*まとめ*
*ここから急に小説っ*
一足先に自室に向かった桂に続き、高杉はものも言わずに部屋に入った。口元にはまだ煙管を咥えている。
果たして、既に部屋の中央に据えられた日本卓の前で正座をしていた桂が、それを目敏く発見する次第になった。
「高杉、煙管は止めないか。こんな場なんだぞ」
小言を言われ、高杉はようやく煙管の火を消した。本当に渋々、嫌々ながらも、ここだけは部屋の主人の言う通りに。
しかし何も言わず、日本卓の前に座って胡座をかいた高杉を前にして、桂もまたピシィッと正座し直す。板が背中に入ってるかの如く真っ直ぐな姿勢は、ひどく美しい。なのに相対する高杉が幾分かだらりとしているのは、これはその、そういう仕様なのだろう(晋助)。
そしてお茶も何も出さず、桂はいきなり本題に入った。
「俺が今夜、お前を呼び出したのは言うでもない。高杉……お前は新八くんに何をしている」
重い声で問われたことは、高杉の中で導いたさっきの答えとほぼ同じものだった。やはり、己が考えていた事と一緒だった。
だけど高杉は桂の目を見る事はできない。どうしても。
「あ?……それを何でテメェに言う必要がある、ヅラ」
だから斜に構えて、フン、といつものように鼻で笑い飛ばしたのに、桂は未だ平静だった。そして、銀時には敢えて話さなかったことを高杉には語ったのだ。
「とぼけるな。俺は見たんだぞ。もう何日も前になるが……貴様が新八くんに無体をしているところを」
「…………」
黙り込んだ高杉を見て、桂は尚語る。
「ある日のお前が、新八くんを連れてどこかに行くからな。これは珍しい組み合わせもあるものだ……と思って尾けていた。銀時と新八くんではなく、お前と新八くんの二人だからな。それは俺の純然たる好奇心だ。そうして尾けた先に、お前たちときたら……」
「…………はっ、人の情事を覗き見たってか?いい趣味じゃねェかヅラ」
「ああ、それはそれでいい。俺を笑いたくば笑え。だがな、あの時の新八くんも決して嫌がっていなかった。むしろお前を……だから俺は、新八くんに免じてお前を許そうと思ったんだ。高杉」
皮肉を飛ばそうとも、桂の真摯な声は止まない。そして語られるは、桂が自分たちの仲に気付いてしまった時のエピソード。
もう一切合切の誤魔化しはきかない。この聡明な幼馴染は自分達の関係に完全に気付いている。
「お前と新八くんの間にどんな事情があるかは知らない。新八くんの事を、お前がその、好いているかどうかも俺は知らない」
「……フン。知らなくていいぜ、んな事は」
しかし、桂は決して高杉を責めるだけのつもりではなかった。むしろ銀時が気付かなければ、高杉と新八の二人をそうっとしておこうとすら思っていた。新八と触れ合うことでだんだんと変わってきた高杉の心向きを好ましくさえ思っていた。
だけど銀時が気付いたから、坂本にもそれが波及する形で事が露見してしまったから、話はそうもいかなくなった。桂の心に留めておくだけにはいかなくなった。
だから今、桂は真剣な面持ちで再度高杉に向き合る。“仲間”として。
同じく仲間の一人である新八を、皆より年下だからこそ誰より先に導かねばならない存在の新八を、時には護っていかねばならない新八を、
そんな立場の少年に勝手に手を出していた目の前の男に、絶対にでも一言言わねばならなかった。
それは桂自身の為では、決してなく。
「聞け高杉。新八くんは俺たちと同じ、松陽先生の元で学んだ仲間だ。だが、先生が連れて行かれた時に皆で誓っただろう?新八くんを今度は俺たちが導くと。新八くんが未熟な時分は、俺たち三人で共に護っていこうと」
それは思い起こせば、今よりも遥か昔の記憶。だけど桂はその日を忘れたことはなかった。もちろん銀時も、高杉も。
