2014-3-8 02:59
休憩室はこの店で一番簡素な作りになっている。長机を二つ並べて、その周囲をパイプ椅子で囲んでいる。その他に小さめのテレビや、会議用のホワイトボード、黄色い花が花瓶に飾られているが、それは今は関係なく。
奥側のパイプ椅子に彼女を座らせると、私は逃がさないと意思表示するためにドア側の椅子に座った。
「で、名前は?」
そう横柄にも取れる口調で問い掛けると、彼女はふいと顔を背けた。
「あんたなんかに教えてなんかやらないもん!」
もん、と言えば可愛らしいと、庇護欲が出るとでも思っているのだろうか。
まあ、可愛らしい口調は嫌いではない。自分で使う事はないが。
しかし、今の私は怒り心頭状態な上この女が大嫌いだと感じているので、その口調は火に油を注ぐような物だった。
「ああ、そうか。ではこう呼ばせてもらおうか。犯罪者殿?」
嫌みたっぷりに。薄く笑いすら浮かべてそう言うと、犯罪者殿は怒りに顔を歪ませた。
「犯罪者ぁ!?何よ、この店は客を犯罪者呼ばわりするの!?最低!」
「店員に対する暴行。それに加え営業妨害に侮辱罪。警察に突き渡せば立派な犯罪者だ。違うか?」
「は、犯罪?警察?わ、私がそんなことにはならないもん!絶対ならない!悪いのは全部この店だもん!」
「そうやって、貧相な語彙で侮蔑されるのは喧しくて適わんな。その自信はどこから来るのだ、犯罪者殿?」
「私は犯罪者なんかじゃない!木之瀬里奈だもん!」
やっと名前を名乗ったか。しかしまあ、どうしてそこまで虚勢を張れるのか。いっそ気味が悪い。こんな人間がこの店に来ていたのかと思うと、怖気が走る。
「ああ、そうか木之瀬殿。自分は犯罪者ではない。あくまでもそう主張するのだな?一応聞かせて貰おうか。何故自分が犯罪者ではないと思うのだ?」
「私は悪くないからだもん」
同じ主張。ただただ自分は悪くない。それだけでここまで人を貶めるような言葉が吐けるなんて。なんという愚者だろうか。いっそ笑いが込み上げてくる。
「な、なによ。何が面白いのよ!」
くつくつ笑いながら、私はキシリと音を立ててパイプ椅子に背凭れた。
「私は、人を壊す言葉を知っている」
「は……?何を、言って……」
「まあ、私の独白だと思ってくれて構わない。人はな、辛い事があるだけ強くなる。そういう事はよく聞かないか?」
「聞く、けど……」
「ああ、相槌はいらない。私の独白。そう言っただろう?」
黙っていろ。そう言外に伝えると、木之瀬里奈は初めて居心地の悪そうな顔をした。
「辛い事を知るというのは、そうだな……辛さから来る優しさ、というのもあるだろうか。辛い思いをしたからこそ、その辛さを知っているからこそ、優しくなれる。自分が死ぬほど辛い思いをしたからこそ、同じ境遇の人間に優しく出来る。優しさは一種の強さだ。寛容さとも言えるだろう。しかしな、死ぬほど辛い思いをした。それはそうさせる程の何かを知っているということだ。暴力、暴言、差別。まあ色々ある。私の辛さなどたかが知れているが……まあそれでも、甘ったれた世界に生きている人一人くらいは壊せるらしい。私は実際には使った事がないから分からないがな。……で、ここからは木之瀬里奈。お前に対する問い掛けだ。……知りたいか、その言葉達を」
「い、意味分かんない……なによその変な考え!異常者よ!」
「私が聞きたい言葉はそれではない。聞きたいか、と問い掛けたのだ」
「し、知らない……知りたくない……!そんな異常者の言葉なんて聞きたくない!私帰る!家に帰る!」
ガタンと椅子を蹴って木之瀬里奈は立ち上がった。が、私はそれを力尽くで椅子の上に押し戻す。
