*まとめ*
銀時と高杉による殴り合いの喧嘩があった夜を境にして、新八たちを取り巻く状況は着々と変化を見せていた。もちろんそれは銀時と高杉が徹底して口をきかないことであったり、口どころか目すら合わせないことであったりと、日常での変化もさながらだったが……特筆すべきは、攘夷の軍を包む大きな戦局の流れが変わったことだと言えよう。
盛大な殴り合いの夜を見ていた上弦の月が、今は下弦に張り出す頃合いの宵の口。
城内のとある小部屋には行灯が灯され、部屋の中央に置かれた地図の上には、敵軍を示す赤い凸駒と自軍を示す青い凸駒とが乱雑に散らばっている。
その地図をぐるりと囲むようにして、顔を突き合わせて話し合っているのは、銀時、高杉、桂、坂本の四人だった。
「──で?どうすんの。ここの場所はもう敵にもバレてんだろ?なら明日明後日にも仕掛けてくんじゃねーの」
何やら思わしくない状況を語る銀時が、だけどあくまでもしらっとした顔で三人の男達を見やる。しかし会話の発端こそを作ってはいるが、こんな軍議の場に銀時が出てきたことはこれが初めてだった。
敢えて新八を置いて、高杉の呼び出しに飄々と応じてきたことも。
「ああ……まず間違いない。この城を叩けばいいと踏んでるだろうからな、幕軍は」
銀時の隣りに座する桂がポツリと意見を述べる。顎に指を掛け、中央に置かれた地図を見つめる横顔は険しい。
桂や銀時の言い分にもあるように、敵方に放っていた間者の情報により、幕軍がこの山城の存在に気付いたということは分かっている。一旦気付かれたら、あとはいつ強襲があるかどうかだが、どうやらそれはもう自明の理だったらしい。
早馬を走らせた者が探ってきた情報によると、敵は既にこちらに向けて行軍を始めたようだった。
とすればもう戦は避けられぬ。元より、避ける気などないのがここに居る四人であるからして。
「城……せっかくここには戦用のいい山城があるからのう。弾も武器もある。足りんのは兵隊ばかりよ。それならここになら立て篭もって、籠城戦っちゅうんもできる。少ない兵力でもこっちが有効に闘える手ぜよ」
難しい表情をした桂の隣りで、こちらは対照的にえらく呑気な顔をした坂本がポンと手を打った。続いて、いつものようにアッハッハと高笑いで場をつなぐ。
この男、坂本は地頭は決して悪くないのに、むしろ良い方なのにも関わらず、如何せんどんな場においても締まりが無いのである。むしろ皆無である。
だけども、締まりのなさは置いておくとしても、坂本のこの話は有効に思える手段だった。確かに幕軍に比べて、こちらの攘夷軍は手勢が薄い。とすれば、この山の城塞を徹底的に利用した籠城戦に持ち込むのが手筈通りだ。
元からして合戦を見越して建てられているのが、この山城。敵を寄せ付けぬ武者返しや、敵から身を隠しながら鉄砲を撃ち矢を射る為の狭間に、石落としの為の小窓も廊下には無数に開いている。
「それなー。確かに、この城に籠るのはありかもな。俺はつまんねーけどさ。でも向こうはここの山の地形とか知らねえ訳だし」
そんな城塞を利用せずしてどうするという話は、さすがに銀時にも分かる。分かるからそう言ったけれども、如何せん籠城戦というものにどうにも心は踊らなかった。
そしてどうやらそれは、銀時の真向かいに座る黒髪の男も同じだったらしく。
「んで?どうするつもりだよ、総督さんは。マジ籠城戦に持ち込むつもり?」
地図を眺めながら思案にくれる風体の高杉に、銀時はニンマリと笑いかける。
このところは全く話していなかったとは言え、ここには桂も居るし坂本も居る。何より高杉との諍いの発端になっている新八の姿がないので、ここで少しばかりは水を向けてやっても良いだろう、との白夜叉判断だった。
実に一ヶ月そこそこぶりに銀時から話しかけられた事に内心では驚きつつ、だけども高杉は別段表情を強張らせたりなどしない。チラと銀時を見るなり、煙管を咥えた口元に指をやり、桂と坂本の顔を順繰りに見て言った。
「……はっ、馬鹿を言え。誰が城になんざ籠るか。山の下にある平原で迎え撃つ。敵は全員ぶっ殺してやらァ」
言い放った途端、高杉の手が地図の上の敵の凸駒を薙ぎ払う。跡形もなく散らされた赤い駒がばらばらと無残に畳に落ちるのを見て、黙って笑ったのは銀時だった。
「お前やっぱバカだわ、高杉。でも俺も賛成。そっちのが面白そうだしよ」
新八が絡むと途端にクソ野郎に成り替わる高杉ではあるが(いや銀時の中では)、痴情のもつれがなければ、高杉の闘いへの本能は銀時と似通っているものがある。だから高杉の言い分だとて面白く聞ける時もあるし、自分のやり方にそぐうなら賛成もできるのだ。
故に高杉と銀時における、軍議も作戦もクソもないその言い方を諌めるのは、当然の如く今回も桂の役目だった。
「どういう事だ、高杉。下の平原で迎え撃つだと?正気か貴様は……兵力が劣った今、それをして何の意味がある」
