きれいな人ていないのかも。みんなどこか汚れている。そんな自分も。でも、あそこまでは汚れていない。あの女やあの男もひどい。きっと天国にはいけないだろう。次生まれてくるときは苦しむと思う。人間は不平等があたりまえとあの人が言ってたっけ。今の自分は仮の姿を借りているだけで魂はまた次の生き物にうつるんだと。今の自分の欲望、優越感、自己満足、自分がみたされていれば魂が喜ぶんだろうか。なんにも考えず、生きていけば魂は満たされるんだろうか。今の姿が美しいか、醜いかなんてだれが決めるんだろうか?心の中で思ったこと、生きてきた過去は顔にからだに蓄積されて、姿になる。でも、醜い人でも心が綺麗な人たくさんいるし、綺麗な人でも冷たい人間はたくさんいる。だれかを見抜くとき、どこで見ぬけばいいのかわからない。性格=脳ではないかなあと。脳がそうさせている?死んだ人間は生きていたときの人間と違って石のようだった。
もう、生きていたときのあの人ではなかった。魂が抜けたからだ。もう二度と話すことはない。もう二度と一緒に出かけることもできない。だから、大切な人に生きてる限り、精一杯優しくしたい。話の論点がずれまくりの言いたいことをただ言うブログになってしまった。人間としてうまれ、心を持ってしまったから、心を磨く為にいきていかなきゃないのに、心の汚いやつらに邪魔されて、憎んだり、失望したり、人間不信になってしまった。単純に考えられる人間ならよかったのに。嫌いな人間や敵が増えるばかりだ。