こんばんは

気候不順ですね…



京都アニメーションの事件で
亡くなった方全員の名前を
昨日警察が公表しました

名前の公表に
ご遺族の同意が得られなかった方も
いたと報道されています

今回の事件だけではありませんが
このような公表を見ると
いつも不思議に思います

なぜ
ご遺族が同意していないにも関わらず
公表できるのでしょうか…

人にはいろいろな価値観があり
いろいろな人生を生きています

それを
他人に知られたい人もいれば
他人にどう思われるか頓着しない人もいて
そして
他人には知られたくない人もいるのです

悪いことをしていなくたって
恥ずかしいことをしていなくたって
知られたくない人はいるのです

どんな人生だったのか
どんな風に生きたのか
どんな風な最期を迎えたのか
それはその人のものであって
他の人のものではありません

生きていれば
プライバシーとして守られるものが
事件の被害者になった途端
プライバシーまで奪われるのは
なぜでしょうか…

どんな人生でも命の重みに違いはありません
例え他の人に評価されない人生でも
その人の命が軽んじられてはいけません

だから
事件で亡くなった方が
どんな方だったのか…
人から好かれていたのか
人に頼りにされていたのか
崇高な志を持っていたのか
若かったのか
たくさん年齢を重ねてきたのか
男か女か
技術は高かったのか低かったのか…

そんなことは
本当は関係ないのです

ただ大切な人生を突然奪われた

被害者にとって
それがただひとつの事実です




私が被害者なら
私の名前を公表されたくありません
写真も公表されたくありません
ましてや
どんな趣味があったとか
どんな仕事ぶりだったとか…
そんなこと公表されたくないし
報道されたくありません

今回の事件の被害者のご遺族も
もしかしたら
ご本人の意向を知っていたかもしれません

また
実名報道されることにより
ご遺族の方の心がより傷つく場合もあります



なぜ
被害者にプライバシーはないのでしょうか

なぜ
尊厳に配慮してもらえないのでしょうか…



事件の深刻さ悲惨さを
世間に知らせることは
他の方法でもできるはずです

故人の尊厳を傷付らことでしか
その残酷さは
伝えることはできないでしょうか
そんなことはないはずです



公表を受諾されなかったご遺族のお気持ちも
大切にされるような社会になることを
望みます

被害者のプライバシーも
守られる社会になることを望みます