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青い車と2

「離して下さい」

私は眼前の男に、敵意や不信感を隠そうともせずに睨みつける。

「離したらどこかへ行ってしまうでしょう?」

しかし男はそんなものは物ともせず、飄々と笑ってみせた。

「どこか?家に帰るだけですが」

「だからその家まで送ります、と言っているんですよ」

「いいですね。バス代が浮きます」

「そうですね。だから……」

「だが断る」

「おや」

男の言葉尻に被せて言うと、男は少しだけ驚いたような表情を見せた。

「さっきも言いましたが、私にとって貴方は不審者です。そんな人にひょいひょいついていくような尻軽ではありません」

「送るだけですよ」

「信用出来ません」

「おや」

また出た。如何にも驚いたような表情。

本気で断られないと思っているのなら軟派な馬鹿だし、分かっていながらそうするのはペテン師だ。信用出来るか、こんなやつ。

「とにかく、帰ります。なのでその手を離してください」

「嫌だと言ったら?」

「叫びます」

「おや」

男が女性の手を掴んでいて、それで叫ばれたりしたらどうなるか、この男にもわかるだろう。一気に不審者から犯罪者に格上げだ。

「仕方ないですね。じゃあ一つだけ聞かせてください。それにお答えして下されば手を放しますよ」

「……一つだけなら」

妥協できないほど子供でもない。渋々とだが了承すると男はなんだか嬉しそうに笑った。

「ふふふ、二言はありませんね?」

「……変態的な質問には回し蹴りという返答を差し上げますからそのつもりで」

これでも小さいころはやんちゃだったのだ。その学年の番長的な存在になる程度には。

あのころは大変だった。毎日のように降りかかってくる火の粉を払って払って。火の粉がかかってこなくなってくるころには私は孤立していた。男子には恐れられ、女子には倦厭され。友達と胸を張って言えるような人は高校に入るまでいなかったし。

……あれ、思い返すと何気なく悲惨な人生歩んでいないか?