皆に剣を教え、“侍”を説いた恩師が、掛け替えのない師が、錫杖を持った謎の幕軍に連れていかれたあの日。皆がまだ幼く、何も出来ない子供だった。
燃え盛る校舎を前に、為すすべもなく立ち尽くすことしかできなかった。
だけど、幕軍によって連れ去られる間際に恩師が放ったそのせりふ。自分達三人より少し年下の少年に向け、涙にくれていたその幼い少年の頭をそっと撫でた師は、確かにこう言ったのだ。
いつものように、眉尻をほんのり下げて笑って。
『なに、大丈夫大丈夫。私はすぐ帰ってくるよ。お前たちの心配には及ばない。でも……新八はまだ少し幼いからね。銀時も小太郎も、晋助も、この子をよろしく頼んだよ』
そう言ってにっこり笑った師の顔は、燃え盛る炎に照らされているというのにいつもと全く同じ朗らかなものだった。
それは教卓の前に立ち、色んな教えを皆に説いている時。または河原道を当てもなく歩きながら、側を飛ぶ蜻蛉の姿を皆に教える時。
先生の笑顔はいつも、どんな時も変わらなかった。
『ね、“お兄ちゃん”達』
しかも付け足しとばかり、茶目っ気たっぷりに笑んでいた。
しまいには後ろに控えている敵方の連中がイライラするのにも関わらず、そこからまた一人一人に向けて何かを言いつけていた(先生)。
『銀時は甘いものを食べ過ぎないようにね。小太郎や晋助の言いつけを守りなさい』
『えええ、嫌だよ松陽。ヅラはともかく、高杉の言うこととか聞けねーよ、俺』
先生は、幼き銀時の言い分を全く聞いていなかった。
『次に小太郎。小太郎はね、君は頭はいいのにどうも妙な事をし始めると止まらないところがあるからね。そんな時は、銀時と晋助の言うことを聞くように』
『ハイっ!分かりました、先生!』
『オイオイ、ヅラが俺とか高杉の言うこと聞くはずねーじゃん。分かってねーな松陽はー』
やはり先生は、銀時の言い分を完全に聞いていなかった。幼き桂にニコニコと笑いかけているだけだった。
『小太郎の返事はいつも大変よろしい。立派だよ。最後は晋助。晋助は……もうちょっと素直になれると凄くいいんだけどなあ。でも、晋助は晋助のままでいい。君は君のまま、君が思う侍になりなさい。銀時や小太郎と助け合ってね』
『……はい、先生』
『ちょ、だからさあ松陽。高杉が俺やヅラと助け合っていく筈ねーよ?俺をボコそうと毎日目を血走らせてる奴だよ?』
ここまで来るともはや誰にも分かっていようが、先生は銀時の話を全く聞いていなかった。
不貞腐れたような、だけど幼いながらも確かに侍の魂を宿した幼き高杉の目を覗き込み、ニコニコっと満足げに笑んだだけだった。
『うん。とってもいい返事だね晋助。感心だ。ハーイじゃあもう一巡行ってみようか、まずは銀時から』
いい笑顔の先生がくるっと再び銀時に向き直り、またも言い付けの二巡目に行こうとしたその時に、後ろの黒尽くめの編笠連中が、
『いやもう待ってらんないんだけどォ!?何こいつ、自分が今から捕縛されるっていう自覚が全くないよ!もういいよ、お前来い!吉田松陽!!』
呆れて憤怒していた姿も、各々の印象にはとても深かった(何してんの先生ッ)。
しかしそんな先生が、松下村塾の三人に託したのは新八だから。
『よろしく』と、あの温かな笑顔で、陽だまりのような教室で見せたものと同じ笑顔を置いて、新八のことを頼んで行ったから。
「なのに……先生にどう顔向けする気だ、貴様は……」
そんな少年に高杉が軽率に手を出していた事実を、許そう許そうとは思いつつ、恋愛は自由だとも承知しつつも、先生への尊敬や託された責任感から、桂の中ではどうしたって歯噛みする思いが噴出してくる。先生の思いを尊重している桂だからこそ。
