スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

展望

私の結果報告に対して、温かいを送って下さったサークルの先輩方、あきちゃん、ほんとありがとうございました

空都、
お昼寝中だったのにいきなりの電話で起こしてごめんね(;´д`)
..なんか空さんぽやぽやチックだったよなぁ(笑)



でも、あれだけなりたかったB級になれたのに結果を冷静に受け止めている自分がいます。
準決勝、
勝てるチャンスはいくらでもあったのに、そのチャンスを生かせられず負けてしまいました。
そんな中、『何が私に足りないか』がわかった試合だったのでそこから学べたもの大きかったです。
B級になれたことを以前の私は飛び跳ねて喜んだかもしれません。
けど、現状に満足したらそこで終わりだな、ってもう一人の自分が私に言いました。

『Bで頑張ろう』って思ってた私に対して、ジー先輩とM先輩は「昇段おめでとう」と言ってくれた上で、「早よAになれよ」「おまえが引っ張っていくんだろ」ってくれたんです。
強い選手は常に自分の前を見て頑張ってるんですね。きっと「強くなる」ってそういうことだし、段が上がるというのは「責任も上がる」ということだと思います。

それと私がここまでかるたに執着する理由は2つあって、高校生のときに高文連で代表になれなかったことと憧れていた友達に言われた辛い一言があったからだな、と苦笑い。
当時、高校の百人一首で出会ったのがまなちゃんとみなーにょで、同い年なのに私よりずっとかるたが強くて一生懸命な二人が羨ましいな、って感じてました。
うちのW高は「楽しんでかるたできたらいいわ」っていう部活だったので(もちろんそんな雰囲気も好きでしたが)、「勝つ」ことに貪欲でひたむきに頑張る二人を見て、胸が痛くなりました。
こんなにもすごい人が目の前に二人もおるのに私このままでいいんかな?って。

だから高2の秋の高文祭で指導者もいなかった独学の無段のまま当時弐段だったまなちゃんと運命戦まで行けたのは奇跡だったと思います。お互いがお互い相手陣を攻めて、必死に戻ったけどギリギリ私の自陣を取られて、どっちが速かったのか頭ではわかってるのにその札を離したくない私がいました。終わりの挨拶では礼をするけど「ありがとうございました」って声がどうしても出ませんでした。
そしてそのまま畳に崩れて落ちて私は立てなくなりました。
応援してくれていた友達が傍に寄って来てくれて「しぃちゃん」って名前を呼んでくれました。
それでも
私はぐちゃぐちゃの顔を上げて「大丈夫だよ」なんて死んでも言えなかったんです。
そこにかるたのM馬先生がやってきて

『しぃ(名字)さん、最後にあそこで攻めたのは間違いじゃないよ。最後までキミは必死で勝とうとしたじゃないか、1対1まで追いついて、攻め抜こうとしたじゃないか。そして音に反応して必死に自陣に戻ろうとしたじゃないか、その証拠に戻った手がその試合の結果をわかってても札を押さえて震えていたじゃないか。
..周りの人がね、そんなしぃさんのその一生懸命な取りに見入ってたんだよ。大丈夫、その気持ちを忘れない限り、強くなろうとする気持ちを持ち続ける限り、もっと強くなれる。人を感動させられるようなかるたをこれからも取り続けて下さい。』

・・って言われて、
もうワタシ嗚咽全然止まんないの。
んではた目から見て
「こいつ狂ってるな」ってぐらい泣きました(*´д`*)☆
そのときもらった不意の奨励賞に驚き焦りまくりましたが、一番嬉しかったと思います。
・・それが紛れもない努力でもらった賞だったから。

私はこんなにまで同じ日に
こんな辛い思いをするんだったら、かるたなんてもう二度と取りたくないと思った気持ちと、私はかるた続けられなくなるまで一生続けたいと思った気持ちが交錯した日はありません。
・・それが私がかるたを続ける一番の理由。

こんなの他の人が見たら私のこと馬鹿だ、って思うかもしれません。
だけど本当に大事なのはそれが私にとって大切かどうかだと思うんです。

たとえ他の人に
「今あなたがやってるのは価値がない、無駄なことだ」って言われても、信じるのは私自身です。
周りの人に決められる価値じゃなくって、そういう価値は自分で作り上げていくものだと思うんですね。


今の大学のかるたサークルに入ったのに先輩には全然褒めてもらえないし、むしろ怒られてばっかで、ぶっちゃけ半端なく辛かったです。
だけどのそれがないとスランプ切り抜けてここまで結果残せませんでした。
目の前のことに満足するんじゃなくて、次の目標を設定して努力する姿勢を私は忘れたくありません。

これからはB級選手として、もっと責任を持って勝てるようにするのと、1つ1つの試合から学んで考えてかるたを取れるようになっていきたいです。

まずはA級に上がります。
私の道はまだまだこれからこれからだ(ノ´∀`*)

