*まとめ*
「っ!」
「避けてんじゃねーよ。腹立つ」
真顔で銀時が毒突く。しかしながら、それを甘んじて享受できるほど高杉は人間ができていない。むしろ銀時の胸倉を掴み返し、いきり立った声を出した。
「テメェ銀時……俺の周りに居んのがいきなりブン殴ってくる野郎だらけとは、こいつァ一体どういう了見だ」
「てめえの日頃の行いのせいじゃね?」
しらっと答えてくる銀時の顔に苛立ちが募ってくる。こうなれば、先ほど新八から散々に『喧嘩はだめです』などと諭されていた事は思い浮かばない。むしろかすりもしない。
そしてそれは高杉のみならず、銀時だとて同じ事らしい。
「上等じゃねえか銀時。ぶっ殺してやる」
「てめえこそ殺してやるよ。ヅラが許そうと……俺は絶対ェ許さねえからな」
言い終わったと同時に、銀時の右の拳が高杉の左頬をブチかました。桂に続いて二発も殴られ、せっかくの新八の手当ての甲斐なんて今はもうどこにもない。
殴られた拍子に口の中が盛大に切れたのか、口内にどっと血が溢れてくる。それを吐き出し、高杉は足の爪先に力を込めた。さすがに倒れ込みはしなかったが、銀時にブン殴られた衝撃で目の前に軽く星が飛んだことは間違いなかった。
弱った今の風体に、さすがに銀時の拳は重い。歯が折れなかったのがせめてもの救いと言えようが、あと一発でも顔面に食らったらもう立ってはいられまい。
「っ、この……馬鹿力が。無駄に腕力持て余してんじゃねェ」
ハアハアと息を吐きながら、口中に溜まってきた血を再度吐き出して、射殺さんばかりの目で銀時を睨んだ。
そう言えば、と思い出す。銀時の持っている剣はどれもやけに重いのだ。その重みを軽々と振り回すのは並大抵の腕力ではできない。敵の四肢は元より、屈強な天人の首まで一刀で吹っ飛ぶのだから、その力は常人の比ではなかろう。
つまりは、銀時の内心と高杉の体力や拳如何をはかりに掛けて、どっちに天秤が傾くか──要は高杉がただ弱って消耗しているだけならば、事によってはここで銀時に殴り殺されるかもしれないということだ。
銀時の話は続く。
「……新八は俺のもんなんだよ。銀さん銀さんって、前までは刷り込みされたヒヨコか犬っころみてーに、俺に付いて回ってたのによ……てめえが出てこなきゃ、あのまま、」
だけど、次に拳を振るったのは高杉だった。銀時の喋る声をぶった斬るように、そのこめかみに容赦なくブチ込む。
ヒュッと空気を切った拳が、鞭のようにしなる筋肉のバネを借りてストレートでかました一発だ。銀時にはどれくらい効果があるか分からないが、今の高杉が持てる力を振るい込んだ。
いって、なんて間の抜けた声が銀時から上がったのが、いささか場違いではあるが。
「痛ェっつーの。てっめ容赦ねーな高杉」
「はっ、テメェこそな」
こめかみにブチかませば、いくら銀時だとて軽い脳震盪くらいは起こすだろうと踏んだ高杉の目論みも虚しく、銀時はブンブンと自分で頭を振った程度だった。どうやら自力でめまいやらを追い払ったらしい。何てバカ、と言うか信じられない男だ。
無駄にケンカの強えバカ、とも言えよう。
だからここで少し距離をとって、腫れ上がった左頬のせいでろくに目も開けられない左顔面を背けておくのは高杉だった。さっきの銀時の口振りを思い出して。
「しかし……テメェは何を言ってやがる銀時。そんだけ新八を懐かせといて、最後は全部喰らっちまうつもりだったくせによォ」
「あん?気付いてたのお前」
「気付かねェ筈あるか。ヅラでさえ気付いてやがらァ」