だからこそ募る憤りを抑えて、声を荒げる事を極力控えた桂の尽力は計り知れない。
「……さあ、どうだったかな。俺たち三人か……少なくとも、あの時にはもう銀時には違うもんがあったんじゃねえか?」
だがしかし、桂から問い詰められても、高杉はまだ真正面に桂を見ることができない。自分などよりずっと前から新八に惚れていた銀時を詰る口調になった。
「ああ、そうかもしれない。だが銀時は貴様とは違って、新八くんに手出しはしていないぞ」
「…………チッ」
けれどこれほどに澄んだ目で桂から見つめられ、正論を語られては、もう何も言えなくなる(マジにな)。
そして、ようやく高杉もポツポツと語り始める。
「銀時は……知ってんのか。俺と新八のことを」
「ああ、ここまでの詳細は知らないがな。新八くんはお前に強要されて関係を持っているものと思っているぞ。頑なにな」
「まあ……あながち間違いではねェよ。最初はそうだった。最初は、その……嫌がってるアイツに無理やり」
桂の前では割合素直に話せるのか、つっかえながらも語る高杉を見て、桂は物憂いため息を吐き出した。
「ハア……お前ときたら全く。申し訳なくて新八くんに顔向けもできんな。暴れん坊総督っぷりも大概にしろ」
「そんなモンになったつもりはねェ」
「暴れん坊とはアレだぞ?坊と言うか、むしろ今はお前の股間の棒の方を言っているのだぞ高杉。この暴れん棒めが」
「だからそんなイチャモンを付けられる覚えはねェ。殺すぞヅラ」
どれだけボケられようが、もはや高杉の顔面の筋肉はピクリとも反応しなかった(そりゃそうだ)。そんな高杉の能面顔を見た桂は、再度ハアァと重くため息を吐く。
そしてゆっくりと口を開いた。
「しかし、お前の言う“最初は”とは何だ高杉。初めは新八くんに無理やり関係を迫ったのは分かったぞ。なのにお前たちにはその後があるのか」
「最近の俺とアイツは……そんなもんじゃねェ。そんな言葉で片付けられねェ。いや、もう俺は……」
チラと目を上げた桂の視線に促されるように喋った高杉だったが、自分の気持ちを伝える段階になるとやはり声は止まる。そんな高杉には慣れているのか、桂は何も言われずとも言を引き継いた。
「始まりはどうであれ……もう今のお前は、新八くんをかけがえのない存在と思っているんだな?」
「……うっせェ」
プイとそっぽを向く横顔に、桂の視線をヒリヒリと感じる。感じるから、高杉は桂の顔を見る事ができない。
そんな高杉の捻くれた態度に、ガキの頃と全く変わりのない斜に構えた横顔に、当の桂は苦笑を溢す。何回も丁寧に確認しつつ。
「よし。お前のそれは肯定と受け取るぞ、いいのか?」
「好きにしやがれ」
「あい分かった。だがな、高杉。俺はそれでいいとしても、銀時はどうだ?銀時にはどうけじめをつける?……新八くんをずっと好いていたあれの気持ちを、お前は誰より知っているんじゃないのか」
静かに問われ、高杉は低くため息を吐いた。無性に苛立っていた。
大人になる一歩手前で、まだ同じところに居る自分たち三人に。
「けじめも何もねえよ。銀時は俺を殺そうと思ってんじゃねェか」
「……ああ、そうかもしれん。高杉を殺したい、とは血を吐くような声で言っていた。あれの気持ちは底知れない。だからどうするんだ、と俺は言っている」
「俺が知るか。銀時が俺を殺すつもりでいるなら、受けてたってやらァ」
「そういうことを言っているんじゃない!!」
はっ、と己が嘲った瞬間に、ドンっと強く卓子を叩く桂の拳。ギリィと噛み締められたその唇。
真剣な面構えを見せる、常にはない幼馴染の緊迫した姿。
高杉は低く笑った。この苛立ちがどこから来ているのかも分からぬままに。
