教授はそう言った。

『但し、訳す際に「好き」とか「愛してる」等の直接的な表現を使わずにね』













*これはのどか嬢のとこで告知してたネタです

ちなみにこの話題はブログリさんとエムブロさんの2つでも同じものがありました。








『I LOVE YOU』について


昔の文豪、夏目漱石はこれを『月が綺麗ですね』と訳し、二葉亭四迷は『わたし、死んでもいいわ』と訳したそうです。
意味を知った上でのこういう訳しかたができる二人は私はやっぱり日本を代表する文豪だと思います。

ただ、日本で『I LOVE YOU』が初めて訳されたときは「私は貴方が大切です」だったそうな。
日本人ってそういうとこ奥ゆかしいですね(*´∀`)
この話題話してくれたのは英文科の教授。凄いフェミニストで有名な方やけど(笑)


教授の訳した答えは

『僕の生涯を君に』


・・・




な・・なんというか・・

彼女の答えが重すぎだと感じるのは私だけ・・・(つ∀`;)?

教授はフェミニストなだけに好きになってもらうからには、もう全部好きになってもらわな嫌なんだそうです;
ちなみに

「私からは『I LOVE YOU』の『I』の字も言えないわ・・・ポッ」

だそうだ(笑)
教授はそんなツンデレラ


話を戻して
皆さんは夏目漱石の『月が綺麗ですね』と二葉亭四迷の『わたし、死んでもいいわ』のどちらの立場ですか?

私は前者、『月が綺麗ですね』です。
でも後者の『わたし、死んでもいいわ』の気持ちがわからないわけじゃありません
むしろ私は後者に近いんですけどね
けど、『好きだ』って気持ちは一緒に歩いた道とか景色とか過ごした時間とか、ふとを見上げた時に目に映った夜空の月に似てる気がしました。

言語に出そうとするとちっぽけで、それでも定義しようとするとつまらないものになってしまう、それが『好き』なんじゃないかな、って私は思います。


それでも敢えて私が『I LOVE YOU』を訳すなら

『貴方は何を見てるんですか』

って訳すかな。

好きになるってお互いを見つめるんじゃなくて同じ方向を二人で見ることのような気がするから。


・・だから想うんだろう、
貴方の隣にいたい、って

そんなキミと
私はきっと同じ景色を見たいんだ




















・・けどさ?



『I LOVE YOU』を

『この泥棒ネコッ
とか
『パピコを二人で分けよう』

とか訳すのもある意味愛の形だと思うのだよ(´∇`)