうからとの思いで、二郎の元を去ったのだと思われます。


ちなみに、堀辰雄は自身も結核を患い、婚約者と療養所へ入院していたそうです。つまり、映画のように菜穂子が愛する人のために病をおして結婚したという描写も、菜穂子が自ら二郎の元を去って1人亡くなるという描写も、監督のオリジナルなのです。(ちなみに実際の堀越二郎は映画の中の二人が結婚したころにはとっくに妻が居て、子どもも生まれてていたそうです)
監督が生み出した堀越二郎というキャラクターの、極端すぎるほどのまっすぐな思いや、菜穂子の健気さや包容力を表現する上で、その描写がとても重要だったのではないでしょうか。


二郎は本当に心優しい人物で、それは幼いころから最後まで変わっていない。同級生をいじめっ子から助けたのも、震災の際に菜穂子たちを助けたのも、優しさからでした。そう考えると、本庄のような割り切って考えることなどできない、不器用な人なのです。もっとも、器用ならば一つのものへ没頭するエネルギーも持てず、中途半端な結果になってしまうのでしょうが、彼は一つのものへの情熱が大きかった…。その証拠に、菜穂子と再会したホテルでのひと時では、一生懸命に彼女への愛していました。


結婚後の二人の暮らしの中で、二郎が仕事を家に持ち帰り、夜通し設計図を書き続ける際に菜穂子が片手を繋いでいてほしいと話す場面があります。そのままならただ微笑ましい夫婦の様子なのですが、ただで終わらないのが宮崎監督。ヘビースモーカーな二郎は煙草が吸いたくなり、繋いでいた手を離して別室へ吸いに行こうとしますが、菜穂子は彼が離れるくらいならここで吸っていいと言い、二郎はその言葉に甘えて煙草に火をつける…この場面は本当に批判の大きいシーンです。(彼氏君もここが納得できないと言っていました。彼もスモーカーなんですが(笑))

でも私は、そんなに批判が起きるような場面かしら…と思ってしまいました。菜穂子は自分の命が残り僅かだととっくに実感しているから、今更煙草の煙くらい気にしない。でも、もしこの手を離してしまったら…二郎が戻ってきた時に自分の手をまた握りしめてくれるかわからない。もしかしたらいいアイディアが浮かんで、自分の手のことなんか思い出してくれないかもしれない…。その不安に比べたら、煙草の煙など気にすることはない。それが彼女の思いだった。


これは完全なる偏見なので批判は甘んじて受けますが、基本的にタバコを吸う人はストレスに弱い人だと思います。体に悪いと分かっていても、その爽快感に負けて辞めることができない。これは彼氏君と約2年一緒に居て実感していることです。煙草がないと集中できないとか気分転換ができないとかは言い訳です。少なくても20年くらいはそれが無くても勉強したり好きなことに熱中できたでしょ?それを煙草が無いとできなくなるわけがないでしょう。

二郎や本庄もそう。ストレスに弱い人間だなあと終始思っていました。でも、その人間らしい弱さがキャラクターの魅力になっていることも確かで。二郎は菜穂子の希望に応えているようだけど、実際にアクションは起こしていません。いつも菜穂子が行動して彼もそれを否定することなく受け入れる。菜穂子の行動を強く非難したり拒否すると、キャラクターとして芯の強さのようなものの見えるのでしょうが、二郎からそのような言動は一切ありません。「いいのかい?」と確認することはあっても、ダメとか嫌といった言葉はありません。その優柔不断そうな部分が二郎であり、情熱を持って取り組む飛行機に関すること以外にはこだわりが無いという人物像をより印象的に映し出します。


ラストでは二郎の生み出した零戦が焼け焦げ、積み上げられていた描写があります。
そして二郎はカプローニと夢の中で再び再会します。カプローニは引退すると二郎に告げますが、これは死を意味しているような印象でした。二郎は二郎で、自分の生み出した美しい飛行機が兵隊を乗せて飛び立っていく姿を見つめ、「一機も戻ってこなかった」と呟きます。彼の命を削り、情熱を傾けた零戦は、空しく終わりを迎えました。
そして、二郎を待っていた人が居るとカプローニに告げられ、顔を上げるとそこには菜穂子が。彼女は二郎に「生きて」と何度も語り掛けます。カプローニの「逝ってしまったようだ」という言葉にあるように、菜穂子は死んでしまったのでしょう。その命が尽きても、せめて夢の中で逢いたいと魂が残り、二郎と再会して天に召されたのではないでしょうか。

この時、二郎は決して後悔はしていなかったと思います。自分の思いに素直に生きた結果、飛行機も菜穂子も失ってしまったけれど、そのことを悔やむのは飛行機にも菜穂子にも失礼です。でも、喪失感に浸る彼へ菜穂子の「生きて」という言葉はずっしりと重くのしかかります。彼は今後、何に生きる価値を見出していけばいいのでしょう…。それはきっと、彼が残りの人生をどう生きるかで変わってくると思いますが、きっとこれからも二郎は煙草をふかしながら、美しいものへの憧れを追い続けていけるような気がします。意外と二郎は逞しい人物だと思います。


大量にごちゃごちゃ書きましたが、つまり宮崎監督がこの作品を通して伝えたかったのは、何かを生み出すためには莫大なエネルギーと犠牲が不可欠で、エネルギーだけを最大限に使って犠牲を出さないなんてことはできない…ということに尽きるのだと思います。
鈴木プロデューサーも監督自身もインタビューで話されていましたが、今作は色々な『矛盾』がテーマであると。戦闘機や戦車に憧れるが一方で平和を強く願う監督。そんな監督自身の矛盾も二郎の葛藤の中に投影されていると思います。矛盾しているけれど、それこそが人間。人間らしさとは矛盾していること…。そんなことを考えさせられました。
ただ、そうであるなら二郎が憧れ続けた美しい飛行機が戦争に使われてしまった虚しさや悲しさみたいなものがもっとあってもよかったのかなぁ…とも思いました唯一の物足りなかった点です。でも、物語としては十分に成立しているし、菜穂子を失うという追い打ちもあったし、これはこれでいいのかなと。



最後に一つだけ。
今作は個人的にとてもショッキングでした。それは多数のキスシーン等のラブシーン。しかもそのキスも、ただ挨拶代わりにするような軽いものだけではなく、完全に愛し合う男女のそれなシーンも…。何より衝撃的だったのは初夜のシーン。それはつまりあれですよねな会話。

なんというか…宮崎監督の作品にまさかそんなシーンが多く出てくるなんて思ってなくて。それも他の作品と比べて異質だと思う要素の一つなんですが…。
別にそういうシーンを否定するわけではないし、自分ももう25歳だから色々とわかりますが…宮崎監督だったというところで引っかかってるんです。(すいません子どもですね)


「ポニョ」がジブリ作品を見て育った子どもたちが自分の子どもたちと見られる作品なら、この「風たちぬ」はジブリ作品を見て大きくなった子どもたちに向けた作品なんでしょうか。少なくとも私はそう思っておきます(笑



さて、ここまで長文すみませんでした。
とりあえず言いたいことは書きつくせましたが、近々2回目を観てきたいと思います。←
そのときはきっと、今回とは違った印象を持つと思いますが、そんな自分の揺らぎも一つの楽しみとして、どっぷりと「風たちぬ」に浸りたいと思います。