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自分黒い・・・

淵になってく。

思い通りにならなくて
もどかしい

少なくともいつもの自分じゃないこと、いられないことに僕は戸惑う

・・それでも隣にいたいと思うんだ

きっとキミといて楽しくないのは透明なフィルターを通して僕を顧みるから
良いとこも悪いとこも


でもそこにある感情をストレートに
楽しくない
と表現するのは少し間違ってるのかもしれないね
正確にはキミと楽しめてない僕が楽しくないんだよ

















。・:*:・。・:*:・。




普段は競技として楽しんでる百人一首も血の通った恋の歌が殆んどなんだよな、ってときどき思う。

競技かるたをしてる身として競技中はやっぱり札の意味じゃなくて文字だとか音を意識するけど、いざ休みが長くなると考えることも逆に多くなっちゃうもんです。


畳に札を並べる。
暗記する。
忘れる。



札の配置を暗記するのは重要だけど忘れるのも実は大切。
一試合一試合変わる札に自分も対応し変わっていく必要があるから。

実家で久しぶりに開けた百人一首の本。ん〜・・歌の解釈の本なんだけど。

思ったのは昔の人も今の人も恋することは同じで、人を思うことがこんなにも「人」を突き動かすんだな、ってこと。

今年京大の大学院に進むことになった知り合いの先輩の日記を見てると歴史学の意義ってその人の存在を覚えておくことじゃないのかなって書いてあった。
つまり、その人が生きた証。
誰かが忘れない限りその「誰か」は消えない。
伝えていく人がいないなら史学者が伝えていくべきじゃないか、って。



・・同じように人の想いも残せるのかな。
















つくばねの 峰より落(おつ)る みなの川
こひぞつもりて 淵となりぬる



















さて・・両想いと片想い、どっちが泣きたくなるのやら。

ちはやぶる


神代も聞かず竜田川
からくれないに水くくるとは



紅葉(もみじ)ってこんな風に色づくんだねぇq*´ω`*)


私のVision↓↓

ゆらゆら

感覚はブランコに似ている



上に舞い上がるのは
もっと高みに行けそうで
ワクワクするけどさ、

後ろに後退するとき


それは風を切って
どうしようもなく
僕を不安にさせる


・・それは実に一人でに



見えることに
見えないことに
捕らわれすぎてるんだな



それでも
後退するときに
背筋がヒュッとなること
止めないのは
前後を合わせて
二つで一つの感覚だから
なのかい?
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