大切な友達の一人が治療法がない病気なんだってことを先日知りました、椎菜です。
・・・
大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙虚を学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。
幸せになろうと富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。
長寿を楽しむために健康を求めたのに、一分の価値を知るようにと病気を賜った。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
・・私はもっとも豊かに祝福されたのだ
加藤諦三
「無名兵士の言葉」より
彼女は
『どんな人でも健康にしろ、容姿にしろ、富や才能にしろ、みんな自分に足りないと自分で思っているものがあるもの。
いい意味では努力のきっかけになるけれど、ないものねだりで人を羨み、コンプレックスになったりもする。
未だにすべての自分を受け入れられたわけではないけれど、必要なものを与えられているのだと感じるし。
病気は日々の健康のありがたさや、人の痛みを知る優しさを。
並外れていいわけでもない能力は、努力も才能のひとつだということを。
私の破天荒な姉は耐えしのぶことの重要を 笑
教えてくれてる』
とか言います。
初めてあなたに会ったとき、
私はあなたが羨ましいと思ったんだよ。
私と違って自信に溢れてて、自分がやりたいと思うことにまっすぐで、その場にいるだけで周りの雰囲気を明るくしてくれるようなチカラを持ってる人なんだなぁ、って。
本気で悩み悩んでたときに『人に変わって欲しい時は自分が信じる道をトコトンやって行動を表すのが一番だよ』って言ってくれた人。
その言葉に人と比べるんじゃなくて、まずは自分から変わろうって思えたんだ。
だから今の私があるのは彼女のおかげだし、そして今もそんな彼女の存在に救われてる
・・でもね、
人に優しくできるのは
みんなの前で元気でいられるのは
自分が
その
やるせない
行き場のない思いを
知っていたからですか?
一時期、
『誰にも治せないっていうなら、私が医者になる』
とまで考えていたらしいです。
途中、他にやりたいことが見つかって今ではそっちの道で頑張ってます、彼女(つ∀`*)
・・そして
君の人脈がありえないほど羨ましいんですけど。
本読んでステキだなぁと思った人の話をすると
『あ、私その人と話したことあるよー♪紹介しよっか
?』
・・ってぇ
え──(゜∀゜;;)──
なんでだ───
笑
と・・都会にはそんな機会多いんか
なんてちょっとドキドキしますね(笑)
そんな私、
自分の中で誓ってることがあるんです。
それは
『すべての機会のドアを叩くこと』
ウフフ、なんかカッコいいでしょ(笑)
・・い..いや、ごめんなさい
調子に乗ってマシタ(;´д`)←
可能性の扉というものが存在しうるなら、それに到達する道のりは何通りもあるわけで、1が失敗したら2、2が失敗したら3、と挫けてもチャレンジしようと思うのです。
それが駄目でも次の新しい扉、機会が見つかるんじゃないかな、って。
勝ち負けのある試合をプレイしてて思うのですが、
『大切なことは勝敗ではない、中身だ』
と言う人がよくいらっしゃいますよね。
・・でも私は、違うと思います。
確かに中身は大切ですが、中身がよかったからとそれ自体を負けの理由にしたくないんです。
スポーツの世界でも
『この試合は内容がよかった。・・負けたけど』
って言う選手はあまりいないはずです。
全力で取り組むからこそ試合は楽しいものになるんだし、本当に悔しいものになると思うんですよ。
だから私はそれに到達する
『努力』を諦めません!
何度泣いて、
この苦しい思いをしなければいいのか分かりませんが、自分で選んだものだから、可能性のある限り『機会のドア』を叩いていきたいです
・・と長々と綴ってみたんですが誰か感想くれると嬉しいです
(*´∀`a)