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空木が咲く前に 五十一

「ん――……?」

三つ折りにされた書を片手に、明は顎に手を当て悩んでいた。

出された茶はとうに温いを通り越して冷たくなっており、立ち上っていた湯気は役目を終えたというように立ち去っていて。

概要を知らない自分――五四六は、ただ隣で明の出す答えを待っていた。

「赤さん、調子はどうで?」

そう言いながら明を覗き込んできたのは、呉服屋の主人だった。年のせいか、すこしふくよかな体は気前の良さを感じさせ、垂れた目がそれをさらに際立たせていた。

その姿、振る舞いは完全に商いの玄人の物で、自分の中の疑問は膨らむばかりで。

「んー、わっかんねえ。『正攻法』じゃあ駄目っぽいんだよなー。潜り込め無さそう。何かいい案ない?」

明はそう投げやりに言うと、口をへの字に曲げながら書の一部を呉服屋の主人に渡した。宿木から渡されたという書は、紙自体が小分けになっているようだ。

その様子を見やり、何故呉服屋の主人と明がこのように仲よさげなのか不思議に思った。ので、そのまま口に出す。流れに身を任せることは処世術の一つだが、あまりにそうしていると流されすぎて話に一切の関わりを持てなくなる。

「なあ明。ここはいったい……と言うか、どういう関係なのだ?」

疑問が多すぎて自分でも大雑把な疑問だとは思うが、まずそこを知らないとどうにもできない。

疑問が顔に出ていたのか、明は少し困ったような顔をしながら、内緒だぞ、と耳に顔を寄せてきた。

「ここ、木蓮……つまりは俺たちの一味の人間が、退役?した後に移る場所の一つなんだよ」

「……この商店が、か?」

「そ。ちなみにこの人、現役時代は三つ顔の玄、って呼ばれてて……あいた!」

ゴツ、と鈍い音を立てて明はその三つ顔の玄と呼ばれた呉服屋の主人に頭を拳骨で叩かれていた。呉服屋の主人は、人のよさそうな顔を捨てて、どこの顔役かという鋭い目で明を一瞥した。

「口が軽いのは相変わらずだな?あ?」

「ご、ごめんなさい!でも五四六さんは口が堅いから!堅いから!」

「それは言い訳にもなっていねえよ!……はあ。久しぶりの裏仕事なのに、赤が相手じゃあなあ」

はぁ、と呉服屋の主人はあからさまな溜息を大きくついて、出来の悪い子供を見るような目で明を見やる。

「話の腰を折ってすまないが、赤、というのは明のことか?」

何故そう呼んでいるのか、という問いを含めて尋ねると、呉服屋に主人はニヒリと口の端をあげて明の頭をバシバシ叩きながら言った。

「こいつの頭、赤いだろう?外つ国の血が入っているらしくてな。それでこいつは木津坂の赤鬼っつって呼ばれてたんだとよ。今はすっかり牙を抜かれたようだがな?」

「木津坂の赤鬼……!?」

聞いたことが、ある。木津坂の赤鬼。今では子供をそこに行かせないための御伽噺のようなものだが、確かに耳にしたことがある。いや、耳にしたという程度ではない。そこしかない逃げ道から逃がさぬよう、怖顏の男がさも親切心から来るように言っていた言葉だった。

知らぬ間に噛んでいた唇を意図して離し、ぎこちない動きで隣を見る。

「あーーーーー!玄さん人のこと言えない!じょーほーろーえーだ!」

童のように癇癪を起こす明。ふと視線を下げると、追放の印である刺青の数々。

まさか、とは思うものの、こんな偶然があるものだろうか。

その過去に対して後悔はしていない。しかし、された仕打ちが変わることもない。

「……五四六さん?」

「あ、」

「顔が青いな。茶を入れ直させましょうな。……しかし、無関係ではないというような顔ですな?」

ぎとり、と。表向きは優しさで覆われているが、確かな鋭さと重みを持った目で呉服屋の主人は此方を見る。

「玄さん。こいつは仕事仲間だ。詮索屋は辞めた、だろう?」

「ああ、表向きはそうですよ。ただ、一度知ってしまった欲は消えませんでね?……ああ、そうだ。潜入についていい案がございましてね。しかしそれは飛び切り言っちゃあいけない事でもありましてね。どうです?赤から、もっと詳しい赤鬼を聞かしてはくれませんかね。それと、そこの兄ちゃんのあらましも。あらましでいいんですよ。それで充分ですから」

