甲斐の虎、越後の龍、龍虎相まみえるとか表現がかっこよすぎて悶え死にする。(おちつけ)
謙信公と信玄公のこういう通称ができたのって江戸時代の講釈とかお芝居からなのかな。

発売前にネット広告で読んでから気になってたんだけど、作者の持論がとんでも論が多くて買うのに躊躇している本、「謙信越山」

ネット記事の広告タイトルが「謙信の死因は脳梗塞ではない」というもの。ほう、どれどれ?と記事を読んでみたけど、本当の死因は何かというと「腹痛」というフワッとした回答。…フワッとしすぎだよ!!!もっと具体的に!!
その説の根拠もアヤシかったし。

謙信公は手取川の戦いで織田軍に勝利した後、春日山で次の遠征に向けて準備していた時に厠で倒れ、そのまま数日後に亡くなってしまったというのが通説。
倒れた後は昏睡状態で、大きな鼾をかいていたことから脳の血管が切れて出血していたのではないかと言われている。
そもそも謙信公は大の酒好きで、梅干をつまみにしていたころから高血圧だったのではないかとか、倒れたのが3月だったことから寒い厠の寒暖差も脳の血管を切れさせる原因だったのではないかと言われている。新潟の3月って寒いからね。

これに対し「謙信越山」では確か、腹痛、脳の方ではなくて胃だったかな?の内臓が原因で亡くなったのではないかと書いてあった…気がする。それも倒れた場所は「閑所」であり、それはトイレも意味するけど静かな私室という意味もあるから、自室で倒れたのだと。
その根拠に謙信は意識を取り戻して遺言を残している、ということが書いてあったけど、私は「遺言?嘘だ〜」と思っている。

死因はなにであれ、遺言を残すとしたら絶対にひとこと目は誰に家督を継がせるかだろうし、あの頃あれだけ謙信公を支持していた家臣が遺言を反故にして御館の乱なんかおこすかなぁ。

自分が死ぬかもしれないなんてこれっぽっちも考えていなかったとして、意識が戻って話したことが結果的に遺言になったことだったとしたら、それって本当に「遺言」と言えるのか?
読んでいてツッコミが止まらず、この本を買うのをためらっている。

まあその頃亡くなったことは事実で死因の究明はわりとどうでもいいけど、謙信公について「トイレで踏んばってて脳の血管がプッチンして死んだ人」的なことを言われるとムカつく。なので新説にちょっと期待していたんだけど、なんだかなー。


ところで数ある有名な戦国武将のなかで謙信公が一番好きな理由は地元の人ということもあるけど、潔癖で高潔で、わりと弱く、でも正しくあろうとし続けたところだ。色々なエピソードを読むと、かなり純真な人だったんだなと思う。

家臣たちになかば無理やり家督を継がされるような形で守護代になった若き謙信公は、家臣同士が領地や石高で争っている様子にうんざりして、高野山へ行って出家しようとするんだけど、その旨を置き手紙に残して出発してから家臣たちが迎えに来るのを1か月から2か月くらい春日山の近くで待っていたらしい。まあ近くといっても妙高とか県境辺りだけど。その1・2か月は家臣があちこちを探し回っていたらしい。
些細な財産の話しで言い争う卑しさにうんざりしつつ、でも一度自分が家督を継いだのに投げ出してもいいものかと逡巡していて、更に自分の書き置きを読んだ家臣が反省しつつも自分を必要としてくれたら戻ろう、と家臣の気持ちにちょっと縋りたい気もある。
こういう怒りと嘆きと悲しさと辛さと、でも人を信じたい気持ちの葛藤が「わかる〜わかるよ謙信公、つらいなぁ〜」となって、それでも頑張る謙信公が大好きなのだ。

武田信玄公はあの手この手と嫌がらせのような戦法で山梨から長野、新潟の方へ手を伸ばしてくるけど、謙信公は「どうしてこんなに人が嫌がることばっかりするの?!」と思いつつ、絶対に同じような「嫌な手」は使わず、正しくあろうとする。そこが好き。

…まあ、家臣は大変だっただろうけどなぁ。働いても働いても給料(領地)が広がらないブラック企業()。せせこましい領地や石高争いも、本人たちにとっては重大事ではあっただろうし。
でも俺たちは正しいことをしている、正義の側だ!というプライドや精神てなによりも大事なもので、これらを捨てて非道なことしてどんどん領地増やしてこ★みたいのもそれはそれで精神病みそうなブラック企業だよな。←信長的