2013-9-22 20:43
「まずは……ご承知の方々だと思われますが、私は雪唯。奈湖の国藩主が三男坊にございます」
雪唯様はそう言い、緊張に体を固めながらも、礼儀作法が行き届いている所作で軽くお辞儀をした。
その間にこの家に馴染んだのか、明さんは荷具の中から茶器を取り出し、湯を沸かしている。日も落ちかけ、ほんのりと肌寒さが身を包んでいたところに湯を沸かすための火と湯気が狭い室内に行き渡り、体の緊張がほぐれていった。暴漢に襲われ青白くなっていた雪唯様の顔も、今は少しだけ元の生気が戻ってきている。
雪唯様の正面に座る宿木さんはほんにゃりと笑ったまま「ところで」と切り出した。
「凄い有様ですねえ。端にある宿町は普段通り……いえ、宿町だからこそ普段通りだったのですかね。いろいろ情報は得てきていますが、百聞は一見にしかず、ですね」
「申し訳ありません……」
雪唯様が申し訳なさそうに顔を下げる。時期藩主という責任の重さは、彼の細い肩には重すぎるような気がしてならない。
「謝らなくてもいいですよ。貴方だけの責任ではないんですから。それより、事のあらましをお聞かせ願えませんか?」
「私から、ですか?」
「ええ、貴方から。主観が入っていても構いません。貴方自身も、どれだけ事情を知っているか。それは意外と重要な事なので」
宿木さんがそう告げると、雪唯様は太ももの上でぎゅっと手を握りこんだ。力を込めすぎて手は白くなり、小さく震えていた。それでも覚悟を決めたかのように大きく息を吸い込み、緩く吐き出すと、辛そうな顔をしつつも覚悟を決めたように話し出した。
「始まりは、父上……奈湖の国の藩主が病床に伏せたところからはじまります……。主治医の言うことには、そう、長くないと……。父上はそれまで大きな怪我も病気もしたことがなく、年もそれ程ではなかったので、次期藩主を決めていなかったんです……。私には兄が二人おります……。一番上の兄は正室の子ではなかったものの、知に秀で、さだにい……じゃなくて、雪定兄上が次ぐものだと私は考えておりました……。しかし、次兄の母上……えと、現在の正室が、雪綱兄上を次期藩主に、と推してまいりまして……。それからです。この国が荒れ始めたのは……。長兄は、本当に優秀なんです。でも、正室の子ではないから、と政(まつりごと)からは避けられ、肩身は狭かったことでしょう……でも、さだ……雪定兄上は執着していなかったんです。然るべき者が政を行えばいいと……。それで当然のように雪綱兄上が力を増していきました……。しかし、それが……この国を荒廃させていきました」
「……と、言うと?」
宿木さんが次を促すと、雪唯様は悲痛な表情で、それでも震える声で話してくれた。
「雪綱兄上を次期藩主に、と声を上げ、その……えと……貢物、を、差し出す者を、藩内で優遇を始めたのです」
「ふむ。賄賂ってやつですね」
「……そう捉えてくださって構いません。恥ずかしながら事実ですから……」
そう、肺腑に残った空気を押し出すようにした雪唯様は、あばら家の中央で縮こまってしまった。
まあ、分からなくもない。全部分かるなんて驕ったことは言えないが、身内の揉め事が藩内に及ぼしてしまうなんて。
「そうなると……役人は賄賂を贈るために税を上げる。商人は品の値を引き上げる……」
「はい……。しかも、挙って、争うように……」
月丸の言葉に、雪唯様は更に悲痛そうな顔になっていく。自分自身も体感しているからこそ、民の辛さも分かるのだろう。
「ねえ、ちょっといい?」
少しの疑問が胸の中に生まれ、私は右手を挙げた。
「はい、どうぞしのぶさん」
「奈湖の国、元々はまとも……っていう言いかたは失礼かもしれないけど、普通の国だったんだよね。隣の常の国にはまだ在り様は伝わっていないんだし」
「商人や、耳の早い方はもう知っているでしょうがね。一般の方々にはまだ届いていないはずです」
「そうだよね。うん、そうなんだよ。だったら、賄賂を贈ろうとしない、良識?のある役人さんとか、商人さんとか、いないわけじゃないよね?その人はどうなってるの?」
「それは……いま、した」
「過去形か……」
「月丸……」
なんとなく想像はしていたが、……いや、この在り様を見ていたなら想像は難くなかったはずだ。しかし、尋ねずにはいられなかった。
「命は、あるんだよね。一部でも」
「……はい。村八分状態ですが」
「どういうことだ?あ、お茶どうぞ」
そう言いながら明さんは皆にお茶を配っていた。月丸たちはもう口にしているから、私たちが最後だったのだろう。近くにいる人間から配るというのは明さんらしい。
話は聞いていたがよく理解していないような明さんに、宿木さんは深い……ふっっっかーい溜息を吐いた。
「いいですか。賄賂を渡す人間が上に行くんです。順番は賄賂が多い順と考えた方がいいですね、この場合」
「あー、そっか。次男坊が賄賂を要求していたって言ってたな」
「言外に、かもしれませんがね。そうなると、良識も立場もある人間は、賄賂を受け取る側からしたらどう思われます?」
その言葉に明さんはうーんと唸り、一瞬だけ鋭い目をした。
「あー、分かった。つまりこうだろ?煩くて立場のある人間は賄賂云々の人間からしたら面倒くさい。だから降格したり……最悪暗殺とかもあるってことだな。商人はともかく、役人はもうやばそう。政どころじゃなくなってるだろうなー」
「及第点ですね。もう少し加えるなら、商人も危ういです。衣食住関連なら尚更。自分だけ今までどおりに商いをしても商品が無くなって、値段を上げざるを得ないはずです。安いところがあればお客は殺到するでしょうからね。外から仕入れるにしてもそれはそれでお金かかりますし」
そこまで話したところで、室内に何とも言えない沈黙が落ちた。
でも、私はあれ、と首をかしげた。
「じゃあ、なんで雪唯様が時期藩主なの?話の流れからしたら雪定様か雪綱様が争っている感じじゃないの?」
「ああ、えと、それは……私にもわかりません」
「え?なんで?」
「床に臥せっている父上の独断……としか聞き及んでいません。雪綱兄上からすれば父上は唯一手出しのできない人間ですからね……」
「えと……こういうのはアレかもだけど、うんと、暗殺?とかはしないの?雪綱様は。病気で長くない人なら、いつ死んでしまってもおかしくないんじゃないかな」
「……父上は、現在のお庭番と強いつながりがあると聞き及んでいます。そのせいでしょう」
雪唯様の言葉は私の頭をさらにこんがらせた。道筋が見えない。お世継ぎ問題と言う難しい問題のせいもあるのだろうけど、どこか……意図的に話が見えなくなっているような気がする。この中で一番頭が回る宿木さんも、困ったような笑顔を見せている。ただ、私が見えている物とは違うものを見ているような気がするのだけど。
宿木さんはしばらく顎に指を当てて悩む仕草をすると、よし、とパッと顔を明るくした。
「私、藩主様の所に行って話を聞いてきますね!」
「「「「「「「っ!?」」」」」」」
予想外の変化球だった。いや、ある意味直球なのだけど。
絶句する私たちをよそに、宿木さんは花がほころんだような笑顔を見せたのだった。