未知(道)数


大切な友達の一人が治療法がない病気なんだってことを先日知りました、椎菜です。



















・・・












大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと弱さを授かった。

偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。

幸せになろうと富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。

長寿を楽しむために健康を求めたのに、一分の価値を知るようにと病気を賜った。

求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。


・・私はもっとも豊かに祝福されたのだ

加藤諦三
「無名兵士の言葉」より













彼女は




『どんな人でも健康にしろ、容姿にしろ、富や才能にしろ、みんな自分に足りないと自分で思っているものがあるもの。

いい意味では努力のきっかけになるけれど、ないものねだりで人を羨み、コンプレックスになったりもする。

未だにすべての自分を受け入れられたわけではないけれど、必要なものを与えられているのだと感じるし。

病気は日々の健康のありがたさや、人の痛みを知る優しさを。

並外れていいわけでもない能力は、努力も才能のひとつだということを。

私の破天荒な姉は耐えしのぶことの重要を 笑
教えてくれてる』



とか言います。













初めてあなたに会ったとき、
私はあなたが羨ましいと思ったんだよ。



私と違って自信に溢れてて、自分がやりたいと思うことにまっすぐで、その場にいるだけで周りの雰囲気を明るくしてくれるようなチカラを持ってる人なんだなぁ、って。



本気で悩み悩んでたときに『人に変わって欲しい時は自分が信じる道をトコトンやって行動を表すのが一番だよ』って言ってくれた人。

その言葉に人と比べるんじゃなくて、まずは自分から変わろうって思えたんだ。


だから今の私があるのは彼女のおかげだし、そして今もそんな彼女の存在に救われてる




・・でもね、












人に優しくできるのは


みんなの前で元気でいられるのは


自分が

その
やるせない

行き場のない思いを

知っていたからですか?












一時期、

『誰にも治せないっていうなら、私が医者になる』
とまで考えていたらしいです。





途中、他にやりたいことが見つかって今ではそっちの道で頑張ってます、彼女(つ∀`*)









・・そして
君の人脈がありえないほど羨ましいんですけど。


本読んでステキだなぁと思った人の話をすると


『あ、私その人と話したことあるよー♪紹介しよっか?』



・・ってぇ

え──(゜∀゜;;)──
なんでだ───


と・・都会にはそんな機会多いんか
なんてちょっとドキドキしますね(笑)






そんな私、
自分の中で誓ってることがあるんです。





それは

『すべての機会のドアを叩くこと』





ウフフ、なんかカッコいいでしょ(笑)


・・い..いや、ごめんなさい
調子に乗ってマシタ(;´д`)←










可能性の扉というものが存在しうるなら、それに到達する道のりは何通りもあるわけで、1が失敗したら2、2が失敗したら3、と挫けてもチャレンジしようと思うのです。

それが駄目でも次の新しい扉、機会が見つかるんじゃないかな、って。





勝ち負けのある試合をプレイしてて思うのですが、


『大切なことは勝敗ではない、中身だ』

と言う人がよくいらっしゃいますよね。


・・でも私は、違うと思います。


確かに中身は大切ですが、中身がよかったからとそれ自体を負けの理由にしたくないんです。



スポーツの世界でも
『この試合は内容がよかった。・・負けたけど』
って言う選手はあまりいないはずです。
全力で取り組むからこそ試合は楽しいものになるんだし、本当に悔しいものになると思うんですよ。




だから私はそれに到達する
『努力』を諦めません!



何度泣いて、
この苦しい思いをしなければいいのか分かりませんが、自分で選んだものだから、可能性のある限り『機会のドア』を叩いていきたいです







・・と長々と綴ってみたんですが誰か感想くれると嬉しいです
(*´∀`a)

重力を感じさせないくらいに



「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」
春は、誰に言うわけでもなさそうで、噛み締めるように言った。


..伊坂幸太郎『重力ピエロ』より













うぃっす、今晩和(*´・д・)ノ!
教習のあと友達と遊びました。
ん〜..ありゃ?遊びというかあれは話か(笑)


迎えに行くときにあらためてうちから駅まで徒歩で約30分ぐらいなのを知りました。ほとんど道なりなのに遠いなぁ、オイ(´д`;)


友達の乗った汽車到着と同時に私はホーム前の民家の辺りでした。うぁ〜・・っと思いながら小走りを(笑)

平日で小中高生は学校に行ってるからなのか、行きも帰りもあまり通行人に会いませんでした。

なのに
『おぉ〜しぃ日傘や〜ん
(+愛´∀`p)q
..うん?それにしてもここって日傘率高いん??』
と言う彼女の見る方向に日傘差す人が連続で現れました。そりゃもうおかしいくらい連続で(笑)
..それ見てワタシは日傘を畳みますた^^;←


