大事なものほど形がないんだよね、
だから人は形を残したがる
『大切なものって何?』
そう聞かれて愛だとかお金だとか友情、または家族だと答える人は多いと思う。
だけど、私にとってそれはもちろん大事だけど別の次元で携えているものがある。
それは
誰かの言った言葉だったり、何気なくかけてくれた言葉。
特に、『ありがとう』
以前、私は『ありがとう』の一言で涙が零れ落ちそうになる経験をしたことがあって、なんだかそのとき胸がいっぱいになったことがある。
でも・・そんな貴重な体験だったのにその内容が思い出せないんだよね、不思議と(笑)
まず、みな-にょが日記で『ありがとう、感謝します』を言える人について書いてるのを読んでこの内容を書こうと思いました。
わたしたちを支えてくれるのは物質的なものじゃなくて、精神的に支えてくれる言葉じゃないのかなって私は思います。
物質は一時的だけど、言葉はときに、ずっとその人の心に響くものになる。
よくも悪くも。
最近、
一番楽しかったときほど、その時のものが物質として残っていないことに気がついた。
気持ちを表現しようとするとかえってまとまらないんだけど、たしかに云えるのは
その瞬間がどうしようもなく好きで、いとおしいということ。
そしてできればその瞬間に戻りたいとさえ願ってしまうこと。
それって傲慢ですか?
だけど本当に願うのは
同じように「何か」を貰うだけでなく、私からも皆に「何か」を与えられるような人になりたいということ。
あの頃にはもう戻れないけど、
あのとき交わした言葉、ひととき、一緒に眺めた景色
私はきっと忘れない
・・私はあなたに
「何か」をかえせていますか?
相手はもう十分もらっているんだから。
あなたが受け取った誰かのことばが、何よりの証拠だよ。
相手に何かを与えない限り、自分の心に響く相手の言葉なんて無かったはずだから。
そこには相互理解、お互いを知り、お互いを信頼し、お互いを想う気持ちが存在しない限り、ありえない気持ちありえない言葉。
自分が相手を思わない、
または相手が自分を思わない、その関係のなかでの言葉のやりとりなんて、とんだ茶番。
でも同じ言葉でも、お互いを想いあっているなら、この上もない嬉しさが込み上げるでしょう。
そんな言葉をくれる時点で、相手に思われる人柄で、相手と同等の嬉しいことをしているんだよ。
だから、悩まなくていいよ。
ほこりに思えばいい。
決して当たり前なんかじゃない気持ちを、与えあい、高めあえることを。
それでも悩むくらいなら、
ありがとうって呟いてみればいい。
どこでもいい。
いつでもいい。
特定の誰かじゃなくていい。
ただ、呟いてみればいい。
胸が何だか暖かくなって、
体が軽くならないかい?
ナナシさん(笑)