「あっそ。どうでもいい情報どうも。別に俺がどういう腹積もりでいようとお前には関係ねーよ、でもお前みてェな人でなしに新八を渡せるか」
反吐でも出そうな声で語る銀時を、高杉は声も漏らさずに笑った。この人でなしに人でなしと言われた事に。
ご多聞に漏れずテメェも俺と同じじゃねェか、と。
(テメェも俺も、ガキの頃からずっと同じものを欲しがってやがる)
「人のもんに何してくれてんだよ、てめえは。なあ?けじめとか付けられる訳ねーじゃん。俺と新八だよ。そんで俺とお前だろ?どうやっても無理だろコレ」
高杉のように元からの負傷もないせいか、まだまだ銀時は動き足りないらしい。ぐるぐる片腕を回して、平然とこっちを見やる。
「なあ、新八のこと捨てろよ。もう要らねえって、てめえなんざ必要ねえって放り出せよ。そしたら新八も分かるからさ。どんだけ周りが言ってもダメだもんな、あいつ頑固だしよ。でもてめえが別れるって言えば、もうそれで終わんだろ?新八だもんな」
そしていきなり両手で高杉の着物の胸元をぐいと掴んで、紅い瞳で冷たく睨む。いきなり詰められた間合いに、問答無用のその言い草に高杉が息をつく暇もない。
「そしたら、ここで許してやらねェ事もねーし。許さねえかもしんねーけど。どっちに転ぶかは分かんねえけど、でもよ、てめえはもう散々いい思いしたろ?な?……いい加減諦めて、さっさと俺に返せよ」
「……死ね」
言い迫ってくる銀時の頬にぺっと血反吐を吐くと、いよいよ怒髪天でもつきそうな炎がその目の中に燃えているのがよく分かった。
かと言って、別に銀時は見るからにブチ切れて喚いている訳でもない。いたって真顔で頬についた高杉の血を拭い、冷えた目でこっちを睨んでいるだけだ。
ただ、普段はちゃらんぽらんな奴ほど怒らせると怖いと言ったところか。
「……へー。そう。それが答えな訳ね、てめえこそ死ぬ気なんだ?アホだわお前、やっぱり頭悪ィわ。てか、だから何で俺のに手ェ出してんの?無事で済むと思ってんの、ほんとそこからしてどうかと思うわ」
「ッ!」
言い終えた途端に足を払われて、思わず崩した体勢で後手に回ってしまった。身体の上に乗り上げてきた銀時がまたしても拳を振り上げてくるので、それをガシィッと両手で掴み、すんでのところで殴られるのを避ける。だがギリギリの攻防がいつまでも続くとは限らない。現に、ごく僅かずつではあるが、掴み締められたままの銀時の拳は徐々に高杉の方に近付きつつある。
それでも高杉は言葉を止められなかった。
「は……新八がテメェのものの筈があるか。かと言って、アイツは俺のもんにもならねェらしいがなァ」
「あ、ここまで来てまさかの正論?くっそ腹立つ」
半ば自嘲気味に放ったセリフに、銀時はいよいよカチンときたらしい。高杉の自嘲にムカつくなんて、それはつまり似た者同士の同族嫌悪でしかないのだけれど、今の銀時は残念ながらそこには気付かない。
だからさらに拳に力を込めた銀時が、またも高杉をぶん殴ろうとしたところで……
「た、高杉さんっ!銀さん!」
庭の片隅から素っ頓狂な声が上がった。その声の出所を探ってみれば、一旦は辞した筈の新八が、視界の端から猛然と走り寄ってくるのが見える。
「どうしても気になって見てみたら……何やってんですかアンタら!喧嘩しないでってあれほど!」
高杉の身体の上に乗り上げた銀時が拳を振るっている様子を見た新八は、ただちに何事かを察したらしい。急ぎ駆け寄ってくるなり、銀時の肩に取り縋る。
「やめて銀さん、高杉さんが死んじゃいますってば!やめろよ!」
「いいんだよ、どんだけ殺そうとしても死なねェようなくそムカつく野郎だから」