温厚そうな呉服屋の主人の顔で、その下に貪欲な何かを抱えて、三つ顔の玄は笑った。

明はそれに対し、バン、と畳を叩いて三つ顔の玄に身を乗り出した。その表情は。鬼と呼ばれる程に荒々しく、しかし人間としての情も確かに在って、明らしい顔だと思った。

「それ程の情報か?この辺りで商いをやっていれば簡単に知れる物なら、降りる。俺はともかく、五四六さんまで付き合わさせる程の物なんだろうな」

「ええ。ここいらでは私くらいでしょうな。何せ、張本人ですから」

「な……」

明は暫し絶句し、忌々しげに舌打ちをした。

「綺麗事じゃなさそうだな」

「ええ。それだけではやっていけないので」

確かに、大きな事を成そうとすれば、汚いことも抱えないとやってはいけない。それは、何においても、だ。人間の社会という物は、純潔であることはできない。汚いことに手を出しているからこそ出来る善行というのもあるのだ。

ふう、と俺は胸に溜まっていた物を全て吐き出して、明に向き直った。

「明。」

「……五四六さん。受けることもない。俺が何とか……」

明が言外に此方を気遣っているのは、よく考えなくともわかった。それが打算ではないことも、何故か手に取る様に分かる。呉服屋の主人が、明と裏仕事をすることに残念がっていたのはそういう事だろう。明は非情になりきれず、おまけに分かりやすい。

しかし俺は敢えて淡々と、ほんの少しだけ欲を孕ませながら明に提言した。

「こういう場合、正攻法で渡す賄賂はいくらだ?」

「……は?」

「いや、金の話だ。この人が知人ではなく、情報と交換ではない場合渡す賄賂の話だ」

そう告げると、明は笑える程ポカンと口を開けた。それと対象的に呉服屋の主人は状況を理解したのか、ケラケラと笑い出した。

「はっはっは!お前さんここで商いをするとはなぁ!嫌々確かに理にかなっている。お前さんにとって利になる方がいいもんな!」

「まあそう言うことだ。と言うわけで、帰ったらその分俺と六三四の分前に足しておいてくれ」

「はぁ!?ちょ、五四六さん、本当にいいのか!?」

「ああ。進んで話すことでもないが、利があるなら口を割らないでもない」

さらりと出た言葉にも、後悔はない。六三四がいるならそれ以上の事はないし、塩を塗られてもそこはただの古傷だ。今更膿むこともない。ただ一つ気になると言えば、六三四がこの場に居ないことだろう。了解を得りたいというのもあるが、単純に寂しい。

「俺が話すことで六三四と早く合流出来るなら、俺にとってそれ以上はない。六三四が全てだ。俺の世界は六三四で出来ている。だから、いいんだ」

「随分と惚れていらっしゃるようで」

そうどこか呆れたように呉服屋の主人は眉を下げながら笑った。

「惚れているなんて可愛らしい感情なら、俺は別の人生を歩んでいただろうな」

「そりゃ怖い事で」

「ああ、自分でも怖いさ。明も、いいのか?」

「はぇ?」

話を振ると、明は目を点にしたまま素っ頓狂な声をあげた。理解が追いついて居ないのだろうか。別に難しい話でもないのに。

明は暫く固まり、状況を整理している様だった。それから自分の中での納得がいったのか、溜息を吐くと冷たい茶を一気に煽り、どこか観念したような顔でもう一つ大きく呼吸をした。

「あー、もう分かったよ。五四六さん男前過ぎ。逃げ道ないじゃんこれ。……聞いて楽しい話じゃない、ってのは言っておくけどいい?」

そう言いながら明は足を崩し、足の上に肘をついて何処か遠い目で語り出した。

それに対して無言で頷くと、明は頭をがしがし掻いてから口を開いた。

「玄さんが知らない、ってなら最初から話さないとな……。そうだな、生まれから話そうか」

俺は見世物小屋の、綱に繋がれた男と女から生まれたんだ。

そう静かに言葉を紡ぐ明は、今まで見たことのない、静かな表情だった。
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