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Many Classic Moments 33



*まとめ*





 どれくらいの時間、そうしていたのか。
 熱を持ってひりひりと疼く左頬に手をやり、高杉はおもむろに起き上がった。兎にも角にも、朝までここに寝そべってはいられまい。

だけど、ようよう立ち上がって桂の部屋から出た瞬間、まさか湯屋から戻ってきたばかりの新八と鉢合わせになろうとは思わなかった。



 「──高杉さん!」

 紛れも無い新八の声に、高杉は思わず振り返る。後ろを見れば、月明かりに照らされてほの明るい廊下の中央に新八が立っていた。しばらく見ていないような気さえするその姿に、高杉は一瞬だけ痛みも忘れて立ち尽くした。
 だが、新八はこの間から桂の部屋で寝起きしているので、この出会いは特に偶然というものではない。寝起きしていれば、当然ながら出入りもあるだろうからだ。むしろここで新八と会うのは必然的なのだろうが、そんな事は完全に高杉の中からは消えていた。

 湯を使ってきたばかりなのか、新八はいつも見る着物に袴の和装ではなく、寝間着がわりの気楽な浴衣姿だ。洗い髪がしっとりと濡れて、月明かりに黒髪の艶めく様子もよく分かる。

けれども、新八は新八で別のことに気付いたらしかった。



「どうしたんですか、高杉さんのその顔!痛そう……」

 床板を鳴らしてパタパタと走り寄ってくるなり、心配気に高杉の顔を覗き込む。素直なその様子から、高杉はふいと顔を背けることしかできない。

「ヅラにブン殴られた」
「ええ?!どうして桂さんがそんな事……銀さんじゃなくて?珍しいですね」

 ポツリと放った言葉に、新八が驚愕している様子がひしひしと伝わってくる。高杉はその雰囲気に息を吐き、静かに言い重ねた。

「……ヅラに全部バレたからな。俺とテメェの事が」
「そうですか……」

 新八もまた、ふう、と物憂いようなため息を吐く。やっぱりか、と言った風情だった。
 やはり、この少年にも薄々分かっていたのだ。ここ最近の自分たちを取り巻く環境の変化に。


 けど物憂いため息を吐いたはずの少年はと言うと、次にはもうキッパリと仁王立ちになって、決然と高杉の手を取った。

「ねえ、ちょっと中庭の井戸まで行きましょう。お水が要りますね。頬が腫れてるから、まずは冷やさないと」

 浴衣の手元に持っていた手拭いを翳して、にこっと笑う。有無を言わせない笑顔だ。高杉の事を真摯に思っているからこそ、表情に出たような。

「いい。放っとけ」

 しかし高杉は無論断った。桂にブン殴られただけで惨めだと言うに、その上新八に手当てまで施されるとは己の沽券に関わる問題である。そんな施しは要らない。そこまでは高杉のプライドが許さない。
 だけども、新八は新八だ。

 たとえどこまで行こうとも。


「だめですよ。それに僕、高杉さんのこと放っておけません。言いませんでしたっけ?」

 いつぞやの文句をなぞって、高杉にまた笑いかける。その笑顔が本当に屈託のないものだったから、そしてじんじんと痛む己の頬が熱を放つから、高杉はいつものように皮肉で返す事もできない。

「…………ガキが」
「あ、またそういうこと言う。さっ、早く!桂さんや坂本さんに見付かると、その、」

 代わりにぽつんと呟いた言葉に耳聡く反応しつつも、もう新八は高杉の背を押してきた。しかし周りをキョロキョロと窺っている様子は注意深く、セリフと相まってそれは高杉の中でひとつの辻褄をかっちりと合わせる。
 この間から、新八に話し掛けようとする度、何故か異様なほど桂や坂本に邪魔されるのはそう言う訳だったのだと。


「……あいつらに見付かると俺と一緒に居られねェんだな、テメェは。事が収束するまでは、俺とお前を引き離しとくって算段か」
「うん……そうでしょうね。でも、桂さんや坂本さんが悪いんじゃなくて。あの人たちも僕たちのためを思って」

