2015-7-25 11:03
私は小学校の教室のような場所で、3つの机を付き合わせて三者面談のようなことをしている。
1人は私、1人は大人の男性(教員と医者の間をとったようなイメージ、先生)、1人は確か母だった気がする。
私の右手の薬指の先から、何か膿のようなものが出てくる。
それを見た先生に、君は本物じゃないんだよ、というようなことと、それは重大な病気だからあと2ヶ月持たないだろう、という趣旨のことを言われる。
とてもショックを受ける。
2ヶ月だと、10月のラルクのイベント(があるということになっている)は行けないなぁとぼんやり思う。
チケット無駄になると行けないから、その時までにりなちゃんに自分の分を渡して、誰か他の人と行ってもらおう、というところまで冷静に考えて、あぁ自分はその頃いないんだなぁって寂しい気持ちになる。
その後しばらく生活をしてる。
指先の膿が出てくるたびに慌ててティッシュで拭き取っているけど、量が増えるにつれて拭くとかいうレベルじゃなくなって、さらに慌ててる。
弟とかも年齢そのままで出てくるけど、小学校でのシーンばかり。友人は、ここ見てないだろうけどコスの方のあおいちゃんがいた。
同じ時間軸で時間経過。
10月のライブの日、まだ生きてる。入院とかもなく、学校で生活してる。
なぜかラルクのライブの会場が、自分がいる母校の理科室のある場所で、中は綺麗なホールになってる。
なぜか母と弟と一緒に観劇する流れになってて、一度入場して席に着く。
上手の5列目だったはずだが、前列に椅子がなかったりとかで、実質2列目くらいでビックリする。
さらに、今回はライブじゃなくてトークメインですみたいな舞台構成で、実際公演内容もそんなかんじらしいと知り、驚く。
ここでまだ時間があったため、同階にあるトイレへと一人で向かう。(ちなみにトイレの位置は、実在する母校のトイレの位置と同じ、理科室の位置からは廊下一本渡って下駄箱を越えるとある。)
開演時間が迫っているため、急いでトイレに向かおうとするが、なぜかスピードを出せない。走れないのではなく、走っているのにスピードが出ない。
向かう途中の廊下であおいちゃんに会う。そのまま一緒にトイレに向かう。
後ろで大きな音と歓声が響く。開演してしまったようだ。だけどここまで来たし、トークメインならすぐにネットに内容があがるだろうからと、そのままトイレに向かい用をたす。
そして会場の理科室のところに戻ろうとする。しかしやっぱりスピードが出ない。すごく疲れるし、身体が重くかんじる。あおいちゃんはどんどん先に行ってしまう。他にも遅れた人たちがいたらしいが、どんどん先に行ってしまう。
それでもなんとかたどり着いたところで、おしまい。
***
なんだかとっても怖い夢だった。
先生の「本物じゃない」っていうのは、もしかして違う言葉だったかもしれないんだけど、要は隣にいる親に
「私はあなたが思ってる“私”じゃないみたいだよ」
っていう事実がものすごく辛かったっていうシーンだった。
ただ、それに対して親はあんまり驚いてなかった気がするから、親は知っていたor親が思っている“私像”なんてものを気にしているのは私だけかもしれない。というあれなのか…。凄まじくそれ私だ…。
余命の話は、いま身内で大病を患っている人がいるから、そのためだと思う。
今日はその診断がされてから初めて、その身内に会いに行くから、意識してたんだろうな。
膿が出てくるっていう表現は、なんの比喩か全くわからない。血じゃないんだねって。
でも、血だったら「本物」感あるし、悲壮感もすごそうだけど、ビジュアル的に膿はそこまで悲壮感なかったから、自衛による脚色なのかも。
りなちゃんにチケット渡さなきゃ、とか、Twitterに情報出るだろうから全部見られなくても平気、っていうのは、今の私の等身大の価値観そのものだなって思う。
本当は自分が見たいけど、席を空けるくらいなら譲りたいとか、本当は全部初めから見たいけど、見られない場合はネットで見られるから大丈夫(だと自分に言い聞かせて平常心保ってる)とか。
トイレ、ライブ会場に行きたいのに、走ってもなかなか着かないっていうのは、焦りの気持ちの表現なんだろうなと思うんだけど、トイレとライブ会場はなんの象徴なんだろう。
そのままの意味なら、生命活動をしっかりした上で手に入れる権利のある幸福を早く掴みたい、だけど、生命活動を終えたから神様のところにいきたい、ともとれる。
ちょっとここは分からなかった。
あと、ここでずっと一緒にいるのがあおいちゃんっていうのがホントに不思議。
ただ、このシーンの自分はすごく焦ってたし、追い詰められてたし、悲しい気持ちだった。
最後夢おわっちゃったけど、あの自分はラルク見られたのかな。見ててほしいな。
通して考えると、舞台がずっと住んでる地元の母校、出てくる人は家族ばかり、これだけはどうしても行きたいと願ってたのがラルクのイベント、そして自分は、今のままだけど設定としては小学校最高学年っていう立場(=マンキンに出会った歳)っていうのが、なんかもう、自分が命や人生の終着を考える時が来たら、自分のアイデンティティーはきっとその辺りなんだなっていうのを網羅してて、そういう意味では暗喩も何もないレベルだった。
こんなに意味を考えたくなるような夢見たの久々だわ。覚えてる限りじゃ2回目。
1回目はこれ。