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お知らせ

諸事情により、こちらのサイトは無期限で凍結することになりました。
今までご愛顧ありがとうございました。
物語を完結することが出来なくなったのは、私としても心苦しいのですが、やむを得ずということで。
もし何かあれば、此方にコメントをよろしくお願いします。コメントは通知されるように設定されているので、長くても一週間以内にはサイト内でお返事させて頂きます。
ログは残しておくので、お楽しみください。

空木が咲く前に 二十六

この宿屋の名物、香木の風呂は大層人気だそうだ。
香木の球体が一つ浮かんでいるだけなのだが、それだけで湯船がいい香りで満たされる。
ふんわりと微かに、それでいて鼻孔をくすぐる甘くてほんの少し切ない木の香り。
それを堪能した私は、さらりとした麻の襦袢に着替えて、部屋に戻ろうとしていた。
ぺたぺたと、水気を含んだ肌は杉の床板に一歩ずつ吸い付き、離れ、心地よい冷たさに未練を引き連れて部屋の襖を開ける。
「……あれ、真っ暗」
同室の暮麻はどこへ行ったのだろうか。まあ、鬱陶しいくらいの世話焼きだから、どうせしのぶちゃんの所にでも行っているのだろう。
行燈に火を灯すために、記憶を頼りに部屋の奥に向かおうとした、が、その前に背後にいきなり気配が現れた。
侵入者?いや、違う。この部屋に潜んでいたのだ。でないとここまで反応が遅れるわけがない。
部屋に気配や、匂いや、体を馴染ませ、入ってくるのを待っていたのだ。
「だ、」
誰。そう言葉にしようとしたが、その前に大きな手で口をふさがれる。相手は男か。それなら容赦はしない。体格的に不利だ。前を向いたまま裏拳をくりだす。しかしそれを見越していたように腕は阻まれる。ならばと掴まれている腕を支点にして、体をひねり蹴りを放つ。両手がふさがれているから防御はできない。微かな勝者宣言が私の中に流れる。しかしそれは意外な方法で塞がれることになった。力任せに床に向かって叩きつけられた。腕は封じられたまま。
衝撃を予想して身を竦めさせたが、痛みは襲ってこなかった。柔らかな布団の上で、しかもご丁寧なことに頭の下に手を添えられている。
その頃になって私はようやく『襲撃者』の顔を知った。この部屋に明かりはないが、目を慣らすには十分な時間だったし、この香りは間違えようがない。
「……悪趣味〜」
「はは、ごめんな。俺もいきなり裏拳飛んでくると思わなかった」
そう言いながら明はくつくつと笑い出した。先ほどの軽い戦闘では武器こそ使っていないものの、明確な敵対心はあった。なのにこうやって笑われると、こちらが道化のようだ。
「はぁ……。で、なんで刺客まがいなことしたわけ〜?」
「んー、あのままバレなかったらお仕置きになってたかなー?って」
「身体的な?」
「肉体的な」
てへ、とだらしなく笑う明に頭を叩き、で、と続けた。
「本当のところはどうなの?」
そう言ったのに、明の表情は変わらない。笑顔のままだ。そこに、ぼんやりとした居心地の悪さを感じた。
「お仕置き。言ったでしょう?」
だらしなさが抜けた完璧なまでの笑顔。どこをとっても完璧な鉄壁で、付け入るすきなんかなくて、怖気がした。明が普段どれ程人間味のある笑みを浮かべていたのか、実感するほどに特徴のない笑顔だ。
人形のような、無機質な笑顔。こんな顔もするのだな、と私は笑った。
「余裕あるみたいだね?」
「そう見える?」
軽口をたたいて見せたものの、内心穏やかではなかった。それでも笑みを浮かべてみせるのは、純粋な恐怖が、とても心地よかったのだ。
普段の明は、陽気で気さくなばかりで、はっきり言って妥協していた。ただの手慰みに獣を撫でていたのと変わらない。
だが目の前の笑顔はどうだ。心を背徳的に駆り立てるものではないか。
くつくつと笑う。カタカタと笑う。ケタケタと笑う。明も笑う。ゲタゲタと笑う。
一見して異様な光景だった。褥の上で、男女が顔を突き合わせて壊れたように笑うのだ。
ひとしきり笑う。泣くように笑う。延々と続くような笑いだったが、笑い声は二人とも打ち合わせたようにぴたりと止まった。
「で、なんで『お仕置き』なわけ」
「梟さん、しのぶちゃんに意地悪したじゃん。それで頭に来たんだ」
「ああ、なんだ。バレてたんだ」
「好きな人の意中の人ぐらいわかるよ。そこまで鈍感じゃない」
「へ〜?じゃあ隠しても仕方ないね。私は月丸のことは利用してるだけ」
「知ってた」
「知っていてあんなことしたの?」
「うん。面白そうだったから。梟さんにとっても都合いいだろう?」
「『好きな人が好きな人を好きなまま手に入れる』だっけ?」
「うん。注意を月丸さんに向けておいて、しのぶちゃんはもらう」
「あほらしい」
「知ってる」
「救いようのないバカだ」
「梟さんもね。出来ればしのぶちゃんに対するいじわる減らしてほしいんだけど」
「それは明の都合でしょ」
「うん。だからお願いしているんだ」
淡々と互いに言いたいこと言い合って、互いに壊れた部分を掛け合わせた。
私も壊れている。明も壊れている。壊れた者同士が欠片を埋めながら都合を合わせる。
なんて滑稽なことだろうか。
「じゃあ、減らす代わりに見返り頂戴?」
「何がいい?」
「私を――    」
「――うん。いつかね」
その返答に私は唇をゆがめ、乱暴に明に唇を重ねた。
その先なんて、言うのは無粋でしょう?
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