 こくんと小さく頷いた新八が、少し寂し気に高杉の顔を見る。
 言葉よりよほど雄弁に語ってくるその瞳に、高杉はしばし何も言えなかった。






 誰にも見付からず、廊下でも人っ子ひとり擦れ違わず、中庭まで降りて来られたのは僥倖だった。だけど草履を取りに玄関まで戻るのも人目につくというので、庭に降りた二人の足はもれなく素足だったが。


 庭の端にある井戸の前に立ち、桶で汲み上げた井戸水を浸した手拭いをきつく絞って、新八はそれをそうっと高杉の頬に当てた。

「ッ、」
「あ、沁みました?ごめんなさい。唇切れてますもんね」

 途端にひりつく傷口に高杉が顔を顰めていると、新八が微かに笑う。そして冷たい布を高杉の頬に添えたままで、こちらをじいっと見る。

 上弦の月が大きく張り出した夜だった。月明かりでも十分なほど明るい月夜だから、その光は新八の瞳をより大きく見せている。
 その丸い瞳。いつもはただ幼いだけなのに、たまに驚くほど清澄で、清廉なものが垣間見える。

今夜の新八の目にも“それ”が見えるから、高杉はどこか落ち着かないような気持ちになった。


「……ヅラが言うには、銀時にも俺たちの事が露見した様だったが」

 たまらずに顔を背け、ぽつぽつと顛末を語る。新八はこくこく頷き、詳細を明かしていった。

「あ……そうです。この間の朝、高杉さんのお部屋から出て来たところを銀さんに見られてたみたいで」
「フン。まあ腐っても一緒に暮らしてるようなもんだからな。こんな事、いつかは絶対ェにバレるに決まってる」

 ふう、と息を吐いて井戸に背を預けると、高杉の頬に手を添えたままの新八も一歩前に出る。ひどく近しい距離。高杉が苦手とする他者との距離感。

 こうなった今でも新八は思慮深い少年だから、いつもであればちゃんと一定の距離を保ってくるのに、どうやらこんな時はそれすら眼中にもないようだった。いつ高杉に振り払われるとも知れぬのに、それでも介抱したいとは何とも恐れ知らずなことだ。
だけど、そんな愚直さこそがひどく新八らしい。


 懸命に手当てをするその様子に、高杉はふと銀時の事を考える。こんな生き物が周りをうろちょろしていれば、そりゃあ誰にも盗られたくないと思うに違いない。

 なのに、よりによってそれを高杉に盗られたと思った時の銀時の激情は想像に難くなかった。



「道理で銀時が俺を殺すような目で睨んでくると思ったぜ。……銀時は何て?」

 高杉はその時の銀時の内心が分からぬほどの馬鹿ではない。むしろよく分かっていた。だけど、敢えて新八に聞いたのはどうしてなのだろうか。

 聞かれた新八は目をキョロキョロさせつつ、しばし言い淀んだ後で口を開いた。

「えっと……見付けられた直後は凄い怒ってて。壁に押し付けられ……ってかもう投げつけられましたね、僕。物凄い簡単に吹っ飛びましたから」
「テメェをか?あの銀時が?」

 どれだけの激情が走ったかは想像もできようが、それでも新八を投げ付けたという銀時の行動はにわかに信じられなかった。だって、あの銀時がだ。
 いつだって側において、目をやって、気を配ってきた新八を、そんな相手を物のようにぶん投げたというのがまず高杉は信じられない。

 もちろんそこは銀時だからして、常には高杉や、時には桂と取っ組み合いの喧嘩はしている。それこそガキの頃からの日常的光景だ。
 でも年下の弟分である新八にはしないのだろうと、高杉は無意識にも思っていた。高杉が銀時を見る限りでは、いつだってそうだった。口喧嘩や言い争いはしょっちゅうでも、あの銀時が、自分や桂にするように新八にまで手を出してくるなんて見たことがなかった。