しっかし..のどかだねぇ。
長年住んでて名前のとおりの町だと思います。リアルに山と川ばっかりです。



家に到着するも、うちのばぁちゃんのことなのでお客様用の猫被り仕様でくるんじゃないかと思ってたら案の定でした(笑)

祖母『椎菜〜、椎菜の友達に私から挨拶していいでぇ??』
しぃ『え..まぁどぞー。』

玄関を開けて友人と共に入ってくると
祖母『いらっしゃい、椎菜がお世話になってます〜〜
友『ウフフ〜いやぁこちらこそですよ〜〜^ω^
祖母『まぁまぁまぁ早よ上がって下さいねぇ
友『イエイエ、ありがとうございます^ω^
・・見てて面白かったです
(*゚∀゚)笑
まさにキラキラ合戦


うぬ..おいらの部屋に通したものの、あんまりもてなしできんですんませんですた(´・ω・`)
それに私ベッドでゴロゴロしよったし(爆)
お客さんを床に放置(^ω^;)←


二人でムーミンのパペット触ったりΝ岡氏に貰ったぽにゃっとした赤いぬいぐるみ(スライムに見えなくもない)を弄んだりしながらずっとおしゃべりしてました。
彼女は見た夢の話とか地元の親友さんとの話とか。私はサークルでのこととか高校生の妹の話とか。




前の電話で彼女に言ったんですが

夢を持つように人に言うのに、夢を持とうとすると何かしら理由をつけて若い芽のうちから摘み取ってしまう母の話をしました。

私も妹も『それで夢潰されたんやけど?』
と言うと返ってきたのは
『それはそれだけの夢だったってことちゃうん?』
と正論っぽく言うもんだから子ども心に何も言い返せなかったもんです。
そういうとこ、大人ってズルいよね。

『あなたの自由』
と言っておいて
結局は娘をよいようにコントロールしたいんじゃないの?と思いました。


たしかに夢がある方が
先に進むときの底知れない原動力になるのは知ってます。というか途中で気付きました。

こうだから駄目、ああだから駄目。じゃあどんな可能性ならイエスと首を頷けるのか。



・・そんなのないんじゃないですか?







確信して突き進める人なんてそうそういないよ。

だから道に迷ったら地図を広げて悩みながら進んだっていいと私は思います。





『今椎菜がやってることに意味があるん?』
と母に言われたときに私はプツンとなりました。


意味がなかったらやっちゃいけないの?と。
だから逆に
『じゃあどんなことに意味があるんやし』
と言うと頭ごなしに怒られました。

・・それを10分後には忘れてんのね、あの人は(´ω`)


生活してて意味があることなんて実は意味がないことよりも少ないんじゃないかって思うんです。


ようは他人がどう思おうと
『それが自分に意味があるか』


じゃないんですか?


あなたのモノサシで私を見ないで。

ひとつのことに一生懸命になって何が悪いんだってんだ。そっちの方がよっぽど意味があることだと思うよ、私は。


そこまで意味にこだわるなら
仮面浪人して東大でも京大でもどこにでも入ってやんよ。って気持ちにさえなりました。
そこまで腹がたったんです、母に。

それにまさか母にあの人と同じ台詞を言われるとは思ってなかったんで..。
その台詞、二度と聞きたくなかったのに。


それに
はたから見てとても元気そうに振る舞っているうちの妹ですが、笑顔の裏では居場所のなさに泣いているのかもしれません。
だけど全然そういうの出してきません。ピエロみたいに。

祖母と母には妹に引き合いとして私と比べないでほしい。
私は完全努力型。
妹は天才肌なだけに私よりも思い悩んでるし、繊細なんだよ。同じになるわけない。人間だし。


私以上に不器用にため込む人だから、彼女がいつか壊れてしまいそうで怖いです。



だから
『大丈夫じゃよ、しぃ。
しぃが妹、支えてあげぇな。』


って深刻な話なのに陽気に言ってくれた友人に感謝します。


その言葉が自然体で、重力を感じさせられないくらい優しかったです。


同情するのとかそういうのは簡単にできるけど、彼女は同じ目線で一緒に考えて言ってくれる人です。


帰りにおじいちゃんを駅の駐車場に待っててもらってまで、彼女に何か言いたいこと、伝えようとしましたが伝えられませんでした。

そんなあなたの幸せを願うよ。





話変わりまして
駅からうちまで徒歩30分の道のりを車で5分ぐらいで送ってくれたおじいちゃんの運転を疑問に感じまして。
帰り道、おじいちゃんの運転を見てみると

・・速度制限30キロのとこを余裕で60キロで走ってました(´д`;)ヒィィィ

おじいさまの運転つおいです(笑)
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2024年05月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アーカイブ