「それでも不幸と言い切れないのが不幸なのか……」

「何がですか?」

「あ、気にしないで下さい。ただの独り言デスカラ」

男の言葉を軽く受け流すとあいた手で頭を掻いた。

我ながら失態だと思う。こんな男の前で昔のことを思い出してしまうだなんて。

「まあいいですけど。で、質問なのですが、いいですか?」

「う……はい」

覚悟を決める時が来たか。

念のためいつでも回し蹴りができるように身構える。それを見て、男はふ、と笑った。

「君が待っていたのは誰かな?」

青い車と1

完璧な青を見た。

空の青でもなく、海の青でもなく。どちらかというと、みんながパッとイメージする、原色の青。

本当はコバルトブルーだとか格好いい名前がついているだろうが、私には青は青としか思いようがない。

正直に言うと、いい学校を出ているわけでもなく、ましてや美術系の学校など縁もゆかりもない。

私、葵 深都子(アオイ ミトコ)。20歳を越えたの無職です。

つい先日までは工場に勤めていたのだが、辞めた。

今は、今更だけど車の免許を取るために自動車学校に通いながら家事手伝いをしている。

今日はバスで隣町のデパートまで来ている。

平日の昼間に一緒に行ってくれる友人などいるはずもなく、立体駐車場の屋上にある喫煙所で煙草を吸っている。

喫煙所と言っても壁があるわけでもなく、看板のようなものがあるだけでもなく。ただ灰皿とベンチと日除けがあるだけ。

そこでメンソールの煙草を吸いながら、目の前にある完璧な青を見る。

青、青、青。

周りの景色を鏡のように反射している青。

車体に映る世界は青みがかっていて、まるで暁前の世界みたいだ。

暁前の世界はとても綺麗だ。

青いフィルターがかかったような世界。

その世界が存在するのは、一日の中のほんの短い間だけ。儚くて、綺麗な世界。

車体に映る世界とは少し違うけれど、私はそれを思い浮かべた。

完璧な青に合わさっているのは、キラリと太陽を反射するシルバー。

筋のようにキラリキラリと光を伸ばして、目を細めると光の筋は目の前まで迫って来るようで、私は思わず手を伸ばした。

触れないと分かっていながらその手を伸ばす。

分かっている。光は掴むことが出来ない。

「あ、」

ぽとり、伸びた灰が落ちた。

目をやるとフィルターギリギリまで煙草は短くなっている。

水が入った大きな灰皿に煙草を投げて、汚してしまった罪悪感で落ちた灰を足で払った。

「はぁ………」

一つ溜め息を吐いて、群青色をしたパーカーのポケットから煙草とライターを取り出して、煙草の先に火をつける。

「まだかな……」

人差し指と中指で煙草を挟んで、一つ白い息を吐いた。

なぜ私が青い車を見ながら煙草を吸っているのかというと、ただ気になったのだ。周りの景色を反射させるくらい、綺麗な青い車の所有者が誰なのか。

ただ、それだけ。

自分でも暇人だな、とは思う。しかしこのまま帰ったってバスの運賃は変わらないし、家にも誰もいない。

妹はバイトだし、弟は学校。両親は共働きで、祖父母は畑で農作業にいそしんでいる。

特に趣味があるというわけでもないので、家でやることもない。

だから、私は待っている。この車の持ち主を。

男だろうか、女だろうか。マメに洗っているようだから、若い人かもしれない。初めて車を買った人だとか、車が好きな若くない人だとか、想像は尽きない。

煙草を吸いながらそんな事を考えていたら、隣から声をかけられた。

「隣、いいですか?」

「あ、はい」

弾かれるようにして顔を上げると、煙草を持った背広姿の男性が笑顔を向けていた。

ベンチの端の方に寄り、バックを膝の上に乗せるのとほぼ同時に、男性はベンチに腰掛ける。

男性が端の方に座ったのでバックを置く余裕はあるのだが、バックを元の位置に戻す気にはなれなかった。

男性はバックからCABINを取り出し、ジッポで火をつけた。

あの青い車と同じ、青いジッポ。光沢感のある青。

それが周りの景色をキラリと反射して私の焦げ茶の髪がブルーベースになっている。

パチンと軽い音を立ててジッポの蓋が閉まる音がして、私は視線を正面に戻した。

何をジロジロと見ていたのだろうか。失礼と言うか不躾というか、とにかく失礼だ。視線を戻して煙草に専念していると、隣から声をかけられた。

「珍しいですか?青いジッポは」

「あ……、すみません、ジロジロと見てしまって」

「いいえ。子供の様な顔をしていたのでどうしたのかな、と思いまして。綺麗でしょう?青は好きなんです」

「私も、青色は好きです。しっとりと落ち着いた気分になれます」

「キラキラと店の照明を反射していて、一目惚れでした」

「私も、お金があれば衝動買いしてしまいそうです」

落ち着いた声の人だ。

それでいて単調さはなくて、不思議と言葉を引き出される。

本当は、初対面の人とはこんなに話すことはできない。若い人なら尚更。

どうしても身構えてしまう。触れないで、近寄らないでと後ずさってしまう。

なのに、なぜだか落ち着く。身構えてしまってはいるけれど、距離を保ったままなら話すことができる。不思議だ。

きっと、青いジッポのせいだ。

しまわれることのないジッポのせいだ。

あの青が私をおしゃべりにさせる。

「もしよろしければ差し上げましょうか?」

「え?」

「物欲しそうな眼をしている」

「……………。」

何を言っているんだ、この男は。

「その提案は魅力的ですね」

「そうですね?」

「しかしお断りします」

「おや」

「初対面の方から物を頂くほど図太くはないですし、 何より自覚されているかは知りませんが貴方は私を警戒させるには十分なほど怪しいです」

「怪しいですか?」

「犯罪に巻き込まれるかどうか心配する程度には」

「しかし物怖じはしていないようだ」

「正直に言いましょうか?怒っています。ふつふつと」

「そうなんですか?」

「ええ。初対面の人間にこんなことを言う貴方と、こんないいものをひょいひょいあげようとする貴方に」

「結局私に怒っている、と?」

「はい」

「それは困った」

そんなことを言いながらも、男は全然困っているようには見えなかった。むしろこの状況を楽しんでいるような雰囲気。掴みどころがなくて、私はただイライラした。本当に何なんだ、この男は。

なんだか胃が痛くなりそうで、私はまだ長い煙草を灰皿に投げ入れて立ち上がった。

「それではもう帰りますので。さようなら」

もう会うこともないでしょうが。口には出さなかったが神様に祈るくらいには本気だった。

バックを肩にかけ、足早に立ち去ろうとした。が、腕を引っ張られてその場から動くことはできなかった。男のせいだ。

「……、……なんですか」

「送りますよ?」

「はあ?」

……神様。この意味の分からない男は殴ってもいいのでしょうか?
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