たとえガキの頃から一緒でも、それだけは一度たりとてなかったのに。



 驚きで僅かに目を見開く高杉を見て、新八は何かを思い出したのか、不器用にはにかんだ。

「うん……僕もびっくりしましたけど。でも何か、銀さんも怒ってるだけじゃないって言うか、あの時は銀さんこそ辛そうな……やるせないような顔してたんです。だから……」

 その時の銀時の様子を物語る新八が、切なげに目を伏せる。だけど高杉はもう構っていられず、片手で新八の二の腕をはっしと掴んだ。

「……それで、テメェはどうする?」
「え?」
「俺にすんのか銀時にすんのか、今ここで決めろ」

 今度こそ、驚きで目を見開くのは新八の番だった。大きな目をより大きくして、口すらもあんぐりと開けている(これを間抜け面という)。

「えええ!?そういう問題ですか!?」
「そういう問題に決まってんだろうが。もう銀時にもバレた。時間の問題だろうよ、野郎がテメェをどうにかすんのなんざ。あいつだってテメェが欲しいに決まってる」

そして、高杉が言った言葉にゴクリと唾を飲んだ。

「……ほ、欲しいって?」
「テメェの身も心も喰わせろって事だろ。分かれ」
「いやよく分かんない、むしろ高杉さん的な解釈でもっと分からなくなったよ、どういうことォ!?」
「そういう意味でしかねェだろうが。銀時だってテメェの全部を欲しがってる。……俺と同じようになァ」

 はっ、と皮肉げに笑う高杉の声。だけど新八は今度は笑わなかった。代わりに、高杉の頬に当てていた布をそうっと外した。


「本当に意地悪ですね、高杉さんは」

 そして、困ったように眉尻を下げる。高杉の頬に、今度はそうっと直に指先で触れて。

「高杉さんのこと放っておけないって、僕はさっきも言ったでしょうが。……それが僕の答えです」

 聞いた瞬間、高杉は目の前の少年を抱き締めていた。掻き抱くに近い勢いでしなやかな身体をぎゅうぅと抱いて、思い切り息を吸う。



「……新八」

 鼻先を掠める新八の匂い。腕に感じる体温。

「高杉さん」

 耳元に落とされる、自分を呼ぶその声。

 そのどれもこれもが欲しくて、欲しくて欲しくてたまらなくて、全身が引き千切られそうになる。腕の中のものを決して壊したくないのに、うっかり力を込めすぎると勢いでバラバラにしてしまいそうだった。
 だから身の内で暴れるその衝動に抗うように、高杉はしばらく黙って呼吸を繰り返した。目を閉じて新八の匂いを嗅ぐ。自身を落ち着かせる為にも。




 「あの、もし僕が銀さんを選ぶって言ったら……高杉さんはどうします?」

 その内、抱き締められたままで新八が聞いてくる。何となく好奇心を含んだ声だったのが癪に触るが、けしかけたのは高杉だから答えない訳にもいくまい。

「あ?……そんなもん、捩じ伏せてでも俺から離れられねェようにしとくだけだ。テメェに紐でも付けておく」
「はあっ!?僕の人権はガン無視かよ!」

 言った途端、新八が信じられないとでも言うように顔を上げた。これまた顕著なムカつき顔が面白くて、分かりやすくて、高杉はいつものように鼻で笑う。けれど、そんな笑いなんてものの数秒で幕切れだ。

「……だけどテメェはそのうちにそんな紐なんざ引き千切って、勝手にどっかに行っちまうに決まってる。自分の行きたいとこにしか行けねえだろうが、俺もテメェも。……銀時もなァ」

 分かっている。いや、“分かっていた”。

 自分たち三人の魂の核は、それほど遠くない形をしている。むしろ、歪ながらも似通っているところも多い。でもだからこそ、高杉には分かる。
 新八をどれだけ欲しても、どれだけ力で捩じ伏せても、この少年は決して本当には自分のものにはならないのだと。