必死で訴えるが、銀時は平然とした表情を崩さない。尚も高杉に向けて振り下ろす拳を、その高杉が間一髪で避けたところで、ハアァとこれみよがしにため息を吐いた。
くるりと新八の方に顔を向け。
「……な?分かったろ、コイツがただブン殴られてるだけの筈ねーし。何なら俺もさっき高杉にブン殴られたからね、マジ腹立つことに」
しかし上になっている銀時には喋る余裕もあろうが、体勢を崩したままの高杉にはそんな余裕は毛頭ない。今もなお銀時の拳を手のひらで受け止め、傍目にはギリギリの力の拮抗を続けているように見えるだろうが、その実高杉の方がだいぶ分が悪いのだ。特に左目だ。左頬が腫れ上がっているせいで、左目がろくに使い物にならないのが口惜しくてならない。
「……っ」
ギリッと歯を食いしばる。視界の悪さがこれほどまでにハンデになるとも思わなかった。だがそんな己の分の悪さを銀時に訴えられるなら、そうやって利口に立ち回れるのなら、それはもう高杉晋助という男じゃない。
従って何も言わず、己のハンデを庇おうともせず、ただこの力の拮抗が崩れたら闇雲に銀時の拳をブチかまされるのは必然──という、まさに眼前には高杉にとっての最悪の条件ばかりが並んでいた。
そう、まさしく最悪の条件が出揃っているかのように思えた。
だけども、その矢先。
「本当にやめろってば!てかそんだけムカついてるなら僕を殴れよ銀さんは、本当はマジ嫌だけどォォォォォ!」
横合いの新八が叫んだかと思うなり、いきなり銀時の胸倉を掴んだ。この身体のどこにそんな、という力で銀時の胸倉をはっしと鷲掴み、軽く浮かせる勢いで必死に言い募る。
対する銀時はと言うと、一瞬だけギョッとした表情になったが、次にはもういつものだらくさい顔に戻っていた。
新八に胸倉を掴み締められたまま、ぽりぽりと頬を掻く。
「……。……ええー?何それ?マジ嫌なのに俺に殴られてもいいの、お前」
「仕方ないじゃないっスか!だいたい高杉さんはもう桂さんにもブン殴られてきてるのに……二人して寄ってたかって何ですか!」
「いやヅラも多分こいつにブン殴られてるからね。俺もだし。いいとこ五分五分だろ。高杉とやり合って無傷で済んでる訳ねーから」
「じゃあもういいでしょ、三人して痛み分けですよ!」
「あ?てかそういう問題じゃねーんだけど、これにはもっと繊細な問題が隠れてるんだけど、隠れてるっつーかお前が来たせいで丸見えだけど」
「僕にはそういう問題だよ!ここで死ぬまで相手をブン殴ってたって、何も解決していかないじゃないですか!」
「…………いやまあ……そりゃそうだけどよォ」
懇々と、しかし熱意を持って熱く持論を語る新八を前に、どう見ても銀時は興醒めしたらしい。しまいにはポイっと高杉から手を離し、あーバカらし、と呟いて立ち上がった。
銀時が高杉から離れたと見て取るや、即座にズザァッと地面に膝をつくのは新八だ。ハアハアと荒く呼吸をする高杉の身体を、そうっと抱き起こす。
「大丈夫ですか、高杉さん」
「……まさかテメェに庇われる日が来るたァな」
ごく自然に新八の膝の上に頭を乗せられて、それだけで高杉は全身の力がドッと抜け落ちていくような感覚に捕らわれた。やめろ、とも、どけ、とも言えなかった。
傍らの銀時が、そんな自分達を無言で見下ろしている気配は感じているのにも関わらず。
新八はそんな銀時にも、しまいには高杉のプライドにも一切構わず、そうっと高杉の額に手を置いた。駆けてきた裸足のまま、何も躊躇なく中庭の地面に直で座り込んで。