「帰すわけにはいかないのだよ。敢えて言うなら、私は心底怒っている。まだ、謝罪を聞いていないからな」
「謝罪……?なんの……」
「しらばっくれるな。暴行に暴言。後で明と店長に謝ってもらう」
「い……嫌……。嫌よ、そんな、私が悪いわけじゃ……」
顔は青ざめているが、木之瀬里奈はそれでも虚勢を張る。
ああ、私を制御が効かなくなる程怒らせないでくれ。壊す事は、本当は嫌いなのだから。慈しんで、甘やかして。そういう方を好む性分だというのに。
なのに、木之瀬里奈は、私の逆鱗に触れたばかりではなく、逆鱗を殴ろうとしている。
「……では、暴言の方はまだいい。まだ、な。しかし、明を殴った事に罪悪感はないのか?好いていた男だろう?」
「……明さんなんて、もうどうでもいいもん!」
「一度は恋心を抱いたのに、か?想像したことはないか、明が君に熱の籠もった眼差しで見て、誰よりも特別扱いをして」
「そ、そんなの……」
「していない、か?」
「し、して、な……」
「まあ、お前が明とそうなる可能性は、今回の事でマイナス方向に天文学的数字にまで下がったがな」
「え……?」
「なんだ、本気で分かっていなかったのか?身勝手に傷付いて、身勝手に最低、と罵倒して、身勝手に殴った。それで明がお前を見初める……なんて、三文小説でも有り得ないことだ。それに……」
そこで、店の方向からわあ、と歓声が上がった。
「ふむ。明と梟は、この店に受け入れられたようだな」
「え……」
「ここに来る前に、明が梟を追いかけて行っただろう?そろそろ戻って来る時間だと思ったよ」
「そ、そんな……。え?明さんが?あんなガキに?受け入れられた、って……?」
「ああ、そうだ。明と梟は、晴れてハッピーエンドだ。君と違ってな」
「う、嘘。あんな、あんなガキに、ま、負け……?」
「そうだ、負けたのだ。……まあ、お前では、明がフリーでも恋は叶わなかったと思うがな」
「な、んで……」
「お前には、明が惚れる要素が見受けられない。身勝手過ぎる。人の気持ちを全く汲み取れない。その他諸々。……と、まあここまでにするか」
そう呟くと、カチャリと背後のドアが開いた。振り返って其方を見ると、ニッコリと笑った店長が入ってきていた。
「明くんと梟ちゃん、上手くいったよ」
「そうか、それは何よりだ」
「……で、少しは反省したかな、彼女は」
「絶望だけはほんの少し与えておいた」
つっけんどんにそう言うと、店長は少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。
「絶望って……暮麻ちゃんは手厳しいなぁ」
「それくらいで丁度良いだろう。なあ、木之瀬里奈」
「っ……」
ビクリ、と怯えたように、木之瀬里奈は肩を震わせた。
「ふむ……どうしよっか。月丸くん……ああ、警察の人ね。今店にいるんだけど、連行して貰おうかも悩んでたんだけど……」
「け、警察……?」
「うん、刑事さん。でも……今の店の雰囲気壊したくないから、君は帰りなさい」
「え……」
「君がいたら空気が壊れる、とだけ言うよ。裏口からで悪いんだけど帰ってもらうよ。あ、そうだ」
そう言うと、木之瀬里奈を威圧するように、店長は上から見下すように、冷酷に微笑んだ。
「逆恨みしてこの店と店員に何かしたら……コネを全て使って君を潰すからね」
……店長が、自分ではなく私を説得もとい説教に回したのは、店長なりの最後の優しさだったのかもしれない。
その笑顔、凄く怖い。
〈店長のコネ〉
・今まで勤めてきた会社関係
・経済学を学んだ時の級友(経済界や政治関連)
・裏道関係の方々
・警察(月丸から伸ばしていったらしい)
・常連客(数の暴力)