「だから……お前が自分で選べ。俺を」

 囁くように言った声に、新八が微かに笑った。くすっと笑みをこぼして、高杉の背におずおずと腕を回してくる。


「……もう。ほんっと不器用と言うか……アンタはどうしようもない人ですね」
「うっせェ、放っとけ阿呆が」

 だから背中に回される腕の感触に、おずおずと、でも確かに自分の背を手繰るその感覚に、新八が自分を求めたことに、
高杉は今夜初めて“ほんとうに”笑ったのだ。


「だが……俺ァもうお前を手放してやれねェがな」

 新八のこめかみに唇を滑らせると、はあ、と僅かな息が上がる。まるで白旗を上げるかのようなため息だ。

「僕だって……高杉さんのことを放っといたら、アンタは絶対ロクな大人にならないですもんね。アンタにはまだまだ僕の小言が必要ですよ。それでね、」
「テメェもう黙れ。うるせェ」

 だが次の瞬間にはぷっつりと演説を断ち切られてしまえば、それにはさすがの少年だとて即座に怒り心頭になるらしい。

「はっ!?だ、だから、そういうとこが高杉さんは勝手なんだってば!いっつも俺は俺はって、自分のことばっかり!この俺様オトコ!僕の言い分は聞いてくんないの!?」
「……お前が黙んねェとくちづけの一つもできねェ」

 なのに、いつものようにギャーギャーと喚く唇をついっと掬われて。
 僅かに上に持ち上げられて言われれば、やっぱり新八の顔にはかああと朱が差し込んでくる。目の前に迫る二つの翠の瞳なんて見たあかつきには、即座にボンっと爆発したかのような圧倒的赤面を晒してしまう。

「……本当にズルいですよね、あの、えっと、」

おどおどとなけなしの文句をつけてみたところで、もう完全にほら──色んな意味で手遅れだ。



「んっ」

 目を瞑った瞬間、計ったようなタイミングでキスが落ちてくる。でも唇にちゅっと柔らかな感触を押し当てられのは一回きりで、そのうちに新八はおずおずと目を開けることになった。

「テメェいつまで目ェ瞑ってやがる。何を期待してんだかなァ」

 からかうように意地悪を溢されるから、やっぱり依然として頬の赤みは引かないにしても。

「い、いや、期待とかねーし!癖だし!」

 しかし口を酸っぱくして言い募っても、高杉はもう何も意地悪を言ってこなかった。今度は新八の背をおもむろに井戸枠に押し付け、新八の胸に顔を埋めるようにして抱いてくる。

 その仕草がまるで迷子の子供のようにも見えたので、新八も黙って高杉の髪を撫でた。
 するすると指を通る、まるで持ち主本人のように捉えどころのない黒髪。胸元をくすぐる、高杉の吐息。
 静かな夜の底を満たす、今のこの気持ち。

 この人が愛しいと、新八はこの瞬間に気付き始めていた。



初めての恋を自覚してから今までで、何かが終わり、そして確実にうまれ行く感覚を。




 「……ねえ。よくこうしてますね、高杉さんは」

 高杉の髪を撫でて穏やかに言うと、ポツリと声が返ってくる。

「ああ。お前の心臓の音聞くと落ち着く」
「そうですか。動物みたいですね」
「あ?テメェのくせに嫌がってんのか」
「いや一言多いでしょ、僕のくせにって何それ。それに僕は別に嫌がってねーよ。高杉さんが落ち着くってんなら、好きなだけしてるといいですよ」

 でも新八の返答をさっさと早合点して皮肉ってくる男を前にしても、新八はもう声を荒げはしなかった。ポンポンと高杉の背を叩いてから、ぎゅっと抱きしめる。

 その行動に、まるで憑き物が落ちたかのような声を出すのは当の高杉だ。

「……。おい……テメェは俺のことを……」
「ん?何です?」
「いや……俺はお前が、」

 でも、ひどく迷いながらも高杉が何かを言い掛けた途端だった。
 新八と高杉、二人の背後から、玉砂利を踏み締める足音が聞こえてきたのは。
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