こないだ自宅の工事立ち合いのために有給をとったとき、最近ハマっているネットラジオを聞きながら編み物をして時間をつぶしていた。
そのときのラジオのトークテーマが「ミイラ」!なんでも最近奈良で、昭和に亡くなった人のミイラが見つかったとのこと。詳しくは省くけど死者自らミイラになるために色々してから亡くなったらしく、事件性はないらしい。発見当時、墓地から石室が出てきて、その中に金属の棺桶(?)さらに中には木の棺桶、それを開けるとまた木の棺桶。さらに開けるとご遺体があるらしい。

これって…これって…エジプトのファラオと一緒じゃん!!!
(ファラオも3重の棺桶に収められていた)

その後ラジオでの会話は山形の出羽三山にいらっしゃる(?)即身仏の話しになる。
このタイミングでこのトークテーマに当たるというのは「行くなら今でしょ!」ということで特別展ミイラに行ってきました。到着時刻は夕方5時…だが、ふっふっふ…ちゃんとネットで調べてきたよ。金曜日は7時までやってるんだよHuuuuuu!(妙なテンション)
そのころには観覧者はほとんどおらず、エリア内にいるのが私と展示されているミイラの方々のみ…こ、こわい。ときどき学芸員さんが歩いてるんだけど驚かさないでっ!

展示されているミイラは肌の質感や爪、髪の毛がきれいに残っていて、不思議だなぁすごいなぁというのが正直で率直な感想。
で、やっぱり一番インパクトが強かったのが日本の江戸時代の兄弟ミイラ。死蝋化していた遺体が乾燥してこの状態になったとの説明だけど、2人とも生前の人相が窺えるくらい生々しい。で、本当に時代劇みたいな髪型してる…!

次にインパクトが強かったのが、ヨーロッパで見つかった2人の男性のミイラ。これが本当に不思議で、沼の底の泥のなか(?)から見つかり、筋肉や骨が一部ないけれど皮だけがほぼ全身残っている、という。うむむむ不思議。
このミイラ、大きい方のミイラが小さい方のミイラを抱くような姿勢なので男女の遺体だと思われていたけど、解析の結果、どちらも男性だったそう。
そもそもその発見された沼がミイラになった人が生きていた時にも沼だったのかわからないし、誰かがそういう姿勢になるように埋葬したのかとか、全然わからないところが想像を膨らませる。
そういえば最近古墳の番組を見ていて、どこの古墳だっけな…?けっこう大きくて有名な古墳の石室の中に、身分の高い「〇〇のおおきみ」みたいな人のご遺体と、そのおおきみの側近が一緒の棺桶(石室)に埋葬されていたという珍しい古墳が紹介されていた。側近というのは持ち物からわかったらしく、二人は外傷があり殺されたかそれらの傷がもとで亡くなった可能性が高いらしい。詳しくはわからんけども。
戦やクーデターが起きて亡くなったのかなぁと思いつつ、亡くなったおおきみをお守りするつもりで側近も棺に入ったのかもしれないし、二人は身分関係なく親友だったので周りの人たちがともに埋葬してくれたのかも…などど想像が膨らむ。
ここで思うのは死んだ後に「こういう関係だったと仄めかしたいのでこう死ぬわ」というのが死んだ人にはできないじゃん?意味がつたわるかな…。たとえばヨーロッパの男2人のミイラも、1人の遺体をポイっと投げたら腕を広げたような体勢になった。続けて2人目の遺体を隣に投げたら1人目の遺体の腕の上に乗っちゃった。…っていうのがこのミイラの格好の真相で、2人は抱き合っているわけでもなんでもなく他人同士かもしれないし、古墳のおおきみだって自分が死にそうだから大好きな側近も連れていきたいな…ということで側近は先に殺されていたのかもしれないし…。後から他人が体勢を変えて棺に入れてるかもしれないし。想像が膨らんで楽しいよね(不謹慎…)。

しかしミイラ…。インパクトがものすごくて夢にまで出てきたけど、展示を見ている時も、見終わった後も、今も怖い。なんで怖いのだろうか考えてると、展示されていたパプアニューギニアのミイラ作りの映像を見ていて何となく気づいた。
ちょっと前のパプアニューギニアでは、遺族が死者を燻製にして先祖の墓所へと運ぶ。そこには代々の先祖のミイラ(ほぼ白骨化してるけど)があって、そこで先祖に囲まれて男性が座って佇んでいる様子を見たとき、遺体は怖いものではなく自分たちを見守ってくれている家族なんだなぁ。ここで亡くなった家族に会えると思えば慰みになるのかなぁなど考えた。

つまるところ、やがて必ず訪れる死が怖い。死がいつどのように訪れるかわからないのが怖い。自分の大切な人に訪れる死が怖い。ミイラを作りながら、その一時悲しみは忘れているかもしれないけど、消えないさみしさや喪失感が怖い。それらに抗いようがないことも。

ミイラ展で「あなたの死生観が変わる」という広告が書かれている。私は相変わらずだが「何が怖いのか」を改めて考えるきっかけになった。どの国のどの時代の人も死者への悲しみを乗り越えてきたんだなぁと。