「……いいぜヅラァ、もしもそうなった時。銀時と俺が殺し合った後で、もし俺が生きてたら……その時ァ俺はここを出て行く。新八も連れて行く」
言った言葉は、ほとんど無意識だった。『新八を連れて行く』と、そう口に出して初めて高杉は己の気持ちを確認できた。
自分は新八と離れたくないのだと。
「っ、ふざけるな!そんなことは俺が許さないぞ!」
けれど、ガタタッと立ち上がって紛糾した桂につられ、高杉もまた立ち上がっていた。
目の前の幼馴染の着物の胸ぐらをぐいと掴む。そして叫んだ。
「テメェの許しなんざ誰も求めてねえよ!」
……その後の事はよく覚えてすらいない。
ただ、桂とは久々に取っ組み合いの喧嘩をしたと言っていい事態にはなった。高杉は桂の言うことを聞く気がなく、桂もまた己の意思を曲げない男なので、これは必然ではあったのだが。
桂の右頬に高杉がグーパンを叩き込み、逆に桂の拳が高杉の左頬を打ち倒し、その場は一応は収束の気配を見せた。五分五分の勝負。ガキの頃と同じくだ。
だけれど、高杉がその場に倒れたままでいたのも、やはりどこかで桂の言葉が引っ掛かっていたせいかもしれない。
「そこで反省しているといい。銀時のみならず、お前は新八くんの気持ちも考えろ。少し……頭を冷やせ」
頬を腫らした桂が、大の字で倒れてる高杉を見下ろす。そのまま捨て置き、部屋の主人はくるっと背を向けて部屋を出て行った。そこに高杉だけを残して。
しばしの間高杉は黙り、殴られた左頬に手をやっていた。そして少し笑って、
「……アイツの気持ちなんざ、俺が知りてェよ」
呟いた。少しだけ、ほんの少しだけ、その声音は震えている。
桂に秘密の関係がバレたことに、しかも銀時にまで露見している事実に、まだ年若い己も内心では動揺していたのだと悟った。鬼兵隊総督としていつも泰然としている筈の自分だとて、そう悟らざるを得なかった。
しかしだからとて、新八のことをもう手放せない。
だって、高杉は知らない。新八が自分をどう思っているのかを。
新八自身も敢えて言わないでおいた、ふたりの関係。ふたりの関係を露わなものにしたら、何もかもが終わってしまいそうに思えていたから、敢えて曖昧なままにしていたのは新八の方だった。それは新八の優しさだった。
でも、だからこそ高杉はよく分からない。新八が自分をどう思い、何を考えて自分に抱かれているのか。
この恋の入り口はまぎれもなく無理やりだった。新八の事を明らかに好いてる銀時への対抗意識もあった。確かにそこから始まった。でも、いつの間にか自分にとっての新八は手放せない存在になっていた。
仲間を喪くした日、辛い戦の重なった日々。幾度となく戦場で生を確かめ合ったし、護ったし、逆に護ってくれた。気持ちと共に身体がばらばらに崩折れそうになる夜も、そっとその手で護ってくれた。繋ぎ止めてくれていた。
温かいその身体を抱いて、自分は生きていると、コイツもちゃんと生きていると、安心できた夜が確かにあった。
始まりは遊びでも、もう自分は、確かにあの少年を愛してた。
その意味を、その確信を、桂にぶん殴られてやっと高杉も分かりかけていた。そして知りたくなった。
新八が自分をどう思っているのか、どう思って自分を受け入れてくれるのか。
どう思って、自分を抱きしめてくれるのかを。
(知りたい。お前が欲しい。お前だけが俺をこんな気持ちにさせる)
ひりひりと疼く頬が熱をもち、じんじんとこみ上げてくる想いが溢れる。初めての感情。
──お前の存在が、確かに俺を生かした夜があった……お前が居たから、俺は。
生まれて初めて感じた想いは、とりとめもなく夜の底に降り積もっていくばかりだった。