腰を浮かせ、険しい表情を崩さぬままでじりっと高杉ににじり寄る。
高杉はそんな長髪の幼馴染を見据え、口に咥えたままの煙管の煙をふうと吐き出した。
「正気も正気だ。寝言を言ってる訳でもねェ。籠城戦に持ち込んで、少しでも長引いてみろ。備蓄が少なくなれば仲間内でいやでも暴動が起きる。下手すりゃ殺しあうかもしれねェ。しかも戦が長引くかどうかは、向こうの攻め方次第ときてやがる。こっちは城を守る限りは動けねえ」
「確かにそれは……その通りだが」
高杉の言い分に、うぐぐと言い詰まるは桂。
しかし血も涙もないような、バッサリと全てを断ち切るような言い方であるが、高杉の話は至極的を得ていた。籠城戦というものは全員で城を守り、全員で闘う。その間は城をむやみに空ける訳にもいかぬので、食料や弾薬、武器などの補充はみだりにできない。城という城塞をフルに使えるが、あとは自前の備蓄を削って闘うしか術はない。
そして、残り僅かとなった食料や弾薬を奪い合って仲間内で殺しあう……などの悲劇が起きた過去の籠城戦も決して少なくはなかった。
従って、短期決戦に持ち込める算段があるならいざ知らず、何の勝機もなしに籠城戦に入るのは自滅の理だ。敵に戦の舵取りの全てを投げ出すこと、と高杉が結論付けても致し方がない。
何しろ向こうは弾薬の補充も人員の補充もできるのに、こちらはできないのだからして。
「なのに、それを分かっていて敵任せで闘うだと?ふざけるな。そんな事に鬼兵隊を動かせるか。自分で自分の舵取りもできねェ……んなモン、この俺が看過できる筈があるめェよ」
ふー、と細く長く煙を吐き出し、高杉はバッサリと斬り捨てる。そして冒頭の自論に話は立ち返る訳だが、高杉の言い分を分かっていて尚、まとめ役の桂の頭がキリキリ痛くなってくるのは仕方ないことだろう。
「全くお前はこれだからな……お前の話は分かるぞ。だが危険も考えろ。銀時も止めろ、この馬鹿を」
そしてもう一人の幼馴染である銀時に助け船を求めるが、その銀時だとて、本来はこんな軍議などに出てくるような男では決してないのだ。今もホラ、桂に話を振られても、ぶんぶんと顔の前で手を振っているくらいのもので。
「いやいや無理だろこれ。さすがの俺にもこの馬鹿は止めらんねーよ、だって本物の馬鹿だしさァ。本物の中二だし」
「黙ってろクソ天パ」
銀時の減らず口をピシャリと撃ち落とすのは高杉である。だが撃ち落とされたまま、黙っていられるならそれはもう銀時であって銀時ではない。
「いやてめえの方がクソ総督っつーか、むしろクズ」
「……クズにクズと言われる筋合いはねェな」
「いやあります、クズはクズですぅ。正論言われてブチ切れてくるのはクズって言うの、人のもの掻っ払う行為は洩れなくクズって呼ばれるの」
反吐でも出そうな様子の高杉に淡々と言い返すと、ピクリ、とそのこめかみが動くのが分かった。『人のもの』という銀時のセリフに、大いに何らかの感情が喚起されている事も。
「……掻っ払うなんざ誰がするか。だからアイツはお前のもんじゃねェっつってんだろうが」
早くもブチ切れている様子の高杉が、それでも声を押し殺してダンッと乱暴に畳に拳を着く。銀時から見てもクソ生意気なその態度。
含んだ会話の中なのにすぐに何のことか思い当たるなんて、それは自分と同じ土俵に居る証拠なのだ。自分と同じものを高杉もまた欲しがっている証だ。
だから銀時はせせら笑うだけだ。
「え?いや別に、俺は誰のこととか言ってないんだけど。てか『人のもの』っつっただけじゃん?それを何でてめえは特定の人間に即関連付けるの。やだー、高杉クンってば心当たりあるの?だれだれ?ねえ誰の事言ってんの、総督さんよォ」
ぷぷー、と擬音のつきそうな笑いを向けてやると、迫力のある三白眼で盛大に睨まれる。瞳孔の狭まった翠色の瞳は、どこかの獣さながらだった。
そんな眺めは己の姿にも通じるところがあるから、やはり銀時は高杉だけは許せないのだ。
「テメェ……表出ろ銀時。あの時の決着つけてやる」
既にトーンも低く、ガルルルと唸るような声を放ってくる高杉を、銀時は敢えてしれっとした顔で見た。
「は?いやいやいや、あの時も何も、あの時はてめえが俺に負けてたじゃん?ひっくり返ってたじゃねーか、完膚なきまでに」
「負けてねェ、俺は負けたつもりはねェ」
「やめてくんない、その強がり。てか、むしろその言い分なに?てめえがどういうつもりとか知んねーよ、でもあの夜はてめえが負けてたろ。完全に俺に負けてた」
「……てめえェェェ……ぶっ殺してやる」
「ハイハイ。いいぜ、来いよ。またブチのめしてやっからよ」
完全にいきり立った高杉に手の甲をかざし、ちょいちょいと人差し指を軽く動かす。人をなめくさったような銀時のその態度に、高杉がますます激昂するのは時間の問題である。
よもやこのまま行けば、またしても二人による取っ組み合いが始まるのも必然だった(しかし何時でもパワーを持て余している二人)。